幕間――姶良摘示
この世には分相応という言葉がある。
それは真実の事だと思う。
よく言うだろ? この世には自分に出来ない事なんて無いって。
何故なら人には無限の可能性が眠っているんだよ、とか言われた事はないか?
薄々別ってるんだろ? ……そいつは真っ赤な嘘だって。
だって考えてみろよ? どんなに努力したって全ての人類が百メートルを九秒台で走れるかい?
努力したって、全ての人類がIQ二〇〇になれるかい?
答えは勿論ノーだ。当然ながらな。
分かったか?
この世界は決して平等なんかじゃない。
天才に凡人が勝つなんてのはマンガの世界さ。
何故だって?
考えても見ろよ、何かの物事に於いて頂点を極めるような連中はその物事を”継続”してきたからこそ頂点へと登り詰めたのさ。
そして継続するにも理由が必要だ。
そう、周囲からの評価さ。
そりゃあそうだろうさ。
誰も認めない様な物事に真摯に向き合えるか? まず無理って物だろうよ。
何が言いたいか? ああ、悪い悪い。どうも日頃穴蔵に籠りっぱなしのせいか無駄に話す癖がついちまってよ。
なぁに、君に仕事を頼みたいんだよ。
薄々は分かっているはずだ、自分が普通じゃないってな。
それは君が優れた存在だからだ、そんじょそこらにいる様な有象無象とは違ってね。
君には優れた力がある。どうだろう、それを鍛えてみないか?
◆◆◆
相手は嬉しそうな表情で立ち去っていく。
バカな男だな、そう姶良摘示は蔑む様な視線を立ち去った相手へと向けていた。
ちなみに相手に対応していたのは姶良摘示ではなく、金で雇ったホームレスだった男だ。
勿論、そのホームレスだった男にも姶良は顔を見せてはいない。
彼には代理人を介して面接した上でこう説明をさせておいた。
君はこちらの言う通りに。話してさえくれればいい。他人を助けるのはイイコトだろう?
こういう風に説明をさせて、金をちらつかせれば簡単に相手は落ちる。そういう手合いを選んでいる訳だし、そもそもホームレスの生活に戻りたくはないから、彼らは従う。
彼らは自分の雇い主についてこう思うらしい、何かの怪しい宗教か何か、だと思うそうだ。
何にせよ好きに解釈すればいい。
どの道、彼らはそう遠くない内に”いなくなる”のだから。
別に構わない。彼らがいなくなる理由もまちまちだ。
例えば調子にのり始め、もっと金の額を釣り上げようと試みた結果としてこの世からおさらば。
または、単に姶良を追いかけて来る連中に殺されるか、或いは拷問を前に嘘八百を吠えた末に見逃されるか、だ。
何にせよ、姶良にすれば些末な事なのだから。
「……はあ、息苦しいな」
思わず愚痴を漏らす。彼はこの状況に、心底嫌気を覚えていた。
息が詰まりそうな気分だった。
だが我慢するしかない。
何せこの穴蔵にいるのが彼が生かされている条件であり、存在理由なのだから。
彼は自分の仕事が結局の所、武藤零二というあの生意気な小僧の監視者に過ぎない、そう思ったがそれは違う、とすぐに否定した。
そう、自分は監視カメラの代わりの代替品に過ぎないのだ……この方が正しい表現に違いない、とそう思った。
そう、そもそもは暇潰しの余興に過ぎなかった。
如何にも人生に絶賛惑っています、みたいなおめでたい奴等に適当な言葉を言ってやるだけの。
それがいつの頃からか、……孤立したマイノリティを相手にしていた。
彼らの大半は自分には得体の知れない力が宿っている事を本能的に理解しており、それが周囲から孤立の原因だ。
だからそういう連中の場合は流石にホームレスに任せて等おけない。だから電話越しとは言え彼自身が対応する事にしているのだ。まず第一としては、彼らがどういったイレギュラーを持っているのかだ。コレばかりは単にカメラでの映像では分からない場合もあるので仕方がない。
それから次にする事は自分に自信を持たせる事だ。
その為にはイレギュラーを使わせるに限る。
自分の持った才能が何であり、それがどんなに役立つのかを実感させるのだ。
初めは些細な悪戯程度の事からだ。
例えばちょっとした悪戯程度の事……例えば電流操作能力ならば、自販機にちょっとした悪戯をさせてみる、とか。
(そう言えばあの子供……誰だったか、どうしてるか)
姶良摘示にとって駒繋喜楽里少年は完全に遊び。
やがては少しずつ大きな仕事をさせるのもいいが、今はまだ早い。子供、というのは案外印象に残りやすい。
当然だ、子供は大人ではない。
大人であれば周囲に溶け込むのも可能な場面でも子供は溶け込まないし、却って目立つ。
それは彼のハイシュミレーターがまさに無意識下であの少年を見つけた事からも明らかだ。
たまたまだった。
普段は監視しないショッピングモールをその日彼は何の気なしに眺めていた。
単に気分転換のつもりだった。
(それにしても、……よくやる)
思わず感心する。
大勢の買い物客が列をなして動いている。
どうやらタイムバーゲンが始まるらしく、その順番待ちでこの長蛇の列らしい。
彼のハイシュミレーターがこの後に起こるであろう狂乱に満ちた様相を想起し、思わず苦笑。
本当に馬鹿馬鹿しい光景で、くだらない。
たかだかバッグにどれだけ執着出来るのか、と思った。
それからも施設内のあちこちを眺めて見てはハイシュミレーターで結果を予測。笑い転げそうなのを我慢の連続。
ストレス解消に笑うのは良いそうだから、今のこれもストレス解消にさぞや役に立った事だろう。
そうしていた時だった。
自販機の側に子供がいた。
別に自販機の前に子供がいても何もおかしくなんかない。
だが何かが、気になった。
その子供は周囲から見ても浮いていた。
周囲の同年代の子供達が一部の例外を覗き、概して楽しんでいる中、その子供だけは何だろうか、暗かった。
それは迷子になったとか、トイレが我慢出来ない、または欲しかったオモチャを買って貰えなくて拗ねているのとも違う。
その子供が自販機を軽く蹴った途端、ジュースが出てきた。
それも続々と、溢れんばかりに様々な種類のジュースが。
姶良は確認していた。
あの子供が自販機を蹴った際に、微弱ながらもその足のつま先から電流が流れたのを。
それは一瞬過ぎてまず分からないだろう。
だが視界に入った事ならその人数分が全て脳内に入るだけ。
その中で姶良がキーワードを思うとそれに応じて浮かび上がる、こういう仕組みだった。
正直言って駒繋喜楽里を探すのは苦労した。
この少年が住んでいる地域は監視カメラが少ない場所で、なかなか探し出せなかったのだ。
もっとも、姶良にとって他に暇潰しの種はある。
蛸というケチな窃盗犯に大掛かりな盗みを指導したり、
名前は忘れたが、人探しをしていた少女には交換条件として今度楽しませてもらうつもりだった。
彼が交流し、それとなしに誘導しているのは今は六人。
全員がマイノリティで、その存在はWGにもそしてWDにも知られていない。
彼には計画があった。
彼ら、知られていないマイノリティを集めてこの街で第三の勢力となる事だ。
不可能ではない、それがハイシュミレーターによる演算結果だ。
もっとも、その前提としてもっと強力なイレギュラーを擁したマイノリティがまだまだ必要ではあったが……。
(だが、時間はある。何せここにいるしかないんだからな)
そう、この時姶良摘示は今の状況下で、人生をそれなりに謳歌していた。
しかし、それは脆くも崩れ去る。
きっかけは、そう。
駒繋喜楽里少年を何の気なしに指導した事から。
破綻の足音は徐々に迫りつつあった。