ある死神の物語(4)
ついにこの日が来てしまった…。
死神の脳裏にはそんな思いが駆け巡っていた。
死神が生まれ、彼女に初めて出会った日から誰の命も狩ること無く49日が経過した…。
この事実が意味することは、死神としての職務を放棄したことによる死神自身の消滅である。
厳密には、タイムリミットまでまだ時間があるが、今から新たに命を狩るべき対象を見つけるにはあまり時間があるとは言えなかった。
死神は困惑していた…。
このままでは、自分は消滅してしまう…。
だがもし、自分が彼女の両親の命を奪ってしまってはもう二度と彼女の前に立つ資格が無くなってしまうのではという不安が渦巻いていた。
普通の死神ならば、こんな感情に振り回されることもなく、淡々と仕事をこなすことが出来ることをその死神は知識としては知っていたが、自分には出来ないと感じていた。
一方で彼女はと言うと、今日は家族と共に近くの河原へバーベキューに行くようだ。
幸いなことに、ここ数日の天気は雲一つない青空で絶好の外出日和だった。
どうやら、前日から非常に楽しみにしていたようで、今現在も輝くような笑顔を周囲に振りまいていた。
そんな彼女の笑顔を見た死神は、自分が悩んでいたことも忘れ、只々嬉しそうに微笑むのだった。
もしこの場に死神の姿を見ることが出来る者が彼女以外にいたならば、愛する者に対して向ける微笑みを浮かべた天使の姿を見ることが出来ただろう…。
ともあれ、死神は残り少ない自分に残された時間を、彼女を見守りながら過ごすために費やすことを決めるのだった…。
そして、死神は着ている外套をフードまで深く被り、背中に自らの得物である大鎌を背負いながら彼女たちについて行くのだった…。
彼女の両親が車を利用して向かった先の河原は、町から少し離れた場所にあった。
河原には既にいくつかの家族連れがおり、バーベキューや遊泳などのレジャーを思い思いに家族で満喫していた。
多くの家族連れが来ている中、彼女はお気に入りのフリルが付いた水玉の水着で川の浅瀬を母親と共に泳いでいた。
水しぶきが太陽の光を浴びて輝くことで、彼女の笑顔をより綺麗に美しく際立たせており、死神も思わずといった様子で頬を緩めるのだった。
脳裏に通報案件という不穏な単語が過ぎったが、生まれてからまだ50日にも満たない期間しか生きていない死神に対して、人間の常識は通じないはずだと結論付けた。
もし少しでも肯定しようものなら、色々と取り返しのつかない事態になってしまうことを本能的に察知した死神は早々にその単語を脳内から追い出すのだった。
何はともあれ、彼女にとっても死神にとっても楽しい時間はあっという間に過ぎて行き、お昼近くになるのだった。
彼女たちの家族も昼食の準備を始めるため、濡れた体のまま川からあがるのだった。
そして、河原に来ていた人たちの多くが、野外での昼食の準備を始める中、一つの事件が起こった…。
「強盗だー!誰かそいつを捕まえてくれー!!」
男の叫び声が河原に響き渡った。
声がした方を見れば、やや離れた場所からこちらに向けて走ってくる、片手に女性物の小さなカバンを抱えた茶髪の若者の姿が見えた。
どうやら件の若者は、河原に来ていたどこかの家族の荷物を盗んだようだ。
なおも逃走する若者は、目の前の盗みが成功したことによる興奮のためか自分勝手な愉悦感に浸っている表情をしていた。
周囲の声に反応し、何人かが若者を取り押さえようと若者の進行方向に立ち塞がろうとする。
その様子を見た若者は、非常に不愉快そうな顔をするとポケットから小さなナイフを取り出し、近づく者に向けて突き出すように威嚇をし始めた。
若者の様子に取り押さえようとしていた者は、迂闊に近づくことは出来ず、若者はなおも足を止めずに逃げ続けるのだった。
「全員どけ―――!!」
若者はなおも怒鳴る様に、刃物を片手にこちらへと向かって来る…。
一連の様子を見ていた死神は、若者の命の灯に注視していた。
若者の命の灯の光を一言で言えば、酷く黒く濁っていた。
それは紛れもなく、死神が命を狩るべき対象を示す光だった。
その若者を見た死神は、心の底が無機質な物を見るような酷く冷たい気持ちになった。
死神としての本能がその若者が狩るべき存在であると明確に指し示しているのだろうか。
死神は自然な動作で、自分の得物である大鎌を若者の方に向けて振り下ろす様に構えるのだった…。
あと数秒もすれば、死神の大鎌は若者の命の灯を容易く刈り取れるだろう。
もしこのまま、若者が死神のいる方に向かって走り続けていれば、死神は何の躊躇いもなく鎌を振り下ろしていただろう。
しかし、そこで死神の運命も若者の運命も変える一人の少女の叫びが河原に木霊する。
「おねえちゃん、らんぼうしちゃダメ―――――!!」
少女の祈るような叫び声と死神が大鎌を振り下ろしたのはほぼ同時だった…。
次の瞬間、一人の少女が河原に倒れた…。