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姶良適時の最期

 

 月夜の下。

 満月の月が下界を照らす。

「もう、本当に面倒くさい。ああ嫌だ」

 不平を溢しつつ、周囲を見回すのは桜音次歌音。

 いや、今はWDエージェント、サイレントウィスパー。

 いつもよりも明らかに不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 時間は間もなく夜の十一時。

 彼女の側にはもう原型を留めてなどいない肉片が散らばっている。仕掛けたのは自分だったか、それとも相手からであったか。よく分からない内に戦いは始まって、そして終わった。

 擁した時間はおよそ三秒、といった所だろうか。

 相手がどんなイレギュラーを行使しようとしたのかもよく分からない内に決着した。分かるのは相手が接近を試みた事。それを制し、自分が勝利したこと位だ。

 歌音の音が文字通りに相手を粉砕した。

「あーあ、つまんない。今日はほんとつまんない」

 少女はそうビルの屋上で一人呟いた。

 それは誰も知る事のない戦い。



 ◆◆◆



「何ですって? ……今の提案は本当ですか?」

 思わず口調が変わるのは姶良適時。

 彼は今、とある相手と電話越しに話していた。

 時刻はもうすぐ夜の十一時半だと相手が言っていた。期限までたった三十分。それで自分は助かる。

 しかも思わぬ大物からの連絡、まさに最高だ。

「はい、では後程に……」

 その言葉を最後に通話は終わる。

 思わず小躍りしたくなる。

 ついさっきまで彼は生きた心地がしなかった。

 何せ、九条羽鳥とのゲームがまだ進行中なのだから。

 港での戦いは思惑通りとは到底言えるものではなかった。

 爪弾にしろ、デストロイにせよ、捨て駒に過ぎないとは言え、あまりにも不甲斐ない結果にしばしの間、唖然とした。

 デストロイは第三者、恐らくは九条のチームの一員らしき男に倒された。

 爪弾に至っては任務にすら参加していない。

 逃げたのかとも思ったが、電話の前に何者かに捕まる姿を発見。まず始末されたに違いないだろう。

 そんな中で不幸中の幸いと言えば、深紅の零が大怪我を負っていた事だろう。一体何者なのかは皆目見当も付かないが、ひとつ言えるのは、これで一番警戒すべき相手がここにはもう来れない事だ。

「まぁいいさ、誰だかは知らんが結果として足止めには成功したのだからな」

 珍しく、彼には眠気が襲って来ない。無理もない、緊張状態なのだから。もっとも、既に仮眠は済ませていたが。ストレッチも行ったし、後は残り時間をこの場でやり過ごす事だけだ。

 時間が判然としないのがじれったい。

 じりじり、とした空気に緊張感。

 そして無数の画面を凝視しつつ、その時を待つ。

「…………」

 いつまでも続くかと思われた時間。少し目を閉じてみる。



 ジリリリリ、

 その均衡を破ったのは、一本の電話だった。


「ん、いかん、寝ていたか」

 慌てて電話機へと駆け寄る。

 今時骨董品と言える黒電話。

 九条が時間の経過を探らせない様に用意した品の一つ。

 勿論、時報には繋がらない。

 息を飲み、その受話器を手にした。

「もしも、……」

 ──おめでとう。無事に生き延びたじゃないかハイシュミレーター君。

 おどける様な弾んだ声。まだ少年と思しきその声の主は先だって姶良適時と通話していた人物、すなわち”パペット”だった。

「これはパペット。で時間は……」

 ──ああ、もう三時を過ぎたよ。これでキミが処分される事は無くなった。おめでとう。

「いえ、こちらこそ嬉しいです」

 心から安堵した。

 この犯罪コーディネーターが電話をしてきたのは、スカウトの為だった。

 何でも、姶良適時の高度演算装置の能力を高く評価している人物がいて、その橋渡しを頼まれたらしい。

 条件は現在よりも遥かにいい待遇で、自由に歩き回る事も許されるらしい。自由に、という言葉が心地いい。

 当たり前の事を当たり前の事として行えるのだから。


 時間は過ぎていく。

 パペットとの話は実に有意義で、まさに素晴らしい提案だった。

 とは言え、WDから脱走する必要がある以上、今すぐには無理だとは伝えた。

 それに対してパペットは、問題ないと断言。その辺りの段取りはクライアントと話して調整するらしい。


 そうして何の問題も無くなった今、彼はとりあえず九条から委託されている監視をこなす事にした。

 脱走するにしても、疑われない様にするには恭順の姿勢を見せていかなくてはいかないから。

(なに、そう長い話じゃないさ)

 そう思いつつ、仕事に没頭する。


「お疲れ様でした」

 部屋に入ってきたのはぼったくりバーの店長だ。

 彼もまたWDの支援者。つまりは九条の息がかかっている。

 ただし、彼が姶良に挨拶をするのは店が閉店したから。つまりは時間は深夜三時過ぎという事。つまり、先程のパペットの話を裏付けた事になる。


「ああ、お疲れ様。また明日」

 姶良も普通に返事を返す。この店長はあくまで一般人。支援者とは言っても店のオーナーとされる彼の素性は知らない。

 彼が帰ればいよいよ、自由が近付く。

 そう思うと、心が浮き立つ。

 後は他の店員達が店の掃除をこなして帰るだけ。いつもの一日が終わる。

(デストロイや爪弾には少し悪い事をしたな)

 そう思いつつもにやけてしまう。細部こそ狂いはしたものの、大枠では予定通り。

「ま、最後くらいキチンと仕事をしてやるか」

 無数のモニターを注視。

 確か、九条に依頼されていたのは”連続狙撃犯”の調査だ。

 ここ数日でそいつが九頭龍一帯で猛威を振るっているらしい。

 狙われたのはいずれもWDエージェントらしく、全員が死亡らしい。そいつがどうも繁華街に潜伏しているらしい、という話を先日受けたのだ。


 そして二時間が経過した時。


 この店のある場所から八〇〇メートル程離れた繁華街の端っこにある取り壊しが決まった商業ビル。その屋上にて。小さな光が走るのを姶良適時は目敏く発見する。微かに黒い染みの様な何かが蠢いた様にも見える。

「ん? こいつは…………」

 そう言いつつも、監視カメラで埒があかない。そこで小型無人偵察機、つまりはドローンを飛ばして確認する事にした。

 通常の無人偵察機よりも遥かに静音性に優れ、機体の色を風景に合わせる事でステルス性も確保した機体が謎の相手へと近付く。

「ん? こいつ」

 するとドローンが赤外線カメラで捉えたのは今まさに銃口を何処かへと向ける何者かの姿が。その何者かが構えるのは明らかに通常の銃器ではない。ビルの屋上に誰か人が伏しており、狙撃用スナイパーライフルを構え、何者かを狙っている様だ。

 その方向を見て、姶良適時はギクリとした。

 その射線上には丁度この店舗がある。

(まさか、今さらこちらを狙うのは無意味だ)

 既に九条とのゲームは終わったのだ。

 もし仮に狙撃主の狙いが自分として、どうなるものではない。

 ここは店の一番奥。入り組んだ構造になっている店内。それには理由があり、ずばり狙撃対策である。入り組んだ通路は姶良適時を狙い狙撃を試みようにも標的の姿が見えず、断念せざるをえない。

 つまりはこのバー自体が姶良適時にとっての盾そのものであった。


 パアン、という風船を破った様な発射音。


 ドローンに搭載した集音マイクはその音を拾い、カメラは発砲する何者かを写し出していた。


 その終わりはひどく呆気ないものであった。

「あれ?」

 気が付くと、何かで額が濡れていた。生暖かい何かが顔を伝い、首筋から下へと伝っていく。

 気になってその何かを感じる箇所に手を備える。ヌルリ、とした何かは眉間から流れている。

「あああ、あああ」

 その穿かれた穴に気がつくとほぼ同時に彼はイス毎に後ろ向きに倒れた。

「…………………………」

 どくどくと流れ出した血はさながら血の池と化している。

 姶良適時はもう何も考えていない。考えようにも、もう何も考えられないのだから。身体もまたピクリとも動かない。

 こうしてハイシュミレーターこと、姶良適時は死んだ。

 彼は知る由もない。今の自分の状況は数々の人々の思惑が関与しているなどとは。現に彼は知らなかったが、今の時刻は深夜三時過ぎ等ではない。

 彼は知る由もない。

 今、時刻は丁度十二時を迎えた所で、九条とのゲームは今、終わった事を。

 この数時間の出来事全てが彼、その協力者達を仕留める為の仕込みであった事を、最早当人は知りようもない。



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