二度目の訪問(6)
「……そうなの?」
「そうなの! 藤沢君、彼女いるんだよね? じゃあそっか、それを、早めに、いろんなところに吹聴しといた方が……」
あー、そういえばそんな話があったっけか。
俺は苦笑した。他校の彼女、という存在は、事実無根の噂話に過ぎない。自分でそう仕組んでそう流した噂なのに、実際にそれを事実として話すのを聞くと、いつも変な気持ちになる。なんでどいつもこいつも、根も葉もない話を信じちゃうんだろう、って。
「それデマだけど」
言うとみのりは、目を見開いた。
「……へっ!?」
何その反応。何でそんなに驚くんだ。
「他校の彼女の噂って、そんな信憑性あんの? 変なの」
言うと、みのりは俺が気を悪くしたと思ったらしく、目に見えて慌てた。
「しんぴょ……って、そりゃあるよ! ありすぎるよ! ええっ!? 嘘!? あれデマなの!? 髪はさらさらのストレートで華奢で可愛くてモデルみたいな女の子とよく街歩いてるって……」
「誰だそれ? ……ねーちゃんか?」
俺はうなった。ああ、確かに、ふたつ年上の姉はたまに俺を買い物につきあわせたりするけど、それは彼氏がいないときだけだし、前回のだってもうだいぶ前だし。
「噂って怖えーな。年齢イコール彼女いない歴だよ俺、自慢じゃねーけど」
「嘘ォ!? じゃあなんでふるの! 中学ん時藤沢君、」
「みのりに言われたくねーよ。まあそれは、アトレンがいるからだったんだろーけど」
言うとみのりは硬直した。
そして、見る見る真っ赤になった。
「ちっ、違う!!」
「は?」
「違うよ! アトレンとはそんなんじゃない! そんな関係じゃない!」
その必死さに、思わず気圧される。なんでそんなに必死なんだ。
日本語で話しているんだから、もしここでの会話が誰かに聞かれたとしても、アトレン以外に理解できる人間はいないだろう。だから気にすることはないんだろうけど、周囲の目がちょっと気になる。それほどの必死さだった。
「……そーなの」
言うと、みのりはこくこくこくと頷いた。「そうなの」
まあ確かに、このふたりには、そういう甘い空気がまったくなかった。でも俺はそういう雰囲気に特に鋭い方ではないし、頭から恋人同士だと思いこんでいたから、違うだなんて思いも寄らなかった。
「……そう見えた……?」
不安そうに聞かれて、考える。
「いや、見えたとかどうとかっつーよりさ。異世界トリップ女子高生と王子様が……そっか。悪い。ごめん」
気づいて、俺は頭をかいた。そっかそっか、それは失礼なことだ。みのりは異世界にトリップした女子高生だが、そしてアトレンはそれによって助けられた? 王子様だが、だからといって恋に落ちなければならないなんて理屈はおかしい。
「ただそう思いこんでた。考えが足りなかった」
言うとみのりは黙った。また顔を上げて何か言おうとし、なんと言っていいかわからなかったらしく口を閉じ、しばらくじたばたして、最後になぜかため息をついた。
「……いえ、わかっていただければそれで」
「そっか」
いや、けどさ。なんなんだこいつ、と思う。
あれほどの美形で洗練されてて財産と地位があって、こんな豪邸に住んでて、性格は悪いが根性は悪くなさそうな人間と頻繁に会っていながら、全くそういう気持ちにならない、もの、なんだろうか? 以前に何かあったという感じもしなかった。アトレンの方はわからないが、みのりの方は、アトレンに恋心を持っているなんて誤解を受けたらこの世の終わりだ、とでも言いたげな様子だった。そんな嫌わなくても。可哀想な王子様だな。
しばらくして、みのりは呟いた。
「まあ、でも……そっか、デマなんだ」
「……は?」
「藤沢君、彼女いなかったんだ」
え、今さらそこ?
「そーだよ」
「そっかそっか」
うんうん、と頷いて、なんか、噛みしめているようだ。なんだろう。そんなに意外だったのか? 俺としては、自分で選んで播いた噂がこうまで強い力で誰かに作用するという事実がとても不思議だ。そして、気づいた。
「あ、でも、あんま学校で言わないで」
「え? それは……うん。でもどうして?」
「そういう噂があった方が好都合だから」
引かれるか? かもしれない、と思いながら、俺は正直に話した。何でか、嘘をつく気にはなれなかった。
「俺わかんないんだよね、誰かを好きになるって気持ちが」
みのりは息をのんだ。やっぱ引かれたか。だろうなあ、と思う。
「だから告白とか、困るんだよ。好きでもねーしこれから好きになれるような気もしねーからって正直に言うと、泣かれるし引かれるし。好きな子がいるからって言うと、どこの誰だって詰め寄られるしさ。それでまあ、そのうち、他校に彼女がいるようないないような、そんな感じにしてみたりして」
「あ……だから否定しないんだ。そっか……」
「いや」なぜかフォローしなければならない気がした。「俺の兄貴にものすごい女たらしがいてさ」
「……お兄さん? お姉さんもいて、藤沢君って、兄弟多いんだね」
「まーね。で、その女たらしが、バツ2でね」
「バツ……」
「子供も三人いて」
「へ、へー」
「前々妻との間に十五歳と十二歳、前妻との間に二歳で、今は独身なんだけど」
「……十五歳って!? ええ!? お兄さんいくつ!?」
「三十六」
みのりはよろめいた。「うちのおかーさんより年上……!」
そりゃショックだな。俺もなんかショックだわ。
「うち、ねーちゃんも多くてね。で、タラシ兄貴が前々妻さんと破局したとき、俺五歳で。それから今までずっと、ずっと、ことあるごとに、タラシ兄貴が今までどんな悪行を世の女性にしてきたかという武勇伝だか怪談だかをさ、ねーちゃんたちが代わる代わる俺に言い聞かせてきたってわけで。加えて去年の前妻さんとの破局がまた、いやー、ひどい修羅場だった。兄貴が家に逃げ込んできて、したら奥さんが包丁もって来て」
「……」
「あの人を殺して私も死ぬって、ほんとに言う人初めて見た。ねーちゃんたちが兄貴をよってたかって引きずり出して、さー気の済むまで刺しなさいとかって……」
「……わ、わあ……」
「結局刺さなかったけどね」
「よかった……」
「ねーちゃんたちが全員奥さんの味方して兄貴をつるし上げたから、最後には奥さんの方が、もう許してあげて! なんて言ってた」
しかし車座になって四方八方から冷たく陰湿に責められ続ける兄貴の姿は、確実に俺の心に何かを残している。
「まーそんなこんなで、いろいろ麻痺しちまったんじゃねーかな、と自分では思うんだけど」
「それは麻痺するね……うん。あたしも麻痺すると思う……」
おっと、引かれなくなったかな。良かった良かった。別のことで引いたからかもしんないけど。
「お姉さんたちも、藤沢君とお兄さんは別の人間なんだから、そんなに言い聞かせなくてもいいのにね」
同情までしてくれた。俺は苦笑した。
「あー、なんか顔がね、すっげ似てるらしいんだよね、タラシ兄貴と。すげー迷惑なんだけど」
言うとみのりはまじまじと俺を見、あああ、と納得したような呟きを漏らした。
「……なんで納得だよ」
「藤沢君のことじゃないよ。お兄さんの顔を想像しただけだよ」
「同じことだろ、それ」
「兄弟が多いって言うのも、いろいろあるんだね」
しみじみとした言い方に、そういえばみのりは一人っ子なのだ、と俺は考えた。俺の家はいつも騒々しかった。年の離れた姉や兄がつれてくる甥っ子や姪っ子も出入りしてたし、年の近い兄も姉もいて、いつも大所帯だった。親父の引退と俺の中学入学に合わせて今の町に引っ越してきたわけだけど、甥も姪も兄弟もひっきりなしに出入りする家には変わりなかった。一人っ子がどういうものなのか、正直俺には想像も出来ない。
その上、父親が――
そこまで考えて、俺はやっと思い至った。
そういえばみのりのお父さんって、リオニアにいるんだよな?
でもそれを聞くことは出来なかった。中庭に駆け込んできた人たちがいて、それもただならぬ慌てぶりだったからだ。みのりは目を見開き、彼らに声をかけた。それは、アトレンの護衛のダルスさん、それから、エレナちゃんだった。
「エルケッサ、ミノリサマ!」
エレナちゃんが大慌てで言った。次いでまくし立てられた説明を聞いたとき、みのりの顔から血の気が引いた。引く音が聞こえるような勢いで。
何かが起こったらしい。
起こそうかと思ったが、モフ美は既に目を覚ましていた。俺の頭をてふてふもんで、モフ美は言った。
(誰かが来たみたい。みんな慌ててる)
うん、それは見ればわかる。誰かが来た? 誰が来たんだろう。なんだか、ものすごく招かれざる客のようだった。
ひととおりの説明が終わったらしく、一瞬の空隙があった。
その後、みのりが言った。
「藤沢君……ごめん」
色を失った声だった。みのりがこんなに動揺したところを、俺は初めて見た。エノラスの手下に取り囲まれてもあんなに落ち着いてたのに。エスラディアの軍勢がエノラスを取り戻そうと総攻撃を仕掛けてきた、とか?
「……あたし、お風呂入る」
耳を疑うとはこのことだ。
「……は!?」
「ここのお風呂はねえ……温泉引いてあってね……ふふ……美容にいいのですよ……ふふ」
「……大丈夫か?」
総攻撃、とかいうたぐいの話ではない、よう、だな。
みのりはひとつ頭を振って、動揺も一緒に振り払ったようだった。
それから、早口で言った。
「ごめん、取り乱して。えっとね、やっぱあたしがここにいることがばれたみたいで。ダヴェン王弟殿下とそのお付きの方々が、今、町の外に到着なさったようなんです」
「ダヴェン……」
「詳しい話をしてる時間がないの、ほんとごめん。でも藤沢君には、ダルスがついててくれるって……」
「――――――、フジサワクン!」
ダルスが何か思いついたような声で言い、
みのりは一気に真っ赤になり、叫んだ。
「レッサ!」
「――ミノリサマ、フジサワクン――」
「レッサ! レッサ、――――、藤沢君――!」
みのりはまくし立てる。真っ赤な顔で。えーと、なんか俺に関係する話をしてるみたいなのはわかるんだけど。
(ふじさわに追い払ってもらえばいいって男の人が言ってる)
モフ美がのんびりと言い、俺は面食らう。追い払う? って、ダヴェンさんを? 俺が? 王弟って、王の弟ってことだよな? そんな人を俺が追い払えるわけないだろ。いや、そういえば、異人? は王子とかお姫様とか、そういう身分になるんだとか言ってたっけか?
(みのりはだめだって言ってる。ふじさわじゃない、絶対違う、だからふじさわに頼んじゃだめって)
俺じゃない? じゃあ誰なんだ、と反射的に思う。
「……なんか出来ることあんならやるけど?」
口を出すとみのりがぱっと振り返った。茹でたってこうも綺麗に赤くならないだろってほど顔が赤い。
「レッサ! ……いやダメ、絶対ダメ」
「何がダメなんだ」
「……とにかくダメなの! とにかく、あたしはお風呂に逃げる。何かあったら……あ! そっか!」みのりは叫んだ。「藤沢君、もしかしてそのモフオンに名前付けた!?」
「は? なんでわかんの」
「きゃ――――!」
長く尾を引くみのりの悲鳴。俺は呆気にとられた。なんなんだ、こいつ。どうなってんだ?
「ちっ、違うからね!? 藤沢君じゃないの、本当に! た、たた、ただ、ただっ、ほほ方便にっていうか……っ」
「話がぜんぜん見えねんだけど。なんかダルスさんが、俺に追い払ってもらえばいいって言ったことと、みのりがそれはダメだって言ったことくらいしか聞けてねえよ」
「そ……そっか」
言ってみのりは、我に返ったらしい。ぱたぱたと身繕いをして、こほん、と咳払いをした。
「と、とにかく、あたしはお風呂に逃げるね。モフオンは名付けの契約を交わし、今、藤沢君の使い魔になってるの。そっか、ならちょっとは安心だね。そっか」
みのりはやっと微笑んだ。
「ごめんね、大騒ぎして。藤沢君はダルスに案内してもらって? ダルスは藤沢君の剣を見て、盛り上がってたから、道場で手合わせしてあげたら喜ぶよ」
いやだ、と思った。だが言う前に、みのりはダルスに何か言った。モフ美が伝えてくる。
(ふじさわに、なにかを渡すって。あとで)
なにか?
(わかんないけど、なにか、本みたいなもの……?)
本? と思った頃には、みのりはエレナちゃんと一緒に走り出していた。本当に急いでいる。死にものぐるいで風呂場に逃げ込もうとしている、そんな様子だ。よほど苦手な相手なのだろう。そして、そうか、と思った。あの豪華な風呂なら一日入り浸るにも支障はないだろう、いろんな設備も整えられていたことだし。そして相手が男なら、風呂場では手も足もでない。いくら身分が高くても、風呂場に入り込んだら侍女さんたちが遠慮なく蹴り出せる。
「フジサワクン」
ダルスさんが促し、俺は逃げ腰になりそうな自分を叱咤する。剣の得意なガタイのいい年上の男だからって、暴れん坊兄貴のような傍若無人な相手とは限らない。逃げ腰になるのは申し訳ないってもんだ。
と、思ったのだが。
ダルスさんは、満面の笑みで俺の肩をがっしとつかんだ。
「タノモー!」
「……は」
「フジサワクン、ケンジョーズ! ソレガシ、テアワセ、オネガイシモウス! イザジンジョーニショーブ!」
ああ、やっぱり。
なんかね、そんな感じはしてたんだよダルスさん。なんかね、やっぱ、暴れん坊兄貴と同じにおいがしてたんだよ……。
俺はずるずると道場に連行されながら、考えた。
この人も初代国王雪之丞の演説で日本語をかじったのだろうか。
どんな演説したんだろう。すっげえ気になる。




