幕間――過去から現在、小さな約束
「残念だが……君は助からない。これ以上、……手の打ちようがないんだ。すまない」
医師にそう宣告された。彼は本当に無念そうにそう口にした。
それは死刑宣告とも思えた。いや、実際死刑宣告なのだろう。
ぼくの身体は死病に侵されていた。身体中の臓器が機能不全を起こしつつあるのだそうで、どうしようもない。と言われた。
医師はこちらを警戒している。無理もない、この医師はぼくとは違い、あくまでも一般人なのだ。ふとした事で簡単に死ぬ、か弱い存在なのだ。
この医師は闇医者だ。
だから仕事柄患者の中に常人ではない者がいる事がある。という訳でマイノリティの事は知っている。その為の安全策として、特殊加工された強化プラスチックで患者との直接の接触を最小限にしよう試みるのは至極当然の事だろう。一応その強度は防弾ガラスよりも上で、PDWの斉射にも数秒間は耐える仕様だそうだ。大した意味は感じない、でも仕方がない。彼はぼくとは決定的に違う存在なのだから。彼は人間、ぼくはマイノリティ、……バケモノの一歩手前の半端者なのだ。
全てが変わった。
全てが終わった。
そして、全てが始まった。
二年前の、あの出来事からぼくは生き延びた。
目の前に焔が渦巻いていた。その色は様々で、真っ赤、ピンク、オレンジ、黄色、黄緑に白、そして黒い。
あの焔は全てを灼き尽くした。
そう、あれは単なる火事とは違う。
ぼくは目にした。目の前で瞬時に燃え尽きた同類の姿を。
たった一歩程の違いで、内部から燃え尽きた者、外部から灼き尽くされた者、蒸発する者、とその死に方は様々だった。
一人としてその亡骸は残らない。炭にすらならない。塵芥へとなり空気中に溶け込んでいく。
濃厚な”死の匂い”。ぼくもすぐに死ぬ、そう思って目蓋を閉じてその時を待つことにした。
あっという間に死はぼくを包み込む事だろう。
(そうさ、その方がいい。ぼくみたいなバケモノ擬きはここで)
そう思い、静かに消えようと思ったんだ。
でもぼくは死ななかった。
何故ならぼくは助けられたから。
彼は何が起こったのかを正確に把握していた。
そして知らされた。
あの地獄がたった一人の、あの02のイレギュラーの暴走によるものだと、そう知らされた。
そして眼下に拡がった光景に息を呑む。
そこは何もかもが”消えていた”。
山と山の中腹にあった広大な敷地。周囲を取り囲む様に存在していた深い森が跡形もなく消えている。文字通りに草木一本残らずに、全てが消えていた。
だが、それよりも…………あの白い箱庭。
初めて目にした時、眩しさすら感じたあの白い地獄。
何も無かった。
正確には建物自体は無傷で残っている。だけど、そこには今や何も無かった。
それに不思議な事にあれだけの焔だったにも関わらず、焼け跡が残っていない。まるであの焔など何もなかったかのように。
でも周囲の木々は違う。箱庭を囲むかのように鬱蒼とした森林は一本残らずに消え失せた、燃え尽きたのだろう。
でも、灰一つ見当たらない。
山と山の中腹は何も無い世界。
生き物の気配はない、だって何も無い。
(そうか、死の世界)
不意にそう思った。見た事なんか勿論ない。でもその回答はごく自然に浮かび、納得出来た。
「………あ、あいつ…………!!」
そんな死の世界にたった一人残された命がある。
まるで豆粒みたいに小さく見える。だが、周囲に何もないのが幸いしてかその姿はハッキリと見える。
それは見覚えのあるシルエットだった。
見間違えようもない。
「02…………生きていたのか」
その呟きにぼくを助けた彼は近付くと手で先を促す。どうやらこの場から離れるつもりらしい。
微かに音が聴こえる。空に目をやると、無数のヘリコプターがこちらへ向かって来るのが分かった。
遠目から見ても分かる、そのヘリには左右に砲門らしき物が見えるから。さらに幾つかのヘリからは幾人もの人らしき何かが降り立っている。いずれも真っ黒な服装をしている。
「ジャッカル」
彼が呟き、舌打ちが聞こえた。
どうやら、ジャッカルというのが降り立っている連中の名前らしい。
そうしてすぐに事態は動く。
轟音が轟いた。
まるで大気が震える様な音。振動。火花。
戦闘が始まったのだ。
驚いたのは02は明らかに訓練を受けた軍隊に全く動じずに圧倒していた事。
だが、連中も予測はしていたらしく、即座にヘリからバルカンでの銃撃や、ロケット弾での重爆撃に攻撃の主体は切り替わる。
さらに何処から調達したのか、爆撃機まで駆り出す。
その爆撃は凄まじく、地形がみるみる変わっていく。
そうして、たった一人を相手にするのにはあまりにも過剰とも言える火力がそこに投下され、爆発時の衝撃波がこちらにまで向かって来た所で意識を失った。
意識を取り戻した時、場所は一変していた。
そこは東北のある地方都市。
そこには、彼の知り合いがいるらしく、そこで面倒を見てもらう事になった。
彼もまたぼくらよりも酷い怪我をしていたが、それでも誰よりも早く傷を癒すとすぐに出かける事になった。
”しばらく留守にする。お前らはゆっくりと傷を癒すといい”
そう書き置きを残して、何処かへと。
ぼくらは勧めに従って傷を癒しながら、身の振り方を考えた。
だが既に分かっていた。
ぼくらはもう、表の世界には戻れないのだと。
もう、生きていくにはなりふり構わずに行くしかないのだと。
二週間程して彼が戻ってきた際に、ぼくらは結論を伝えた。
もう、表の世界には未練はない。だからアンタの為に何でもする、と。
──いいのか? 此方に来ると裏にすら居場所がなくなるかも知れないぞ?
ぼくらはもう覚悟を決めていた。
だから迷わずに首を縦に振った。うん、と。
それから二年。
彼と共にぼくらは密かに戦った。
敵は大勢いた。
でもぼくらは負けなかった。敵とは違い、こちらは団結していたから。そうして様々な相手を倒し、出し抜き、上に上にと登って。
今の位置を彼は得た。
戦いは終わった、と彼はそう言った。
でも誰もが彼の元を去ろうとは思わなかった。
だってそうだろ? もうぼくらは”家族同然”なんだから。
そんな矢先の事だ。
ぼくの身体に異変が起きたのは、
とかく身体が重い。疲れが取れない。休んでも休んでも全く調子が良くならない。
食べても食べても栄養が取れずに、日に日にやつれていく。
自分自身の姿を鏡で見る度に実感した。
これはもう”助からない”のだと。
彼は伝手を当たってマイノリティの事を知っている医者を探し出してくれた。その結果が先の宣告だ。
詳しい原因は分からないらしい、見た事もない疾患。
だが、ぼくもみんなも分かっていた。
これはあの白い箱庭での様々な人体実験の副作用である、と。
あの地獄では様々な投薬を受けた。
身体中を無理矢理弄ったのだ、その反動が来ないはずがない。
それが今、自分に来ただけだ。どのみち、大勢の人を手にかけたのだ、だから今度は自分にその番が回ってきた、それだけ。
だからそう、割と素直に受け入れる事が出来た。
ぼくはいよいよ死病の影響で身体にがたが来るようになった。
彼も、みんなもぼくを心配してくれた。
このままベッドの上で死ぬのも悪くはない、そうまで一時は思った。でも、ふと思ったのだ。
(このまま静かにただ死ぬ、それでいいのか?)
それで思ったのだ。
一つだけ、たった一つだけやり残した事があったと。
それは、白い箱庭に入ってしばらくの事。
ぼくは”約束”した事を思い出した。
あそこでぼくに話しかけくれた彼との小さな約束を。
──その内に一回手合わせしようぜ。オレと思いっきりな。
そう、約束したままだった。
だから、ぼくは病室を抜け出した。
そうだ。全てはあの時の約束を果たす為。
ぼくは自分に出来うる全てを用いて、02の敵として立つ。
(そう、全てをかけて向き合おう)
そう誓って……ぼくは九頭龍へと向かうのだった。




