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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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二度目の訪問(10)

 ややして、扉の向こうで何か声がした。外にいる使用人の人が応対しているらしき、くぐもった問答が続く。かなり激しい口調だ。エレナちゃんが女風呂の前でどんなあしらいを受けたかを、思い出させるような激しい攻防の末、使用人の人が細く扉を開けた。


「失礼いたします、ダヴェン王弟殿下並びにベルトラン伯爵閣下がフジサワクンのお見舞いをと――」


 言い終える前に、その人を押し退けるようにして喜色満面の若い男が飛び込んできた。


「ミノリ!」


 ベルトラン伯爵はそのプレイボーイ風の顔面にとろけるような笑顔を浮かべて部屋に踏み入った。早口でまくし立てながらずかずかずかと歩み寄る。


「久しぶりだねミノリ! エスラディアの残党に襲われたと聞いて居ても立ってもいられなくて――ああ、大丈夫だったかい? 君の真珠のような肌にかすり傷でもついていたらと僕は心配で心配で」


「おいおいディード、いくら恋人が心配だからといって……申し訳ないミノリ様、このように乱入したりして」


 しゃあしゃあと言いながらダヴェン王弟殿下までのしのしと踏み入ってくる。あーなるほど、扉を開けたら女湯でも何でも『心配で礼儀になど構っていられない』風を装って乱入するわけだ。エレナちゃんが殴られても蹴られても扉を死守した理由がよくわかる。


 ああ、面倒くさい。

 俺は心底そう思った。

 勇者って、神の子って、こんな面倒くさいもんだったのか。


 みのりは何も言わず、黙ってベルトラン伯爵を睨んでいる。しかしベルトランは何も気にせずいきなりみのりの前にひざまずくと、その手を取って口づけようとした。


 みのりがその手をひょいとどけた。


「病でふせっている人がいます。静かにしてください」


 今まで聞いたこともない、とても冷たい声だった。ベルトランはしかし全く堪えなかった。空振りした手をさりげなくみのりの膝にのせた、が、それもぺいっと払われた。

顔を近づけて頬に口づけようとして、みのりが避ける。そんな攻防を続けながら、


「申し訳ない。貴方に会えた幸せでつい。そうそう、病人は貴方の故郷の友人と聞いた。遠い異国で体調不良にあわれるとはさぞ心細い気持ちでおられるだろうね。僕にできることがあったら何でもするよ、貴方の友人は僕の友人も同然だもの」

「見舞いの品を」


 ダヴェン王弟殿下が合図をし、さっきエレナちゃんを殴ったあの男ともうひとりが、山盛りの果物を運んできた。みのりは軽く息をついた。毒入りかなと俺は思う。そしてそんなことを当然のように考えた自分にちょっと驚く。


「ご配慮ありがとうございます。藤沢君も喜ぶでしょう。けれど帰還の時間が近づいています。ご存じのとおり、帰還の瞬間に胃の中にこちらのものが残っていますと危険ですので」へーそうなんだ、と俺は思った。「残念ですが食べることはできないと思います。無駄にするのは申し訳ないですから、どうぞお持ち帰りいただけませんか」

「こたびの帰還はいつ頃になりそうですかな」


 ダヴェンさんは周囲が自分とベルトランを睨んでいるとわかっているはずなのに全く気にせず、勧められてもいないソファにどっかと座り込んだ。うーんすごい面の皮。こうでもないと王弟なんてやってられないのかもしれないけど。


「詳しくはまだわかりません。アトレン殿下にお訊ねください。ダヴェン王弟殿下、恐れ入りますが、病人に障ります。どう」

「フジサワクンは」ダヴェンさんはみのりの退去勧告をさっさと封じた。「ハナゾノチエコと同郷だとか」


 周囲が静まり返った。

 みのりも一瞬黙り込む。それほどに痛い言葉だったらしい。ダヴェンさんはその一瞬の沈黙を最大限に利用した。


「フジサワクンもモフオンを呼び寄せる。チエコのようにエスラディアにモフオンを」


 ――やめてくれ!


 俺はわめいたが、当然声は出なかった。モフ美は息をのんだ。俺はモフ美の耳もダヴェンの口もふさげなかった。


「売り渡すようなことがないとはいえない」

「ありません」

「なぜそう言い切れるのです?」

「藤沢君はエスラディアの残党から私を守ってくれました。エノラスの使うモフオンの死骸を見たとき――」

「ミノリ様はフジサワクンの心根を信じると。なるほど。ご友人を信じるお気持ちは尊いものです。――チエコはそれを裏切りましたが」


 みのりの顔を見て、ダヴェンは薄く笑った。


「そもそも、今後エスラディアの残党がフジサワクンと接触することがなければ安心でしょうしな」


 ダヴェンはその笑みを深めた。


「ただ、じきにこの国を背負うものとしては、エスラディアにこれ以上闇の呪具を渡すわけにはいきません。こたび丸腰のフジサワクンを襲った人間の行為は決して許されるものではないが、チエコの前例を考えれば、その行動も頷けなくはないものと……愛国の志が先走ってしまったと考えられなくもないですな」


(ちえこについていったあの子たちは)


 モフ美が小さな、小さな、声で言った。


(ちえこの国につれていってもらったんじゃなかったの?)


「フジサワクンがこれ以上危険な目に遭われないことを切に祈っておりますよ……」


 ダヴェンがまだ何か言っている。それが紛れもない警告だと言うことはモフ美に気を取られながらもよくわかっていた。エスラディアの残党が接触することがなければ――俺の存在が公にならなければ。つまりベルトランのじゃまする立場に出てくることがなければ安全だろう、とダヴェンは言った。さもなくば愛国心によって先走った人間が、エスラディアと接触する前にという大義名分を得て俺を殺すだろうと。


(ふじさわ)


 モフ美のか細い思念が届く。


(あの子たち、……腐らせられちゃったの?)


 俺は何も言えなかった。モフ美も黙り込んだ。

 俺はダヴェンを恨んだ。モフ美には知られたくなかったのに。

 モフ美みたいな可愛い存在にあんなひどいことができる人間が存在するなんて、知られたくなかったのに。


「叔父上」


 戸口でアトレンの声がする。ダヴェンはにこやかに笑った。


「おお、アトレン。襲撃者の正体はわかったかね」

「捕らえましたが。阻止する前に全員自害しました」

「それは……まあ仕方のないことだ」


 ダヴェンは目に見えて喜んだ。黒幕を吐かずに死んでくれてよかったと、思っていることを隠そうともしていなかった。

 そしてダヴェンは立ち上がり、アトレンに向き直った。年長として、立場が上のものとして、アトレンを諫めるような声でいう。


「そなたの居城でこのような恐ろしい事件が起こるとは。兄上が聞かれたらさぞ――」

「それはさておき」


 しゃあしゃあと言ってのけたダヴェンの口上を、アトレンはあっさり退けた。


「ミアの子にあまりに無体なおっしゃりよう。私の居城でそのような暴言を吐かれることの方がよほど問題です」

「な」ダヴェンはぽかんと口を開けた。「ぼ――暴言だと?」

「そうです。ミアの子も異人。フジサワクンが異人と言うだけで襲撃されるほどの疑いをかけられても仕方がないと言うのなら、ミアの子も襲撃されても仕方がないということですか」


 どこから聞いてたんだよ王子様。出番待ちしてたのか。マジで性悪だな。早く出て来いよ。


 ダヴェンは旗色が悪くなってきたことを悟ったらしい。少し警戒するような声で答えた。


「ミノリ様は光に愛されし神の子、まさかエスラディアに与するようなことは――」

「叔父上。ミアの子がリオニアに留まっていてくださるのはひとえにミアの子の善意に寄るものだと私は理解していますが。神の子にあらざる身には、せめてその厚意を無にすることのないよう勤めもてなすのが精一杯です。その友人をも丁重に遇するのは光の恩恵を受けるリオニアの国民として当然の」


「とにかく!」ダヴェンは急いで話を切り上げた。「フジサワクンがこれ以上危険な目に遭わぬよう、重々気をつけることだ。では」


 旗色が悪くなったときの切り上げの良さといったら全く天晴れなものだった。ダヴェンはもしかしたら兵を率いたら名将かもしんない。俺は手も足も口も出ないままその退却を見送るしかなかった。ベルトランはみのりに投げキッスまでしてった。うわあ、投げキッスってほんとにする奴いるんだなあー。俺ドン引き。


 敵が去り、静寂が落ちる。


「アトレン、あんなこと言ったら」


 みのりが言い、アトレンはふんと鼻を鳴らした。


「今さらだ。これ以上疎まれたって痛くも痒くもない。ミノリも遠慮しなくていい。俺のことはもう気にするな。今度押し掛けてこられたら、窓を開けてリオノスを呼べ」


「……」


「それでウェルルシアに行くとでも言えばいい。女王陛下が何度も親書を寄越してるだろう。あなた方は友人同士なのだから訪ねたって誰もとがめない」


「……」


「もう俺は七つの子供じゃない。あなたの庇護がなくてもそう易々とは殺されない。叔父のせいでリオニアがリオノスの加護を失うということになれば、新国王にとって計り知れない打撃になる。あなたを引き留めるためなら叔父自身がベルトランを窓から蹴り出す。本来ならあなたに何かを無理強いできるリオニア国民など存在しないはずなんだ。遠慮しないでそうしてくれ」


「……あたしは、ここが、好きなんだもん」


「本当に出ていけとは言ってない。叔父の前で、いつでも出ていけることを示していいと言ってる」


「……」


「心配はありがたい。あなたのお陰で俺はまだ生きている。味方も増えた。俺を守ってくれているのは、もうミノリだけじゃない。……ミノリ、少し休め。異国の服を着て寝ておけ。明け方にはあちらに帰れる。そちらの部屋を使わせてもらうといい。フジサワクンも怒らないだろう」


 アトレンはてきぱきと指示を出し、周囲の人間全員を動かした。みのりを、天井が半分空になっているあの部屋へ行かせ、メイドさんたちにはその世話を。ダルスさんにはみのりの部屋に衣類を取りに行くエレナちゃんの護衛をさせ、他の護衛は部屋に帰す。全員をさっさとその部屋から追い出すと、アトレンは俺の体に向き直った。


「フジサワクン」


 抑えた静かな声だった。


「それがしの城でフジサワクンを危険に遭わせた。ダルスを謹慎処分にする。どうかご寛恕いただきたい」


 え。いや、待て。

 俺は何とか声を出そうとした。でも体には戻れなかったし、モフ美の声も出なかったし、そもそもモフオンの体で声を出しても無意味だった。


 ちょっと待ってくれ。なんでダルスさんが謹慎させられるんだよ。


「……フジサワクン。このような事態となってこのようなことを頼むのは無体なことだと重々承知の上でござるが」


 アトレンは俺がこの言葉を聞いていると確信しているようだった。


「次回もまた、是非、ミノリと共にこちらへ来てほしい。頼みたき仕儀がござる。……何卒」


 ベルトランを追い出すため、だろうか。

 俺は少しほっとしていた。アトレンに頼まれた。これで大義名分がもうひとつ、できたことになる。


 みのりは俺を、この件に関わらせるつもりはない。そうなら俺も知らんぷりをするべきだと、さっきまでは思っていた。


 でも今は違う。殺されかけたのは俺だ。みのりが嫌がっても、このまま引き下がるわけにはいかない。この上アトレンに依頼されたのなら、そりゃ願ったりというところだ。


 アトレンのその頼みは、ベルトランとダヴェンを追い出すためだろう。そのとき、俺は、そう信じて疑わなかった。


   *


 モフ美はアトレンが出ていっても、入れ替わりに(たぶん護衛のためなのだろう)ニースさんが戻ってきても、召使いさんやメイドさんが出入りするようになっても、ダンディ医師さんが俺の容態を診に来てくれても、ニースさんに食事が振る舞われても、ずっとずっと、黙ったままだった。


 俺もモフ美に何も言えなかった。にんげんすき、と言ってくれたけど、今もそう言ってくれるかどうか自信が持てなかった。


 ゆるゆると時間が過ぎる。ニースさんが出ていき、ダルスさんが交代した。謹慎、とアトレンが言ったとおり、ダルスさんは剣を携えてはいたが私服のようだった。申し訳ないと俺は思った。ダルスさんが責任とらなきゃいけないことじゃないはずなのに。


(ふじさわ)


 突然モフ美が言ったのは、夜明けも近くなってからだった。

 おう、と返事をすると、モフ美は言った。


(ふじさわはしない)


 ……何を?


(ふじさわは、モフ美にひどいことしない)


 疑問ではなく、懸念でもなく。ただ淡々と、事実を確認するような言い方だった。俺もただ淡々と、うん、と言った。千絵子だってモフオンがどうなるかわかった上でエスラディアに引き渡したわけじゃないと思う。いや実際にはどうなのか、俺は知らないけど、でも。モフオンというこんな愛らしい生き物を目の前にして、この毛皮に触れ、この思念と会話をして、それでもモフオンにひどいことができるなんて俺には思えなかった。


 でもあの呪具が存在する以上、ひどいことができる人間は皆無ではないはずだけど――


 それでもそんな人間は、ほんのひと握りであるはずだ。そう信じたかった。なによりモフ美に、そう信じてほしかった。


(モフ美、ふじさわ信じる)


 ありがとう。


(ふじさわはモフ美に名前くれた。だから大丈夫)


 うわあ。

 頭を抱えたくなった。こんなことならもうちょっといい名前つけてやればよかった!


 もっといい名前考えてやるから、ちょっと待て?


(やだー。モフ美、モフ美がいいー)


 ええー。

 まあ、モフ美がそういうならいい……のか? それでいいのか、俺。


   *


 次に目が覚めたら、自分の部屋だった。離宮のじゃなくて、日本の俺の部屋だ。


 ――運んでくれなくていいって言ったのになあ。


 起き上がってしばらく、釈然としない気持ちだった。こうなる可能性を考慮して、狭いワンルームを結構まじめに掃除しておいたのだが、でもなあ。また部屋に入られちまったわけだ。ちょっと気になる。


 体を起こして、欠伸をした。時計を見ると、あの日の午前三時過ぎだ。

 だるさはもうだいぶ取れていた。でもまあ、今起きたら時差ボケになりそうだから、シャワー浴びたらまた寝よう――とかいろいろ考えながら立ち上がる。一瞬襲って来ためまいをやり過ごして、歩きだそうとして、それに気づいた。


 枕元に、見覚えのある使い捨て容器。痛まないようにか、保冷剤が乗せてある。

 中身は当然のようにあのおはぎだった。十個もあった。

 十個って。前回の三倍以上だ。

 置き手紙も何もなかった。でも。


 ――行ってらっしゃい。


 トリップする寸前に見た、あのおばあさんの表情が、なぜか、気にかかった。ほっとしたような、後ろめたいような、嬉しいような、信頼のような、不安なような――


 このおはぎはもしかして、依頼の対価みたいなもんなのかもしれない。

 不思議だけど、そんな気がしてたまらなかった。なんでだろう。

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