遭遇、現在へ
衝撃が駆け巡った。
まるで自分が車に撥ねられたかの様な強烈な衝撃だ。
有り得ない、何故なら自分が車を運転していて、相手を撥ね飛ばすはずだったのだ。
にも関わらず、
何故、相手が、黒い髪の少年の方が目の前に拳を叩き込んでいるというのか?
何故自分の駆る車から炎が巻き起こっているというのか。
それは初めて目にした光景。
拳が車体に叩き込まれた。
そして即座に目の前の光景が反転した。
視界が上下に反転、全身の体液も同様だ。
まるでアクション映画のワンシーンの様に、バンが地面に叩き付けられ、幾度も跳ね──火花を散らしながら擦れ……電柱に激突してようやく止まった。
「う、ううう……ッッ」
全身が酷く痛む。特に酷いのは割れるような頭痛と、背中だ。
どうやら全身を強かに打ち付けたらしかった。それも当然だ、シートベルトなんてしていなかったのだから、衝撃を緩和出来ていないのだ。
ヌルリ、とした何かが頬を伝う。熱い、灼熱の様な熱さを感じ、それが自分の血であると認識するまでに一秒、といったところだった。
ガララ、バキン。
そこに誰かが強引にドアが開け放たれた。
「お、生きてたな」
軽い口調、まるで緊張感のない声だった。
ガシャン。
黒い髪の少年はバンのドアを小石でも扱う様に軽々と投げ捨ててみせる。
そうして手を伸ばすと襟元を掴み、姶良摘示の身体を軽々と引きずり出す。明らかに常人を凌駕した筋力。間違いなくマイノリティだ、それも戦闘行為に特化した強力な。
「ぐ、くあっっ」
姶良摘示は呻く。路上で身体が二度跳ねる。
黒い髪の少年は、引きずり出した獲物の身体を無造作に投げ捨てた。紙くずでも扱う様に。
そうしておいて話しかけた。
「アンタが姶良摘示だよな? 悪いコトは言わねェから大人しく捕まりな────!」
わざわざ言い終わるまで待つつもり等は毛頭ない。これはルールのある競技スポーツの類ではないのだから。
拳銃の引き金を引いた。
発砲音と火花、その銃口から弾丸が放たれる。
幾度も、幾度も、繰り返し繰り返し引き続ける、弾倉が空になるまで。撃った反動で腕が揺れたが構わない、とにかく撃つだけ。何処に当たろうがどうでもいい。
カチ、カチ、カチッッッッ。
やがて全弾撃ち尽くし、引き金の音だけが鳴った。
「あ、はあ、はあはあ……ふ、ふははっっ」
姶良摘示は力なく笑う。あっという間の事だった。
至近距離だ。ほんの二メートルも離れていない。
銃を撃ったのも、ましてそれを人に向けたのも初めての事だったが、思った以上に呆気ない物だった。
黒い髪の少年は立ったまま微動だにしない。
きっと血塗れで、見るも無残な事になっている事だろう。
だから敢えて確認はしない。
ただその場から這うようにして離れようとして彼は気付く。
「な…………」
十数発もの弾丸が襲いかかったはずだ。
そしてその大半は間違いなく命中せしめたはずだ。
それなのに……
何故、地面に血の一滴も落ちていないのか、と。
「よおっ、終わりか?」
そこで声をかけられた。
あっけらかんとした口調だ。何の問題もない様な、そんな軽い感じの口調だ。
「うひいっっ」
姶良摘示は慌てて弾倉を外すと予備を装填する。
そうして「来るな来るなあっっ」と半ば半狂乱に叫びながら引き金を引いた。
弾丸は一切の迷いもなく、敵へと向かっていく。
(今度こそ、今度こそッッッッ)
半ばヤケクソの抵抗だった。しかしそのせいで彼は目の当たりにした。
目の前にいる黒い髪の少年が何故、さっきからの、至近距離からの銃撃にも平然としていられるのかを、余す事なく目にした。
弾丸は間違いなく標的へと向かっていった。
そのままであれば心の臓を、肺を、肝臓を、喉元を、一発でも喰らえば常人ならば致命傷に繋がる箇所へと躍りかかる。
だが、それらの弾丸はただの一発たりとも届かない。
ボオッ、とした靄の様な物が見えた。
まるで薄いカーテンの様なそれは弾丸を包み込み――即座に溶解させる。
それが全ての弾丸に対して、ほぼ同時に行われた。
その全てを姶良摘示は、いや、彼のイレギュラーであるハイシミュレーターは把握した。
そして知ったのだ。
目の前に立つ少年が如何に桁違いの怪物なのかを、これでもか、とその脳髄に知らしめさせた。
「あ、あああああ」
思わず銃を手放して、後ろに後退る。
(ダメだ、ダメだ、ダメだダメだダメだッッッッッッ)
もう何も考え付かない。
彼のハイシミュレーターは演算を完了させていた。
そして結論付けている、どうやっても目の前にいる相手から逃げおおせる事は不可能である、と。そう結論を付けていたのだ。
なまじそのイレギュラーに依存していたともいえる、姶良摘示には最早抗おうとする戦意等は欠片程も無かった。
「ンで、気が済ンだかよ?」
少年はニヤリとした笑みを浮かべながら獲物を掴む。
「や、やめて――」
哀願の言葉を言おうとしたその時。
彼の視界は暗転した。
その身体は妙に軽く、そして空気を肌に感じる。
宙を舞っているのか?
感じるのは顔面への痛打。
ハンマーで殴られた様な痛烈な痛みだ。
ズシャアアアア。
そのまま地面に落ちたその時――彼は言った。
「悔しかったらいつでも来なよ――」
意識が途切れそうで、よく聞き取れなかった。
「――オレは【武藤零二】だ、……覚えておきな」
相手の名前だけはやけにハッキリと聞き取れたかと思った時、姶良摘示の意識は完全に途絶した。
◆◆◆
「そうだ、屈辱だった」
姶良摘示はモニターに映った相手を凝視した。
武藤零二。
一年前に自分を叩きのめした怪物。
正体はWD九頭龍支部に勧誘されてすぐに知った。
その名は、自分が所属しているWDのこの九頭龍支部に所属するマイノリティであり、強力なイレギュラーを扱う支部のエース候補だと知ったのだ。
彼もまた、この繁華街で暮らしている。
この一年間というもの、姶良摘示は折を見ては自分を追い込んだ相手について調べてみた。
だが、その結果は惨憺たるものであった。
武藤零二というエージェントの素性は不明。
彼についての情報は各支部の支部長クラスの権限が必要であり、それでも閲覧出来たのは彼の経歴の一部でしかない。
とは言え、見れたのは姶良摘示という人物のハッキング等の腕が……優れていたからとも言える。
彼は思った。
自分の仕事とは、モニターに映るあの時の少年の監視なのではないのか、と?
この繁華街の映像を目にする限り、この場所で最も派手に暴れていたのはあの少年以外に有り得ない。
あの少年は、自由気ままな野良猫の様であった。
いつでも何処でも彼は好きに暴れていた様に思えた。
気に食わなかった。
自分は今、こうして薄暗い暗闇の様な狭い部屋に押し込められたと言うのに。まるで”虜囚”の様な苦役をただひたすらに無機質に繰り返す日々であった。
そして自分の状況は一向に変わらなかった。
来る日も来る日も繁華街の監視、そしてあの少年の生き生きとした日々の姿を見せ付けられた。
そうした日々の連続にいつしか彼は飽いたのだ。
だからだった。
その退屈を紛らわせようとして始めたのが、もっと多くの他人を眺める事であった。
その為に、繁華街の外のカメラへと、──少しずつ蜘蛛が糸を張るように監視する範囲を広げていった。
すると、街のあちこちで同類が自分でもよく分からないままに目覚めていくのを目の当たりにした。
彼らの多くはWGやWDに保護されたが、それでも一部に関しては違った。
見落とされたその一部の同類に彼は接触した。
ほんの少しの”後押し”をする、ただそれだけの為に。
そう、これが始まりだった。
ほんの小さな余興から始まったのだった。
そして知るのだ、この世には分相応という言葉があるのだ、と。