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神の子の使い魔  作者: 天谷あきの
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二度目の訪問(7)

 暴れん坊兄貴は四番目の兄である。今では道場をかまえ、なんかいろんな大会でいいとこまで行くような実力者らしい。教え方は厳しいが熱心で愛情にあふれていて、結構人気道場、みたいだ。


 だが俺は、絶対にその道場には近寄らない。中学ん時になんかのついでで顔を出したら、子供たちに試合を見せるとか言われてちびっ子共の真ん前で散々ぶん殴られた。ちびっ子共の無責任な野次――おにいちゃんよわーい、ぼこぼこー、へたれー――は、悪気がないだけに心臓をえぐるんだよマジで。無邪気って残酷だ。


 兄貴は勝手に俺を後継にしようともくろんでいるらしいが、断固拒否だ。冗談じゃない。


 高校入ってからは実家も出たので、暴れん坊兄貴に『指南』されるのは月に一度の家族会議の時だけになった。公衆の面前で恥をかくこともなくなり、とても幸せだった。


 なのに。


 まさか異世界で公衆の面前でぶん殴られることになるとはなあ……。

 唯一の救いは、野次られても意味が分からないことだった。


 モフ美はいなかった。聖山に戻る気はないようだが、モフ美は道場を嫌った。竹刀でとはいえ、また鍛錬のためだとは言え、道場で行われるのはやはり殴りあいだ。そういうことがあまり好きではないらしい。エノラスの恐怖を思い出すからかも知れない。ちょっと散歩してくる、と言ったきり、まだ戻ってきていない。でもそれがありがたかった。モフ美の前でぼかぼか殴られるのはやはり避けたい。


「ダイジョーブ、フジサワクン? イタイ? ダルス、ヒドイ。フジサワクン、カオ、ヒドイ。トテモヒドイ」


 俺がぶっ倒れた後顔を出したエレナちゃんが、俺の惨状に驚いていろいろと世話を焼いてくれている。たどたどしい単語を並べながら、冷たい布を貸してくれた。そんなひどいすか。確かに結構腫れてる。前が見えねえ。


 エレナちゃんはノートのようなものをぺらぺらめくりながら、切れ切れの単語を読み上げて会話を組み上げる。エレナちゃんがここに顔を出したのは、これが理由だった。


 先ほどみのりが言ったのは、このノートを俺に貸す、ということだったらしい。


 ノートは二冊で組になっている。ひとつは今は俺の腹の上にのっている。それは日本語で書かれていた。つまり、和英辞書のリオニア版だ。だいぶ古くに作られたものを、今も付け加えながら使っているらしい。横から『あ』から『わ』まで書かれた付箋が飛び出している。アトレンが妙に現代風の単語まで使うのは、この『対比表』でも勉強してるってことかも。


 エレナちゃんが持っている方が、リオニア版だ。言いたい単語を探し出し、そこに書かれている日本語の発音を読み上げれば、何とか意志疎通を図ることができる。


「ハッハッハ、フジサワクン、スゴイ! オレノシカバネヲコエテイケー!」


 ダルスさんがやはり顔を冷やしながら笑っている。はっはっはじゃねえよ。そんな言葉を含む演説ってどんなだよ。


 大体暴れん坊兄貴といいダルスさんといい、言わばプロだろ? しかも大の大人だろ? 素人の未成年相手に防具もなしに全力出すってどうなんだよ、くそ。


「ヒドイヒドイ……カオヒドイ、ダイナシ」


 布の向こうでうろうろ動き回りながらエレナちゃんが言っている。……そんなにひどいかな。


「ハッハッハ、フジサワクン――、」

「ハッハッハフィリエッタ!」


 エレナちゃんが厳しい声でびしりと言い、ダルスさんが沈黙した。今絶対『はっはっはじゃありません!』って言ったよな。やーい叱られてやんの。


 エレナちゃんは早口のリオニア語でダルスさんを厳しく叱責した。布の透き間から覗くと、大柄のダルスさんが小さくなっていた。小さい声で反論しようとして、エレナちゃんの「フィードン!」でまた沈黙した。フィードンって、お黙り、って意味だろうな。かっこいーなエレナちゃん。ほれぼれするぜ。


 ダルスさんと俺の立ち会いを楽しそうに野次りながら見てた剣士仲間の人達も、エレナちゃんにびしびし叱られて、みんなそろってその部屋から追い出された。ここは道場に付属した支度部屋――ロッカーとかベンチとかおいてある――なので、俺ひとりで独占するわけにはいかないと思うんだけど。エレナちゃんはそんなこと全く気にせず、対比表リオニア版をまたぱらぱらめくった。


「スコシ、ヤスム。アルク、シバラク、ダメ。ユックリネル。アトデ……クル」


 俺は先ほどから言おうと思って調べてあった単語を口にした。


「ぺりえ」


 炭酸みたいだよな。でもこれで、ありがとう、になる。

 布から顔を出すと、エレナちゃんは微笑んだ。

 小さなたらいで冷やしてあったもう一枚の布を絞り、俺の顔に乗せた。温くなった方の布を取り上げて、水に浸してくれる。


「フジサワクン」

「んー?」

「フジサワクン、……モフオン?」

「へ?」

「モフオン、ドコ、イル? モフオン、ナオス……キズ、ナオス。ハヤクナオル」


 へーそんなこともできるんだ。


「モフオンは……」

「イマ、ココ、イル?」

「いない。えーと……けるん」


 そういうと、エレナちゃんがほっと息をついたのが聞こえた。


「ワカル。……フジサワクン。ダルス、……クヤシイ。タブン。……ヤ、ツ、ア、タ、リ、アル」


 俺は思わず布をどけてエレナちゃんを見た。「八つ当たり」


「グー。……ハイ。ミノリサマ、アトレンサマ、ケッコン、コトワル。ケッコン、タクサン、コトワル。リユウ、イウ。コキョウ、スキ、オトコノコ、イル」


 俺はしばらく考えた。

 アトレンの求婚を断る。ほかのいろんな人の求婚も、断った。その理由として、故郷に好きな男の子がいる、と。


 ああ、と俺は納得した。そっか。


 俺が存在しない他校の彼女の存在をでっち上げたように、みのりも、こっちでの求婚を断るために、存在しない故郷の男の子をでっち上げた、ってわけだ。


「ダカラ……モチロン、フジサワクン、チガウ。デモ、ダルス、クヤシイ。ダカラ」


 エレナちゃんは、その緑色の瞳に微笑みを乗せる。


「ヤツアタリ。ダルス、アトレンサマ、ゴエイ」


 アトレンの護衛だから。故郷の男の子のせいで、アトレンの求婚を断ったから。だから、同じく故郷の男の子である俺に、八つ当たりをしたと。


 俺は苦笑した。あり得そうなことだ、と思う。ダルスさんやニースさんの、アトレンへの……たぶん、忠誠、というものなんだと思うけど。とにかくそういう感情がハンパないことは、今日一日だけでもよくわかった。


「オコル、ナイ?」


 怒らないのか、と言われてまた苦笑する。


 そういわれても、あんなあっけらかんとした八つ当たりなら別に構わない気がした。無視したり排斥したりするほうがずっとありそうなのに、そうしなかった。それにたぶん、八つ当たりのことがなくても、あの人は道場で俺と手合わせしたがったろうし、手合わせしたら手加減なんかしなかっただろう。暴れん坊兄貴は苦手だけど、別に嫌いじゃない。


「……ユックリヤスム、フジサワクン。アトデ」


 エレナちゃんはそっと出て行った。エレナちゃんはダルスさんが八つ当たりしたことを、みのりに話すのだろうか。苦手な人間って誰なのだろう。求婚を断っても断っても押し掛けてくる人間って相当うざいだろうな。


 アトレンの求婚を断った――

 それは本当なのかな、と俺は思う。


 みのりはアトレンのことは全く苦手じゃないらしい。求婚されて、断った相手の城に、ああも居心地よくいられるものだろうか。断った相手と、ああも仲良さそうに、一緒に食事ができるものなのだろうか。

 まあ別に、俺には関係ない、けど。



   *



 ふと目を覚ますと、俺は廊下に寝転がっていた。びっくりだ。


 うつ伏せの体勢だった。この赤いふっかふかの上等な絨毯は、離宮の廊下に敷かれていたものと同じだ。壁の色も同じだから、やはりここは離宮の廊下ーーそれも賓客扱いされてるみのりや俺、アトレンと言った人間の滞在しているあたり、らしい。


 何で俺、こんなところにいるんだろう。

 そしてなんで、寝てるんだろう。


 というか、体が動かない。ぴすぴす音を立てながら、黒い丸いものがうごめいているのが目の下隅に見えるが――もしかしてこれ、鼻だろうか。蜂蜜色の毛皮がその鼻の周りを覆っている。モフ美だ、と俺は思う。


 俺は今どうやら、モフ美になっている、らしい。


 というか、モフ美の五感を通して外を感じている状態だ。自分の意志で体を動かすことはできない。モフ美はこの場所が気に入っているらしい――廊下の隅っこ、というこの場所が。絨毯は掃除が行き届いているからふかふかで気持ちがいいし、なによりいい匂いがする。なんだろう、この匂い。今まで嗅いだこともない、うっとりするような、匂いだった。酔いそうな匂いだ。猫にとってのマタタビって、もしかしてこんな感じなのかも……


 モフ美が顔を上げたので、少し離れたところにある大きな扉が見えた。落ち着いた色合いのどっしりした扉は、ここ離宮上層部に共通のものだが、扉に彫り込まれたマークに見覚えがある。これ、あの豪華な風呂の入り口だ。


「……い!」


 鋭い叱声が聞こえて、モフ美が体の位置を変えた。廊下の向こうから歩いてくるエレナちゃんが見える。彼女は早足で歩いていたが、後をぞろぞろついてくる男たちは意にも介さずに悠々とついてきていた。


「ミノリ様はご休養中です。お風呂場にまで押しかけていらっしゃるなんて――」

「黙れ」ひどく冷たい声だった。「おまえに是非を問うてなどおらぬ」


 モフ美の感覚を通しているからか、こっちの言葉がすんなりわかる。

 ついてきているのは、五人。六十代に見える男がひとりいるが、ほかは全員若い。ひとり、なんだかとても見目麗しい男がいた。二十代半ば――たぶん、暴れん坊兄貴と同じくらいの年齢だと思う。アトレンよりもかなり世俗的な、でもやはり美貌の男だった。アトレンよりもっと、世慣れしてるというか。人間らしいと言うか。世間というものに、いろんなところまで精通している感じ、というか。まあぶっちゃけプレイボーイ風だ。


 その他の若い人間は、ダルスさんと雰囲気が似ている。たぶん、六十代と二枚目の護衛なのだろう。今エレナちゃんに冷たい口調で言ったのは、その護衛のひとりだった。


「わたくしはミノリ様の召使いです」

「エスラディアの娘がか」護衛の言葉は辛辣だった。「ダヴェン王弟殿下とベルトラン伯爵がミアの子への挨拶をご所望だ。貴様は黙って扉を開けろ」

「ミノリ様はご入浴中です」

「無礼であろう」

「どちらが」


 扉の前に立ちふさがり、エレナちゃんは毅然と頭を上げて五人を睨み据えた。


「ここは国王陛下ご嫡男、アトレン=バルド=リオ=リオニア殿下の居城にございます。いかに王弟殿下ならびに伯爵閣下にあらせられても、我が主のもとにご滞在中のご婦人に面会を無理強いなさるとは――」


「無理強いとは言葉がすぎる。アトレン殿下には許可をいただいてある」

「ミノリ様のご都合のよろしいときに、しかるべき場所にてご面会なさるのならば、と申しつかっております」

「そうだ。ミノリ様のご都合をお聞きしたい」

「ミノリ様はエスラディアの残党に対峙されたショックでふせっておられ、医師により湯治とご休養の指示が出されております。お引き取りを」

「闇に汚れた娘がしゃあしゃあと」


 パン! 鋭い音がして、エレナちゃんが横に弾かれ、扉にぶつかって止まった。俺は声を上げようとし、出来ないことに気づいた。モフ美は今の出来事など何もなかったかのように、寝ころんだまま微動だにしない。エレナちゃんは声を上げなかった。頬が赤くなっているのがかろうじて見えた。暴力を振るった男がもう一度手を振り上げたが、エレナちゃんはそいつを睨んだまま、扉の前から一歩も引かない。


「ミノリ様に取り次げ」


 また音が鳴った。エレナちゃんが足を踏ん張るのが見えたが、そんな抵抗など儚かった。かろうじて平手だったけど、あまりの勢いに床に倒れた。俺は何も出来なかった。指一本動かせなかった。モフ美は俺が感覚を共有していると気づいてもいないようで、ふわあとあくびをして目を閉じてしまった。


 ――おーい! なんで! 目の前で人が殴られてんのに!


 ダヴェン王弟殿下らしき人間もベルなんとかかんとかも、自分の護衛がアトレンの召使いに暴力をふるっているというのに止める気配もない。エレナちゃんは呻き声も上げなかった。もしエレナちゃんが悲鳴を上げていたら、みのりが駆け出してくるだろう、と俺は考えた。こいつらの狙いはきっとそれなのだろう、とも。


「……強情な」


 ひどく冷たい声が聞こえる。と、廊下の端で小さな声が上がり、モフ美が目を開けた。エレナちゃんと同じ制服を着た少女が、別の扉から出てきて騒動に気づいた。慌てて引っ込み、騒然となる。俺はほっとし、――ぎくりとした。さっきの護衛は、モフ美が目を閉じている間にエレナちゃんにさらに蹴りを入れようとしていた。足を止めて、舌打ちをする。


 ダヴェン王弟殿下が動き出した。ベルなんとからしき若い男もそれに続く。護衛もぞろぞろと動きだし、最後に残った暴力男が、冷たい声で言った。


「機会を改められる。――ミノリ様にお伝えしろ。王位の交替が近い。一生聖山に籠もられるおつもりか、とな」


 言葉の意味はよくわからない。

 でもその言い方は、紛れもない脅迫だった。


 エレナちゃんは何も答えなかった。身体を起こして、その男を睨み上げていた。さっきの女の子が数人の仲間を連れて走り寄ってくる、その前に、護衛は歩み去った。

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