ゲームの提案
「ば、かな」
その光景を目の当たりにし、モニター越しで姶良摘示は一人青ざめた。
はっきりと目にしたのは、デストロイがいとも容易く倒された光景。しかも相手は武藤零二ではない。見覚えのない男だ。
その武藤零二は、というともうカメラの範囲から消えたが、何者かと交戦しているらしい。何者かは知らないがその点だけが不幸中の幸いだろうか。
「くそ、くそ」
そう独り言を言いつつ、パソコンを操作し、無数のモニターを切り替える。少しでも現状を把握するために。
予想外の事だらけだった。自身の”高度演算装置”の予測が完全に狂わされた事を実感する。
武藤零二だけならば予測通りにいったはずだというのに。
カタカタ、というキーボードを叩く音だけが暗室に小気味良く響く。
時間の経過が分からないのがもどかしい。姶良摘示に対して九条羽鳥の実施した幾つもの制限の中でも現在時間が不明瞭というのが今となっては一番の拷問に思えた。どういう理屈かは分からないが、モニター越しでさえ、時間は見えない。モザイクがかけられた様な状態になっているからだ。イレギュラーによる結果であることは明白であったが、一体どういう性質なのかが分からない。
「だがまだだ、まだ大丈夫だ」
そう、彼の”戦い”は続いていた。
デストロイが脱落したのは驚きではあったが、まだ自分には駒が残っている。
この戦いが表面化したのは今朝の事であった。
それは一本の電話が姶良摘示へ届いた事が始まりだった。
◆◆◆
──お久し振りです、【ハイシュミレーター】。
氷のように感情の感じられない声。その声を彼は聞き間違えるはずがない。
「ピ、ピースメーカー」
思わず息を呑む。一体何の用があって電話を入れてきたというのか?
幾つもの問題となってしかるべき事象が脳裏に浮かび、言葉が出ない。
──これ迄の貴方の【遊戯】は別に問題ではありません。
その言葉にいよいよ姶良摘示は戦慄、恐慌を来した。
あの氷の如き淑女は全て知っている。彼がほんの気分転換、気まぐれで始めた息抜きとしての犯罪コーディネーター業を。
金銭は受け取らず、自身はあくまでも裏からー犯罪を目にして楽しむだけの娯楽を。
ゴクリ、と唾を飲み込む。
「では、一体何の用があってこちらへ?」
精一杯冷静さを取り繕う。そんな事をしようとも電話越しの相手には無意味である事を失念する程に今の姶良摘示は焦りを感じていた。
──ですが今は違います。少々困った事に。
声の調子は相変わらず、淡々とした物だ。であるにも関わらずその言葉の端々から感じるのは”殺意”。既に幾度も心臓を刺された様な感覚を覚えた。鼓動が早まる。今にも止まるのではないか? と思う程に激しい動悸。
──貴方の立場は極めて微妙です。本来ならば処分するのが妥当でしょう。
淡々と口にした死刑宣告にいよいよ震えが止まらなかった。
だが、同時に妙な違和感をも抱く。でしょう、という部分だ。
死刑が確定であるのならば、です。というはずだ。
電話越しの声の主は無駄な事はしないし、口にもしない。
常に最適解だけを口にする。
だからこそ普段とは違うその語尾が気になった。
「何か、打開策があると?」
だからこその問いかけ。
対する平和の使者たる淑女からの返答は、
──打開策という程の事ではありません。これは提案です。貴方が生き延びる可能性についての。
本日、零時まで生き延びる事が出来たならば、貴方の処分を見合わせましょう。
その言葉はまさか、である。彼女は処分対象の自分に提案をしてきたのだ。
「一体どういう事です? 生かしておいても問題が増えるだけでは?」
無論、彼個人はこの提案ににべもなく飛び付きたい。だが敢えて疑問を呈する。そうする事で相手に侮られない様に印象付けるのが狙いなのだが、……彼女にそんな駆け引き等は無意味である。だからこれは姶良摘示個人が、自身を鼓舞する為の言葉に他ならない。あのピースメーカーに対して一歩も引かずに渡り合った、という状況を作り出す事で、自分を大きく感じたいという虚栄心。
つまるところ、姶良摘示という男は見栄っ張りなのだ。
それから改めて九条から説明を受けた。
今日一日を凌ぎきれば処分を見送る、そう支部長たる淑女は言っていた。
とは言え、無論九頭龍支部の総力を向けられては到底勝ち目等存在しない。そこで、彼女は口にした。
──こちらの札は”特命”のチームです。それ以外の人材はこの件には関わらせません。
そうはっきりと言った。
特命、それは一年前に彼を捕らえ、彼の仲間達を皆殺しにした連中。一年もあったから調べる時間は充分だった。
判明したのはチーム名は不明、と言うよりは名も無き部隊のようであるという点。普段はそれぞれが単独で動いている事も多く、能力は相当に高い。そしてそのいずれも九条羽鳥直属のエージェントであり、命令系統はその一本のみ。
九条が自己の判断に於いて、事態の早急な収束を望む時に動員される者達である、という事であった。
電話が切れた後に、姶良摘示は思わずにやけた。
一年前の借りをいつか返してやりたい、そう思っていた。
その機会があちらからやって来たのだ。笑みを浮かべずにはいられなかった。
特命の連中が何者なのかは結局不明、であった。たった一人を除いて。
一年前に自分を捕らえた、あの生意気な少年。
一日としてあの顔を忘れた事は無かった。
「武藤零二、ようやく殺せるな」
くくく、と声が洩れた。
そう、彼はこの一年間単なる暇潰しだけで無名のマイノリティを探していた訳ではない。
彼が求めたのは、あの生意気な小僧を殺せるだけのイレギュラーを持ったマイノリティであった。
そしてその筆頭こそがデストロイであった。
あの圧倒的な破壊を目にした時、思わず見惚れた。
理不尽な迄の破壊。あれだけの暴虐を行えるのなら、零二を殺せる、そう思った。
ハイシュミレーターで幾度も予測した。
確かに、彼一人では零二には及ばなかった。
確かに一人では勝てなかった。
だが、それに”匹敵する”マイノリティが他に数人いればどうだろうか?
そして姶良摘示は見つけ出したのだ。
売り出し中の殺し屋。元陸上自衛隊のレンジャーだった大男。オリンピック候補にもなった狙撃手。最後に脱獄してきた死刑囚の老人。その五人を得た上で計算し直す。
そうして出た回答は彼の満足出来る物であった。
如何に強いマイノリティではあっても、彼らとマトモにぶつかれば間違いなく殺せる、一人、二人は返り討ちに会う事は避けられないだろうが。
デストロイは壊す際の悦楽を、他の連中は名声を欲していた。
彼ら全員に共通する事は、武藤零二という標的は実に魅力的であった、という一点だった。
当初は五人中三人を振り分けようかと考えていた。
だが、それを二人に変更したのは、このゲームのルールが自分が生き延びる事だったからだ。
姶良摘示が一番恐れたのは、あの暴虐の化身たる不良少年。
この一年、調べては見たがその過去の経歴は殆ど判明しなかった謎の多い相手。
結局判明したのは、経緯は分からないが、あの怪物じみた少年が、WD内部の”上部階層”からも敵視されているという事。確認したが信じられない額の懸賞金が懸けられていた。一体何をしたらこういう事態になるのか、考えたくもない。
とにかく、零二が特命のチーム最強なのは間違いないだろう。
要は最強の敵を期限内に近付けなければいいのだ。
最悪、デストロイ達が死んでも仕方がない。
非情な話だが、これは自己の命を懸けたゲームだ。
死んだら終わり、…………だから。
姶良摘示は自身の防護を優先したのだった。
「ふん、誰でも来ればいい。こっちの手駒は万全だ」
そう暗室で一人ごちた。




