朝の定番
朝日がその姿を見せ、空にはまばらに雲が流れていく。
そんな爽やかとも言える空模様の中、朝が得意ではない少年がノロノロ、とした足取りで歩いている。
「ふあああーーーあ、あーあ眠い」
盛大なあくびをしつつ、如何にも眠そうにその目をしばたかせる。
零二はまだまだ夢うつつの気分だった。
その右手には、ついさっき駅近辺で買ったばかりのバーガーとその包みを、左手には缶ジュースを持っており、忙しなく食べ歩いていた。
ちなみに、両手にある品々は不良少年の好物だ。
バーガーはビーフのパテにアボカドとレタスの組み合わせ。
あのバーガーショップはトッピングをチョイス出来るのが特徴であり、零二の好みが上記の三つ。ソースはBBQソース。これを齧り付くのだ。噛みごたえのあるオージービーフに、濃厚な味わいのアボカド、そしてシャキッとした食感のレタス。三つの組み合わせがたまらなく好きだ。
そして、このバーガーの余韻を流す為に左手にあるのは、”インカコーラ”。別名で黄金コーラとも呼ばれる南米、特にペルーで大人気の炭酸飲料である。
味わいはお馴染みのコーラよりもやや甘め、それでいてスッキリとした飲み終わりで、口はサッパリとする。
ハマったキッカケは二年前。零二がたまたま、繁華街にあった輸入雑貨店で見つけたのだ。
それ以来の大好物だ。なので、バーにある自分用の冷蔵庫にはミネラルウォーターとこの南米発の炭酸飲料がぎっしりと詰め込まれている。これを朝に一本、夜に一本というのが彼のお気に入りのパターンで、今朝の分はつい今しがた、駅の側にある酒店で買ってきたのだ。すっかり馴染みになりつつあったので、店主が姿を認めるなり出して来た。よく冷えており、目覚まし代わりには丁度いい。
これが最近この駅を利用した際、ツンツン頭の不良少年の定番の食い合わせになりつつあった。
時間は朝の六時半、はっきりいってまだ早朝だ。
今日も駅に人はまだあまりいなかったので、電車も快適そのものであった。
昨日は散々だったな、とか思いつつ不良少年は真っ直ぐにWD九頭龍支部である、民間警備会社の入っている高層ビルへと足を運ぶ。何でも、九条から話があるらしいとの事だ。
基本的には他人の言うことを聞かない零二ではあるが、自分の上司であり、尚且つ命の恩人の頼みともなると流石に無下には出来ない。
ここで断ったりでもすれば、流石に不義理だと柄にもなく思ってしまうのだ。
ここのエレベーターは、上下左右全面がガラス張りで外が丸見え。
正直いってあまり趣味がいいとは思えない。
零二の場合は特段、高所は好きでも嫌いでもないのだが、人によってはこのエレベーターからの景色は間違いなく恐怖であろう。
最も、地上三百メートルの高さを存分に堪能している者もいるらしいが。
このビルは現在の所、通称”塔の街”と呼ばれる超高層ビル群の中で一番の高さを誇っている。
とは言ってもビルに入っているテナントは全体の三割でしかない。
原因はあまりの急発展に建造計画を前にして、参入する企業の数が単純に足りないから、と言うのが”表向き”の口実だ。
実際にはこのビル丸ごと一棟がWD九頭龍支部である。
警備会社のオフィスが入っている階が中心部であるのだが、その下にあるテナントも調査を丹念に行いながら辿っていけば、最終的には九頭龍支部がスポンサーであったり、その協力者が代表を務めていたりといった具合に一本の線で繋がっている。
入っているテナントの業種も医療機器を販売する会社であったり、防犯グッズの販売会社、または先端技術の開発を行うベンチャー企業等、イレギュラーやマイノリティに関連する。
医療機器はそのままズバリ、マイノリティ用の医療機器を開発しているし、防犯グッズというのは対マイノリティ用の装備の開発を部門。先端技術に関しては訓練及びに研究所、といった具合だ。
そして、ビルの七割をも占めるテナントが入っていないフロアは、訓練スペースであったりする。
VR訓練が主で、フロアに応じてその設定は銃弾や砲弾が飛び交う戦場であったり、人気のあるスクランブル交差点での暗殺、などと大きく異なる。
勿論、外からは単にガラス張りの空っぽのフロアに見える様に細工をされており、その結果としてここは常に、最先端の防弾対策を備えている。
そして最上階はヘリポートであり、常にヘリが待機している。
待機理由は九条羽鳥が多忙を極めていて、時間短縮を兼ねて、移動にはヘリをよく用いる為だ。
とまぁ、至れり尽くせりなオフィスビル、それがWD九頭龍支部であった。
チーーーン。
甲高い音を立てて、エレベーターの扉は開く。
「ン?」
零二は訝しむ。扉が開いたというのに、目の前に誰の姿も無かったからだ。
「何だよ、仕方ねェなぁ」
零二はやれやれ、とばかりに肩を竦め、扉を閉じる。
そうして再度動き出したエレベーター。
あと四階で警備会社のオフィスといったフロアに、辿り着く前に零二は突然緊急停止ボタンを押した。
ガタン、という音と、それに伴う揺れがエレベーターを緊張状態へと誘う。
「さって、と。で、…… いるンだろ?」
振り返った零二は意味ありげに笑いつつも、誰もいないはずのエレベーター内にて声をあげる。まるですぐ側、この密室内に誰かがいるかの様に。
当然、誰もいないその密室内に返答があるはずが…………、
「バレてたか、なら仕方がないな」
声がした。
間違いなく声が、返答が返った。
零二は迷わず右拳を空に向けて放った。
ガタン、エレベーターが再度揺れる。だが今度のはさっきとは違う。ブレーキの様な制動に伴う衝撃ではない。
「くぐっっ」
声は呻いた。相変わらず姿は見えないが、間違いなく声の調子から相手は一撃を受けたのだろう。
零二は「へっ、上等」と言うと口角を吊り上げる。
「チ、分が悪いか」
その声からは僅かに動揺が伺える。相手は訪ねる。
「お前、【視える】のか?」
「ン? ああ、生憎とオレの目は【熱】を視るコトが出来る。
ってなワケでさ、オレに【姿を眩まして】も意味はないぜ、何せアンタの姿はもう分かっているからよぉ」
そう零二はエレベーターが急に止まった時に”違和感”を覚えた。
しかしハッキリと感じ取った。微かながらも潜んだ”殺意”を。
諸事情によって常日頃よりその命を狙われる彼は、自分へと向けられる殺気や戦意には人一倍敏感である、だから感じ取れる。
だからこそ、不良少年は自身のイレギュラーを使用したのだ。
具体的には、熱探知眼で狭いエレベーター内を眺めたのだ。
するとそこにいたのは、身の丈は恐らくは一八〇、体重は六〇キロといった所か、頬の痩けた、ひどく痩せた印象の男。
ピク、と零二のこめかみに幾本もの青筋が浮かぶ。これは熱探知眼を使った際の副産物。
その上で、まるで死人の様な相手めがけて、右拳を叩き込んだのだった。
だが相手も只者ではなかった。
繰り出された右拳を両腕で、正確には両肘で遮ったのだ。
「っくっっ……」
驚く他に無い。自分がみえていた事に。そしてその繰り出す拳に。
男は自身の不利を悟った。
迷う必要はない。男にとって、戦いというのは一方的なものでしかなかった。彼のイレギュラーは自分の姿を見えなくさせる、という物だ。そしてその真骨頂は至近距離からの”無音殺人”。つまり先手必勝とならねば成らない。
だが失敗した。
目の前にいる少年は思っていた以上に油断ならざる相手だった、とそういう事だろう。
「成程……出直そう」
その男はそう言うと、エレベーターの強化ガラスから”すり抜けた”。そうしておいて軽く二百メートル以上はある高さから飛び降りたのだ。
その光景には思わず零二も目を見開く。
「へっ、…………マジかよ、おい」
そしてどうやら面倒な相手に狙われたと理解しながらも、笑うのであった。




