仕え方の差異
「ンで、……こんな朝早くから一体何なンだよ。姉御」
謎の襲撃を退けてからおよそ二十分後。
零二は九条羽鳥の前に立っていた。
僅か四階上に来るのに随分と時間がかかったのには理由がある。
エレベーターにはカメラが付いており、何かしら異常があったのはすぐにはっかくしたのだが、肝心の敵の姿がよく見えなかった為、零二が洗脳されているのでは、という懸念を抱かれ、やむなく検査を受けている内に時間が経過したのだ。
一応、戦闘らしき行為があった事はエレベーターの非常停止と、それからすぐに感知された”揺れ”によって既に予測されており、零二が上に着く頃には詳細の調査が始まっていた。
そうしてそこから色々と質問を受け、こうして今に至る。
カチャリ、ティーカップの音が部屋に響く。
そのカップをゆっくりとした所作で口にするのは、部屋の主である九条羽鳥。
紅茶の香りが零二の鼻孔を突く。
香ばしく、芳しい香り。
こう見えても零二は紅茶もいける口だ。
コーヒーはバーでマスターが挽いた物をよく飲んでいる。
紅茶については、実家でよく嗜む。一緒に出されるケーキが本当に美味い。実家に行くのを恐れている零二がそれでもたまに戻るのは、紅茶とケーキを堪能出来るティーパーティを楽しみにしているからだ。
(いや、それが無きゃ誰があンな怪物のいる屋敷になンか寄り付くかってのさ)
その言葉を怪物こと、加藤秀二に思いっきり言ってやりたい、だが、言うと後が怖いのでいつも黙っている。
あの後見人にして師匠に対しては、正直いってどうも少々ヘタレな零二である。
九条が尋ねる。
「それで、子細ありませんか?」
「何ともないって、見ろよ、ケガしてる様に見えるかい?」
零二は苦笑しつつも、その場でクルリ、と回って見せる。
「大体大袈裟なンだよ、たかが一人誰かが入ったくらい──」
言いかけて割り込まれる、
「──貴様等どうでもいいのだ、何処で野垂れ死にしようとも一向に構わん」
吐き捨てる様な口調。
割って入ったのはシャドウ。
いつの間にいたのか、という疑問はこの人物に当てはめても無駄だ。この九条の懐刀たる青年はいつでも、どこにでも上司の傍に姿を潜めているのだから。
彼の優先事項はあくまでも自身の上司である九条羽鳥の身の安全のみ。その為であるならどんな犠牲も決断も顔色一つ変える事なく即断する事だろう。
相変わらずの敵意剥き出しの態度に零二もチッ、と舌打ちする。
彼らは共に互いを忌み嫌っていた。
零二からすれば、相手は自分の”意思”を持たない”空っぽ”のくだらない男。
逆にシャドウからすれば、零二は余分な”感情”に揺らぐだけの愚か者、やがては上司にすら歯向かうであろう”獅子心中の虫”といった所か。
だがそれでも表立ってぶつからないのは、この場には第三者が、九条がいて、今も二人を見ているからだろう。
彼女からすれば、二人共に大事な”駒”なのだ。どちらが欠けてしまっても困る。
だから口に出す事はなくとも、静かながらも二人を眺めている。傍観者、として。
だが、それでも充分であった。今、二人はこうしてギリギリの所で踏み止まっているのだから。
「シャドウ、冷静にこの部屋での戦闘行為は禁じています。
クリムゾンゼロ、あなたは事の深刻さをもう少し鑑みるといいですね。迂闊な行動がいつか取り返しのつかない出来事を招くかも知れないのです。自省をお願いします」
九条は睨み合う両者を嗜める。口調はあくまでも淡々としたもので、その思惑、感情を察する事は出来そうもない。
しかし、この場に於いて効果はあった。その言葉を受けて、二人はプイ、と互いに顔を背けた。だが、とりあえず剣呑な空気は収まった。今の今まで殺気だっていた空気が収束していくのが肌で感じられる。
「シャドウ、説明をお願いします」
九条の指示は絶対だ。嫌々ながらもその言葉に従い、説明を始める。
「ち、……いいか、このビルのセキュリティレベルは極めて高い。
少なくとも単なる侵入者が偶然入り込める代物ではない。お前がバカでもそれくらいは理解しているはずだ?
だが、お前を襲った刺客はそういったセキュリティに一切引っ掛からずに待ち受けていた。分かるか?」
「…………ソイツが凄腕のセキュリティのプロか、もしくは内部に内通者がいる可能性があるってか」
「そういう事です。ですので現在支部に在籍するすべての人員の裏を洗っています。しばらくは警戒体制です」
零二もその問題点を分かってはいた。あの敵がここのセキュリティを突破した、という事は。ただ、それをここでぶちまけても仕方がない、そう思って特に何かを言うことも無かったのだ。
(それに、だ)
そう、あの相手は暗殺に失敗したと判断するや即座に逃走をした。その迷いのなさが彼の警戒心をこれ以上なく煽った。
(また来るな、ありゃ)
ハッキリとした素顔を見た訳でも無かったが、あの痩せぎすの殺し屋はまたチャンスと見ればいつでも襲ってくる事だろう。
そう思うと、思わず笑みが溢れていた。何も知らない他人が傍目から見たなら、その獰猛な捕食者の様な好戦的な笑みにさぞや怯えた事だろう。
「ま、それは分かったよ。でもさ違うンだろ? ……メールやら何やらで連絡を入れるのじゃ、【ダメって】事か?」
零二は話を切り替えた。
そう、今、彼がここにいるのは、目の前に座る九条羽鳥からの呼び出しによる物だ。詳しい用件は会って直に話す、そう聞いていたのだ。
その問いかけに対しては九条も頷く。つまりは肯定である。
「ええ、メールや電話では【漏洩】の危険があったのです……」
もっとも、と言うと、九条は彼女にしては珍しくその口元を歪ませる。日頃から彼女を見ていなければまず判断するのは極めて困難であろう、だが、確かにその口角は吊り上った。とは言え、自嘲する様な、皮肉めいた笑みではあったのだが。
既に零二も理解していた。
そう、敵には動きが筒抜けだった、少なくとも零二に関してはまず間違いなく。何せ、待ち伏せされていたのだから。
こほん、と咳払いを一つ入れる。
それは、この不良少年なりに精一杯の気遣い。
零二が切り出す。
「敵を教えてくれよ……」
と、ハッキリと。
「可能性が極めて高いのは……貴方も知っている人物の名前です」
九条は零二を見据える。
零二は構わねェ、と言わんばかりに頷く。
「姶良摘示。一年前に貴方が確保したマイノリティです」
九条の言葉に零二ははて、と考え込む。右手、その親指で自分の顎先を軽く擦る。これは零二の癖だ。何かを思い出そうというしている際の仕草だった。
そうしているの内に姶良摘示、については、
「一年前に…………ああ車と一緒にブン殴ったヤツだ」
その時の事を思い出して手をポン、と合わせた。
「あ、それで結局ソイツはどういうイレギュラーを使うンだっけか? オレは聞いていなかったぞ、確か」
零二が九条から依頼されたのはただ一点。
画像の人物を”殺さずに捕らえる”という事だけだったのだ。
「貴様、四の五の言わずに……」
シャドウが前に進み出る。相変わらずの無礼な態度に怒りの沸点を吹っ切ったのだ。彼自身自覚している、自分が目の前にいる零二に関してだけはどうにも怒りの沸点が低い、という事に。
だが、それがどうした、と思う。
零二は”駒”だ。自分自身も含めこの支部の人員全てが彼女という絶対の頭脳の手足に過ぎない。くだらない雑念を持つ必要などない、ただ黙って従えばいいのだ。
(それを、あの言葉遣いに態度……許せん)
それは、盲目的でこそあれ、ある種理想的な仕え方ではあった。
だからこそだろう、彼は武藤零二を認められない。
誰に対しても我を通し、ズケズケとした物言いを平然とした様子で行うあの少年が許せない。自分とは真逆の存在、決して認めてはいけない存在だから。
「シャドウ、貴方の忠義は高く評価しています。しかし、抑えなさい今は……」
九条はそう言うとティーカップを上に掲げた。
「……貴方に【アールグレイ】を淹れてきて欲しいのです。宜しいでしょうか?」
「分かりました」
シャドウに拒否、という選択肢は存在しない。頭を下げると、すーっとその姿を消した。
「あー、そのなンだ。悪いね姉御」
零二は少し罰が悪そうに苦笑した。
自覚はあるのだ、自分の他人に対する接し方に多少の問題があるのを。だが、そもそも礼儀作法とは無縁の世界で生きてきた。
それを二年やそこらで払拭するのは難しい。
「構いませんよ、シャドウには彼なりの信念があり、貴方には貴方なりの【生き方】が存在するのです。
私はそれを否定も、肯定もしない。ただ、あるがままを受け入れるのみです」
九条のこういう考え方こそ、零二が自分では彼女に勝てない、と思わせる由縁だった。
達観したその考え、境地。ある種仙人みたいなとらえどころのない存在に自ずから敬意を持っていた。もっとも、傍目から見たならそうは見えないかもだが。
「さて、では話をしましょう。姶良摘示、【ハイシュミレーター】について」
そして、九条は話を始めるのだった。




