ライトトゥダークネスpart3――暗器と児戯
「く、っっっ」
痩身の青年は舌打ちする。
理由は簡単で、目の前にいる相手に自分の攻撃がさっきから通じず、思わず苛立ちを覚えたから。
零二は何も特別な事をしている様子もない。
ただ、飛んでくるであろう攻撃に対して、個別に対応しているだけ。
ここに仕掛けた無数のトラップだが、その多くは弓矢や、槍を射出するという類の物だ。
痩身の青年のイレギュラーである”ライトトゥダークネス”は元々は今、触れている物を透明に出来る、という物だった。
彼の実家では物がいつの間にか何処かに行くという出来事が多く、家族はいつも苦労していた。
◆◆◆
答えに気付いたのは、小学生の頃だ。
学校の帰り道でいじめっ子に小突かれ、怒りを覚えた。
それは決して悪意があった訳ではない。
ただ落ちていた拳程の石を掴んで投げた。
いじめっ子は野球をしていたからあの程度は大丈夫、そう思った。
だが……、
その石は消えた。いきなり何もないかのように。
そうして次の瞬間、目の前には飛んでくる石。
完全なる不意打ち。
その予期せぬ投石に子供が対応出来うるはずもない。
ゴツリ、という鈍い音。
いじめっ子の額が割れた。初めて見る、他人の血を。
大泣きする同級生の顔。悲鳴、涙………。
(怖い、怖い、怖い)
そう思っている内に頭の中は真っ白になり、倒れた。
家族は薄々その透明化に気付いていたらしい。
それでも、今までは問題もなかったから黙っていた。
だがこうして被害が出た以上、一緒にいられない。
そう言われた。
そして、彼は家族が調べて見つけた研究者に預けられた。
その研究者は、マイノリティについて説明してくれた。
自分が持つ力を、上手く活用できればきっと役に立つ。
そう言われ、様々な実験にも付き合った。
そこでの暮らしはそう悪くはなかった、研究者はマトモな人間で、悪い事はしっかりと怒ってくれた。
だがいつまでもそんな時間は続かなかった。
研究者が倒れた。詳しくは分からないが、重病らしかった。
研究所はそのままなし崩し的に閉鎖され、彼は白い箱庭へと行くことになった。
そこは、非人道的な実験を繰り返す最悪の研究所。
自分同様の年頃の子供達が日々、命を失い、奪う。最悪の場所。
彼は、主に投薬実験を受けたから、戦闘訓練には参加せずに済んだ。もしも、あんなのに参加していれば命が幾らあっても足りなかった事だろう。
だから内心ホッとした。
自分はこんな場所で死なずに済むのだ、と一人。
思えば最低だった、そう今は思う。
我が身かわいさに様々な悪徳を見て見ぬふりをしていたのだ。
最低で、最悪だと思える。
だからこそ、二年前より彼は自身のイレギュラーを徹底的に鍛えた。
結局のところ、イレギュラーの強さとは如何にその能力が強力無比であるか、それからその精度の二点に尽きる。
前者は訓練どうこうの話ではない。そもそもの素養だ。
だが精度は違う。これは訓練を重ねる事でそのレベルを上げる事が可能だ。
ライトトゥダークネスはそうしてよりその精度を増した。
触れている間だけだった”透明化”は手を離した後も持続出来る様になった。最初は一秒程だった時間も今では三十分。
これにより、痩身の青年の戦闘準備は整った。……はずだった。
「くそっっ」
聞こえてくるのは相手の舌打ち、罵声。
だがそんなのは零二には関係のない事だ。
彼が意識を払うべきは、自分へと向けられる”音”だけ。
最初こそ意表を突かれた。
まさかあれだけの武器を”隠しておける”とは思いもよらなかったから。
シュン、という風を切る音。音の方向は、
(右後ろ、それも下狙いってトコか)
零二は迷わずに右手を振り降ろす。速度でいうなら決して速くないその一撃は丁度膝の手前でバキッ、という音を立てる。
(狙い通りってトコだな)
かたん、と落ちた視えない矢の音を聞いた。
相手の攻撃が目測出来ないので、速すぎても迎撃出来ないのが難点だな、と思う。
(まぁ、いいや。迎撃がムズいなら避ければいいだけだろ)
零二は淡々とした様子で意識を集中させ、耳を澄ます。
今度はシュバン、という音。
(矢よりも音が大きい、……手槍だな)
今度は横っ飛びする。
その直後に脇腹を何かが掠めてシャツが破れた。
(ちぇ、少しミスったか)
舌を突き出し、苦笑いを浮かべる。
「くそ、何故躱せる?」
そんなはずはない、そう思いたい。
だがそんな偶然で、さっきから仕掛けた無数のトラップを悉く躱せるはずもない。
間違いなく、零二は意図して躱しているに違いない。
(くそ、これならどうだ)
指を軽く前に引く。その指からは極小のワイヤーが伸びている。その糸の先にはトリガーが付いており、それが動く事で対応する武器が放たれるのだ。要はただそれだけの至って単純な仕掛けだ。
ワイヤーも特殊加工が施されており、極細でありながら正確に幾度でも動かせる。
誰かが言った、戦いとはその前の準備で決する、と。
その通りだと0359、或いはライトトゥダークネスは思う。
特に彼の場合は、如何に有効な武器を事前に隠しておけるか、そしてそれらを有効に活用出来るのかに、その全てがかかっていると言っても過言ではないだろう。
要は彼の武器とは”暗器”なのだから。
見えない事にこそその意義があるのだから。
だからこそ、彼の戦い方とはその保持しているイレギュラーの性質も合わせた上で”暗殺”が最も有効となる。
幾度目かの暗器を躱した後に零二は尋ねた「なぁ、アンタ。……何で正面から戦うンだ?」と。
さっきから、いや、今朝の襲撃から疑問を感じていた。
「【透明化】だろ、アンタのイレギュラーってのは?」
そう、それで間違いないはずだ。
あの白い箱庭で一度だけ訓練の相手になった事がある。
始まった途端にいきなり、目の前から相手が消えたのには驚いた。不意を突かれて幾度も殴られたものの、そこまでだった。
零二の戦闘経験は他の追随を許さない程に豊富だ。
だからこそ、彼はこの箱庭で最初期からずっと生き延びてきた。
小さな世界だが、彼はこの箱庭の中で最強の肉食獣。
その生存本能、彼の経験が相手への対応策を考える。
(見えないなら、視えてしまえばいい)
そして身に付けたのが”熱探知眼”だった。
視えてしまえば何て事のない相手だ。
アッサリ逆転し、そこで時間が来た。
(そうだ、その時に02は言ったんだ)
それは去り際。ふと相手が横切った時。
相手は言った。
──その内に一回手合わせしようぜ。オレと思いっきりな。
全身が痛かった。リカバーは発動していたから傷も塞がっていく。なのに、こんなにも痛いのは初めてだった。
それにたった今、手合わせしたじゃないか、とも思った。
正直いってふざけんな、と思った。
だが、何故02がそう言ったのかを、ライトトゥダークネスはそれからしばらくして理解した。
それは、初めて目にした光景。
そこは箱庭の中でも最も大きな施設。
大きく開けた天井。ドーム型の建物には観客席があり、さながらそこはイベント会場の様だ。
実際、そこはイベント会場だ。
ただし、そこで繰り広げられるのは歌手によるライブコンサートでも、サッカー等のスポーツイベントでもない。
純然たる殺し合いだった。
その日見た光景は0359という実験体の脳裏に深く、深く焼き付いた。
驚く程に野蛮だった。
互いにマイノリティ同士、少し位では傷は即座に塞がる。
自然、戦いは時の経過と共に凄惨かつ壮絶な物へと展開する。
そして生き残るのは一人だけ。
片方は必ず死ぬ。それがルールらしい。
(な、なんだよこれ? みんなおかしい)
恐ろしかった、何が恐ろしかったのかというと、殺し合いもそうだったが、その犠牲者も、加害者も自分と同じ位の少年少女だったという事だ。彼らは躊躇いもなく互いを殺し合った。
そして知った、02の言葉が。
あんな訓練はこれに比すれば、児戯だと。
(いやだ、いやだいやだ)
心からそう思ったその時。
ワアアアアアア、という一際大きな歓声が会場中で響き渡った。




