依頼
微かな人の声、窓から差し込む朝日に照らされて俺、柏木悠馬は覚醒する。
「また、あの夢か……」
……あれから、もう2年も経つというのにいまだ夢に見るとはな。
起床したのはいつもと同じ、朝日が完全に昇りきった頃だ。重い身体を引き摺って布団から這い出る。
眠い目をこすりながら、顔を洗うため洗い場へと向かい、鏡に映る自分の姿を見る。
適当に伸ばされた黒髪に、平均より少しだけ高い背丈。すでに20歳となるが、まだまだ成長は止まっていないと信じている。昔より遥かに筋肉質になった体を見て、あれ? 俺っていけてるんじゃね? と自画自賛。
朝飯を取ろうと食料を探すが、食材入れにはろくなものが入っていない。
昨日の夜、酒のつまみにあれこれ出してしまったのだった。
「はあ」
食卓に移動して、唯一残された白パンを頬張る。硬くておいしくない。
「もっといいもん食いてぇ」
自分の経済状況では無理なことを分かってはいても願わずにはいられない。
質素すぎる朝食を終え、だらだらと出かける準備を始める。たっぷり時間をかけて準備した後、今日も仕事へと向かう。
家の外は見慣れた町並みが広がっている。曲がりくねった街道に古臭いレンガ造りの家々。
3メートル近い巨体の男、ボロボロの服を纏った孤児、背中に大剣を差した女。すでに違和感を感じることもなくなった、それらの人々とすれ違いながら、目的地へと向かう。
今の俺の職業は便利屋だ。コネも技能も血筋も覚悟も何も持たない俺にできる仕事なんてたかが知れている。
代行、冒険者。そんな風に呼ばれることもあるが、それらはいくらなんで気取りすぎだと思う。少なくとも俺は便利屋で十分だ。
そんな便利屋家業の命綱とも呼べる建物が目的地だ。
俺たちがギルドと呼んでいるそこには、各地から多数の依頼が寄せられる。
到着したギルド内はいつもと変わらぬ様子だ。10人足らずの便利屋が依頼とにらめっこしたり、談笑したりしている。
俺はいつものように、確実にこなせる日雇いの依頼を一つ選び、張られていた依頼書を引き剥がして受付に向かう。いくつかある受付の中、俺が選んだのはお気に入りの受付嬢、アンリさんのいるところだ。
「アンリさん。今日もお疲れさまです」
「あらユーマ君、今日も遅い出勤でしたね」
カウンター越しに挨拶した俺に、アンリさんは皮肉気味に言葉を返す。
時刻はとうに昼を過ぎている。
社長出勤もいいところだ。
「朝は弱いんですよ。アンリさんが起こしに来てくれるなら、ちゃんと起きれそうなんですけどね」
「私にも仕事があるのよ。本当は毎日でも行ってあげたいところなんだけど、ごめんなさいね」
いつものように俺の軽口を受け流すアンリさん。
年上のお姉さんといった感じのアンリさんは俺のストライクゾーンど真ん中だ。美人のお姉さんはいつの世も正義だな。
「あ、そうだユーマ君。君に直接依頼が来てたんだった」
「俺に?」
不特定多数の便利屋に掲示板を通じて依頼されるのが通常依頼と呼ばれるものだ。今、俺の手にある紙切れなどがそれにあたる。
それとは別に直接依頼といって、特定の便利屋を名指しで依頼するのが直接依頼と呼ばれるものだ。それらは、決まって優秀な便利屋に難易度もしくは重要度の高い依頼を頼むときに使われる。
つまり……
「何かの間違いじゃないですか?」
俺に回ってくるはずがない依頼だ。
「いえ、冒険者No.3253、ユーマ。あなたで間違いないわ」
そういって渡されたのは、薄い赤色の紙……直接依頼の依頼書だ。そこには間違いなく3253と言う数字が判子されている。
「ほんとだ……依頼内容はなんです?」
「それが、妙なんだけど……この住所に来い。ただそれだけの依頼なのよね」
「はい?」
「おかしいとは思うんだけど、一応依頼だし……なんなら断ってもらってもいいんだけど」
アンリさんから住所の書かれた紙を受け取った俺は、住所を見て事情を察した。
「ああ、把握したよアンリさん。問題ない、受けるよこの依頼」
あの変態め、ややこしい手順を踏みやがって。まあ、こうした強制力のある方法でなければ赴くこともなかったかもしれないが。
「どういうこと?」
「こっちの話、アンリさんは気にしなくていいよ」
「ユーマ君ってたまーに不思議なとこあるよね」
「どうです? ミステリアスな男って、そそるものがありません?」
「ありません」
残念。
アンリさんに礼を言ってギルドを出る。その際に、一度引きちぎった通常依頼のほうの依頼書を返しておくことも忘れない。そちらの依頼をこなすのは出来そうにない。
平行で依頼を受けるのも珍しくはないが、今回はあの変態が依頼主なのだ。面倒ごとに決まっている。
「はあ……行くしかねえか」
気乗りしないまま、俺は書かれた住所に向けて歩き出す。
「久しぶりじゃないか、ユーマ! 元気にしてたかい?」
「そこそこな、変態も元気そうでなにより」
依頼にあった住所には、帝都ではあまり見ることができない豪華な屋敷があり、その一室に俺は通され、変態と久しぶりに再会していた。
質素な部屋だ。壁際にはいくらかの本棚に本が納められているだけで、外見に比べて内装はいまいちと言ったところか。ただ、足裏から伝わる絨毯の感触だけは上等なものだった。
壁一面に広がる大きなガラス張りの窓を背景に、執務机に向かっていた変態が、俺の登場を迎える。
「変態だなんて酷いじゃないか!ただ、僕は人よりも少しだけ素直なだけさ!」
やたらと声を張るこの男はアトラという商人だ。
腹立たしいことに整った顔立ちと、上等な服装から柔和な雰囲気があるが、変態だ。
「そうだ、紹介しておこうこの子はヘンリエッタだ。今は僕の秘書をしてもらっている」
アトラの紹介に合わせて頭を下げたのは、彼の隣にいた女性――背が高く、眼鏡をかけている。出来る美人秘書といった感じだ。うん、ストライク。
「どうも、ユーマといいます。こんな変態の秘書なんて大変っすね」
「いえ、これも職務ですから」
変態であることは否定しないあたり、この人もアトラのことを良くわかっている。
「本当はもっと、可愛い子に秘書をやって欲しいんだけどね」
「ヘンリエッタさんも十分すぎるほどの美人じゃねえか、文句言うな」
この男は何を言っているのかという目を向け合う俺たち。
「あのねえ、ユーマ。何度も何度も何度も言っているけど……」
ためを作ったアトラは椅子から立ち上がり、ポーズを決めて宣言する。
「女性の魅力は十五を超えたら地に落ちる!」
「てめえは地獄に落ちろ」
彼の言う十五とは年齢のことだ。
そう、このアトラという変態はどうしようもないほどの、ロリコンなのである。これが変態の変態たる所以だ。全くもって救えない。
「女性らしさとは無垢な瞳、可愛らしい背丈、穢れを知らぬ純情さにこそ宿るのだよ」
「抜かせ、年端もいかねえガキのどこがいいんだよ。女性と言えば、豊満な包容力、慈愛に満ちた心、大人びた精神だろうが」
「はっ!年増なんぞ、穢れた売女と相場は決まってる!」
「そんなもん一部だわボケ!手前の目は腐ってんのか?」
「ああん?」
「お?やるか?」
睨みあう両者に引く気は一切感じられない。
年下好きと、年上好き。
それは古来より男たちの間で幾つもの戦争を引き起こした原因とも言える業だ。人は愛ゆえに戦うのだ。ここにまた一つ、新たな戦記が始まろうと……。
「お二人とも、そろそろ仕事の話に戻りませんか? でないと私……」
俺とアトラは同時に視線を声の主、ヘンリエッタさんに向ける。
そして、凍りつく。
「怒ってしまいますよ?」
ヘンリエッタはいつの間にか取り出したレイピアの切っ先をこちらに向けて、にっこりと笑う。
「「すいませんでした」」
結論、男は女にかなわない。
「んで、まじめな話どうしたよアトラ。お前が依頼してまで呼んだんだ。ある程度は察してはいるがよ」
「ああ、うん。今回は一つ頼みごとをしたくてね」
執務机に置かれていた一枚の紙をこちらへ差し出してくるアトラ。
受け取ってから、その内容に目を通し、呟く。
「……王国への輸出品の護衛、ねえ」
「そ、結構重要度の高い荷物でね。君が適任だと思って声をかけたのさ」
「ふむ……」
「依頼料はギルドのほうに依頼した分と合わせて、100万コルでどうかな」
「そりゃまた、豪勢だな」
100万コルは元の世界で言うところの100万円くらいの価値がある。まあ、物価も大分違うからあくまで目安といったところだが。
「引き受けてくれるかい?」
本来ならギルドで受けた依頼はこの屋敷に足を運んだ時点で完了している。ここで引き返したとしても依頼料は手に入る。ならば、最初から護衛依頼にしとけと言う話だが、恐らくこの話には裏がある。
だからこそ、正規のルートでの依頼を避けてこうした面倒な手順を踏んでいるのだ。そのせいで、俺には有利な状況ができてしまっている。
何もせずとも金は入る。
だから、このアトラの依頼は受ける必要はないといえばない。
「ああ、いいぜ。詳細を聞かせてくれ」
それでも……いや、だからこそアトラの依頼を受けることにした。
「ユーマならそう言ってくれると思っていたよ」
「べ、別にこれはアンタのためじゃないんだからねっ!?」
「僕以外の誰のためだと言うのやら……」
「ユーマさん。少し、気持ち悪かったです」
「しまった! 好感度下げちまった!」
そう、これはアトラのために受けた依頼だ。
理由はいろいろある。まとまった金が魅力的だったのと、アトラに借金があること。しかし、悩むことすらなかった一番の理由は、この変態が俺の親友であるからだろう。
彼の頼みであるのなら、力を貸すのはやぶさかでない。
「ユーマ、あそこ見ろ! 超絶可愛い幼女が歩いてる! ナンパしにいこう!」
「…………」
友達、辞めようかな。