刺客
「くがははははっっっ」
暗闇を裂くように笑い声が轟く。
獲物がこちらに気付いたのか振り向くのが見える。
だが、男には関係無い。
気付かれようとも構わずに殺す。
いつもの様に獲物を叩き潰す、ただそれだけの事だ。
デストロイ、と呼ばれる男にとって、この時間こそが最高の時なのだから。
走り、詰め寄りながら右腕をメキメキ、と変異させていく。
「ぐがあああああああ」
叫び声と共に右腕を叩き付ける様に放つ。
獲物はそれをマトモに受けた。
軽い、まるで小石でも投げた様に軽い。
ガシャアアアアン、という破壊音。倉庫の窓に突っ込んだらしく、中にある荷物が崩れる音がする。薄暗い暗闇の中、散らばるガラスの破片が僅かな月明かりに照らされ、何とも美しい。
「たてよ……まだ死んでいないだろ?」
デストロイは笑いながら相手に話しかけた。
その声に反応したのか、相手はすっ、と立ち上がった。
「だよな、楽しませろよ【武藤零二】」
グヘヘ、と下卑た笑いを浮かべるデストロイ。そう、破壊者は楽しみにしていた。最高の獲物をこの手で潰すこの時を。
だが、
「悪いな、人違いだ」
その返答は予想外だった。
「あ、何を言ってる? お前がここに来るって聞いたんだぞ?」
「…………」
沈黙がその場を流れた。
獲物は何を思ったのか? おもむろにズボンのポケットからガサガサと何かを取り出すと火を付ける。
ハァーー、という息遣い。それと同時にモクモクと口から出るのは紫煙。どうやら煙草を吸っているらしい。確かにその仕草は十代の少年のそれとは違う。
「お前………だれだ?」
デストロイはここに至り、目の前にいる相手が聞いていたのとは別人だと確信した。
「ん? ああ、単なる警察官兼殺し屋だ」
何とも軽い言葉だった。
そこに差し込む月明かりが、獲物を照らし出す。当然ながら獲物である武藤零二ではなく西東夲。無論、その相手を破壊者は知るはずもない。
デストロイは明らかに動揺した。
ならば狙うべき獲物は一体何処にいるというのか?
「おい」
声をかけられたと思った瞬間。
デストロイは後ろに転がっていた。
「くお、っっっっ」
姿勢を立て直して、敵を睨み付ける。振り向くと自分の顔面を蹴り飛ばしたらしい。
「余所見してる場合じゃないぜ──」
死にたくないならな、と言うと西東は前へと踏み出す。
「くがははははっっっ、なめるなあっっっ」
デストロイも口から泡を飛ばしながら突っ込んでいった。
◆◆◆
その光景を見つめている者がいた。
距離にしておよそ百メートル。
そこは停泊中の貨物船の甲板。
「やってるやってる」
零二が双眼鏡で戦闘の始まりを眺めていた。
これもまた、九条からの指示によるもの。
彼女は先だってあの倉庫近辺で殺された蛸の足取りを追跡させた。具体的には、追跡用の探知機を零二に交戦時に取り付けたのだ。
あの小競り合いは、蛸を敢えて逃がし、敵の動きを見るのが目的であった。
結果として蛸は殺害されたものの、殺害現場は把握出来た。
それにカメラに顔を決して映さない相手を見た九条は、犯人はここのカメラについてよく知っている人間と判断。
結果として、殺害現場側の倉庫をかつて所有していた商社の社長の息子である木上大兵が浮かび上がったのだ。
木上大兵は、年齢二十二才。
現在は無職。
以前から精神的にやや問題があるとされ、十六才時に過失とはいえ殺人を犯した。その際に精神鑑定も行ったのだが、過度の攻撃性を持っていて、危険である、という鑑定結果も出ていたらしい。
だが、その結果は何故か事前に取り下げられ、彼は情状酌量の余地あり、という理由で外に出てきた。
どうも父親がそういった息子に不利な証拠を裏から手を回して使えなくしたらしい。
それで父親の尽力も手伝い、木上大兵は求刑よりもかなり甘い判決で事なきを得たそう。ま、ここまではまだいい。被害者家族は納得しないだろうが。
もっともそうした父親の尽力も無駄だったのかも知れない。
世間からの目は厳しく、彼ら家族は徐々に追い詰められていったらしい。
息子の起こした罪の重さ。そして周囲の冷ややかな視線を受け続けたからだろう、精神的に不安定になった父親は事業の運営に支障を来たし、遂には倒産の憂き目に有った。そして自殺。母親は父親の転落を横目に離婚。結果として、木上大兵は一人となった。
かくして、精神的に不安定かつ暴力的な危険な人物が一人残された。
その後、彼は親戚連中からつまはじきにされ、今に至る。
大まかにはそういう事だ。
つまはじきにされてから、今までの時間の間にマイノリティとなったのだろう。その辺りの調査は出来なかった。
トーチャー曰く、
──誰にせよ、犯人がイカれてるのは間違いないよ。
との事だ。あの拷問嗜好者をして、あの哀れな蛸男の殺され方は異常だそう。原形を留めない程の損壊。その上、殺した後に弄んだ形跡もあったらしい。マトモな精神状態で出来る事ではないのだそう。
本来であればああいう力押しタイプのマイノリティに対しては、零二がぶつかるのが常だ。
向かってくる相手に対し、正面突破でブッ飛ばすのが零二のスタイルだから。
しかし、今の彼は傍観者。それが九条の指示だ。デストロイとか呼ばれてる相手は西東夲に任せておく。そして零二自身は待つのだ。
見ればデストロイと西東は徐々に距離を取っていく。
零二の視界から遠退いていく。
(ま、西東の兄さンが負けるイメージはない、だから……)
だから問題ない、問題はここからだ。
不意に零二の背後。背筋にヒヤリとした悪寒を感じる。
何を思ったか、零二は前に飛ぶ。ブアッッッ、という彼にはお馴染みの音。そう、これはナイフのような鋭利な刃物が獲物を狙った空振りの音だ。
「へっ、来やがったな──」
零二の口角が大きく歪む。それは罠を張り獲物が引っ掛かるのを待っていた、言うなれば蜘蛛が自分の張り巡らせた状態で待ち受けていた所、まんまと餌となる”獲物”が来た事を喜ぶ、そういう笑みであった。
「貴様……待ち伏せていた、そういう訳か?」
男の声。相も変わらず一見するとその姿は見えない。
だが、零二は相手が来た事で熱探知眼を使用。
今朝と同様に熱源を持った痩せぎすな誰かのシルエットが浮かび上がる。
「ああ、待ってたぜ。アンタをな」
零二がこの港の殺人現場に来る、という情報が流れたのは三時間前の事だ。
正確にはその情報が流れたのは九頭龍支部内の通信班にのみ、であった。彼らは知らない、その情報が自分達にしか流されていない事を。
「ま、なんつーかさ、ウチの姉御の思惑通りってワケだよ」
へへ、と不良少年は鼻を親指で軽く弾く。
今頃は通信班の何人かが拘束された事だろう。
そして、あの拷問嗜好者たる少年が手ぐすね引いて待っているに違いない。九条羽鳥の事だから、既に証拠も集めたのかも知れない、いや集めた事だろう。じゃなきゃ、通信班の中でも特定の人員にだけ意図的に通信を流したりはしない。
「らああッッッッッ」
零二の叫びと共に繰り出されるは右腕での腕刀。
いきなりの強襲に相手は意表を突かれその一撃は首へと直撃。
大きく後ろへと転がっていく。
「く、ぐうっっ」
男は転がりながらも態勢を整える。
零二は敢えて追撃をかけない、相手の底がまだ見えないからだ。
「ま、ややこしかったぜ。最初はアンタがコマンダー、姶良摘示の仲間かと思わされたからな」
でもよ、と零二は付け加える。
「そうじゃねェンだろ? ……姶良摘示と、アンタは何の関係もない。ただ単に便乗したってワケだよな?」
「そこまで調べられた、という訳か?」
「いや、コイツはオレの憶測さ、どうだい?」
僅かな時間、沈黙が場を支配した。
「成程な、噂で聞いていたよりも随分と頭が回る様になったな。随分と、【昔】よりも賢くなったな」
感心した様な声の響き。
だが、零二は今、相手が妙な事を口にした事に気付いていた。
「アンタ今、何を……」
言いかけて、相手はその姿を見せた。
「言ったンだ…………?」
零二は思わず息を飲む。
そこにいた痩身の男に彼は見覚えがあった。
そう、それは──、
「久し振りだな【02】
あの”白い箱庭”にいた、そして……二年前に零二が殺したはずの男だったのだから。