つまはじき者
零二が九条に呼び出されてからおよそ半日後。
時間は間も無く夜の七時を回る。
夕日は水平線へと沈んでいく。オレンジ色の鮮やかな光が途絶え、代わりに空は暗く染まっていく。雲が多い為か月はまだ見えない。そうした中で、
港には一人の人影があった。
そこは一日前に謎の惨殺事件があった場所。
あまりの凄惨さに何人もの警官が吐いてしまう程に酷い現場だった。そこには黄色い規制線が幾重にも張り巡らせてあり、ここが犯罪現場である事は傍目からも明白だろう。
「…………」
その人影は規制線に触れる事もなく、こうして中に入っていた。
無言で煙草を取り出すと、ライターで火を付けて一服。
紫煙をゆっくりと長く長く吐き出す。まるで深呼吸でもするかの様に。
この辺りは港でも隅にあるせいか人通りは普段から極めて少ない。人影は、周囲を改めて見回す。
被害者はここまでどうやって来たのかを知る為に。
事件前後に車が一台映っていた。
だが、そこには一人の姿しか映っていない。
恐らくは加害者だろう人物の姿だ。
だが、それだけだった。
その前後に於いて被害者とおぼしき人物はついぞ映らなかった。
つまりは、被害者は事前に”現場”にいたのだ。
そして、被害者は移動手段を持っていなかったと見るべきかも知れない。だと考えるならば、相手は被害者と顔見知り。
そう考えれば、被害者の肉片や残骸からは、というよりはこの殺害現場にはある物が欠けていた事にも説明がつく。
(ここは綺麗すぎる。まるで無抵抗だ)
つまりは被害者と加害者は知り合いだったのではないか?
まず間違いないだろう。
そう思いながら紫煙を吐き出す。
と、「煙草は身体に悪いって教わンなかったかよ」とそう声をかけられる。見知った声だ。
「いたか、いつからだ?」
「さっきからかな、夕日が沈むのを屋根から見てたし」
「気配を断つのが上手くなったな随分と」
「そうかよっっ、……と!」
その人物は倉庫の屋根から飛び降りる。
まだ十代の半ばだがいつもながらにふてぶてしい、と降りてきた零二を見ていると思わずにはいられない。
「ンで、そんなゲンバケンショーってので何かが分かるのかよ。西東さんよぉ」
そこにいたのは西東夲。
九頭龍警察捜査九課、表向きには存在しない捜査班であり、その担当は異常特殊犯罪、つまりはマイノリティ犯罪専属の刑事だ。
同時に彼にはもう一つの肩書きがある。
それは、WD九頭龍支部所属のエージェントである、という物。
彼もまた、九条が直に指示を出す人員の一人であり、今回の件には表向きにも、WDとしても関わっていたのだ。
「いや、正直いってあんま分からねぇさ。何ていってもマイノリティ犯罪に常識なんか当てはまらないからな。単なる暇潰しみたいなもんだ」
西東は、はは、と笑うと煙草を携帯灰皿に押し込む。
零二はこの刑事らしくない刑事を割と気に入っていた。
彼は九頭龍支部で嫌われている。理由は彼の前歴に起因する。
彼は二年前までWDではなく、WGに所属していたのだ。
彼の専門は暗殺、つまり汚れ仕事を受け持っており、彼の手で始末されたであろうWDエージェントはかなりの数に及ぶそう。
そんな彼が何の心境の変化かWDへと鞍替えしたのだ。
WDという組織が個人主義の強い、排他的な物であっても身内を始末して来た人物をおいそれと信用するはずもなく、色々と嫌がらせを受けているのだそうだ。
そういう状況を見るに見かねたのか、九条がこの暗殺者を直属にしたので、状況は少しは改善されたらしいが、それでも一部から敵視されているそうだ。
それに対し、
──ま、当然だな。俺はそういう仕事をこなしてきたんだから。寧ろ、そんだけ嫌われているってのは連中に怖がられてるって事だ。
それにそんだけ俺の腕がいいってのが周知されてる訳だし、面倒が減っていいかもな、却ってさ。なあ?
あっけらかんとした様子でそう声をあげたこの男に零二は興味を抱いた。
西東も、この不良少年にして九頭龍支部の問題児には興味があったのか、気が付くと色々と話す仲になっている。
要は互いに脛に傷を持つ者同士だった、という事なのだろう。
片や、寝返って来たとは言え、それまでに多くの身内を手にかけてきた暗殺者。
片や、敵味方の区別なくそこにいた数百人ものあらゆる命をこの世界から消し去った悪魔の化身。
結果として、組織の上部階層からすら命を狙われ、賞金までかかっているのは公然の秘密であり、その賞金欲しさに外部の殺し屋にまで命を狙われる賞金首の少年。
共に経緯こそ違えどつまはじき者だった。
今日も、零二がここに来たのは九条からの伝言を伝えに来たのもあったがそれ以上にこの兄貴分と話をする為でもあった。
「ほらよ、差し入れだぜ」
零二はそう言うと後ろ手に持っていたビニール袋から何かを投げて寄越した。西東がそれを受け取ると、カサカサとしたアルミの音。その包みを剥がすと「おお、美味そうじゃないか」そこにはトルティーヤが包まれていた。
「アンタ前に好きだっつってたからよ、買ってきたぜ」
零二も、ガサゴソとアルミを外して頬張る。
不良少年が九頭龍駅前のベーカリーでこのトルティーヤを買ってきたのはおよそ二時間前。
本来ならばとっくに冷めてしまうはずのそれは、未だに出来立ての様な温かさを持っている。
原因は簡単で、零二が手にしていたから、だ。
彼の今のイレギュラーは熱操作だ。
そしてそれは単に自分自身にだけ影響を及ぼす類いの物ではない。そう、例えば自分が手にした温かい方が美味しく食べられるとある南米のファーストフードとかの熱を”逃がさず”に保温するといった事にも使える。要は”保温力”が高いのだ、零二は。
「零二、何か飲むもんないか? 美味いんだがチリソースが辛くて喉がひりついちまう」
西東がひー、と悲鳴をあげた。
そう、零二が買って来たトルティーヤは大きなウインナーに特製チリソースがたっぷりとかけられていて、スパイシーというには些かパンチが効いているのだ、強烈に。
今頃は、あの兄貴分の口の中は火事にでもあったかの様に大パニックだろう。そう思うと零二はほくそ笑む。彼自身、一度この特製トルティーヤには苦汁を舐めさせられたのだ。
西東は笑ってはいるが、顔色は真っ赤。おまけにだらだらとした汗がとめどなく流れ出している。
(へっ、もういいだろ)
零二のイタズラもここまでだった。
ひー、ひーと口の中が大火事であろう、西東に再度投げて寄越したのは金色に輝く缶飲料。
プルを引くと、プシュ、という炭酸が抜ける音。その飲料をぐい、口の中一杯に思いっきり広がり大暴れな辛味を炭酸で洗い流す。何とも言えない爽快感が口の中を、そして喉を通り抜けていき──、「「ぷはーーーーっっ」」という声を洩らした。
因みに、インカコーラに関しては零二が別の袋に入れておりそちらにはドライアイスを詰め込んでいたので元々よりも冷えていた。
その、きーんとした冷たさが激辛チリソースで火照った身体を冷ましていく。それがまた、何ともいえずに爽快だった。
「いや、驚いたスッゴいなぁ、あれ」
「だろ? そこの所を見越した上で、インカコーラを用意しといたオレに隙はない」
「インカコーラね、結構イケるなコイツも」
「だろ? オレのお気に入りってヤツさ」
「さて、そろそろ本題に入ろうぜ零二」
西東は表情こそ笑ったままだが声の調子を変えた。
「いいぜ、九条からの伝言だ……」
零二も同様に話し始めた。かくして夜が始まる。