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 深夜の九頭龍。

 暗闇に包み込まれ、一寸先も定かではない中。

 ひたひた、という足音がする。

 薄暗い空間を何者かが、歩いていた。

 湿気た空気と、時折鼻をつく異臭。

 それもムリはない。

 その何者かが歩いているのは下水道。


「くっせえな、おい」

 思わず愚痴る。

 彼はとある特技を活かした特別な仕事に従事している。

 そして今はその仕事帰り。

 背中に背負ったリュックが重い。中に詰め込んだ”荷物”のズッシリとした重量の為だろう、肩の紐が食い込んでいる。


 彼は自分の仕事を”運送業務”だと考えている。

 彼の特技・・は様々な場所に入れる、というものだ。

 肉体操作能力の一種であり、彼は自分の肉体を、具体的には骨や関節を自在に外す事により、まるで軟体動物のように柔軟なその身体を様々な隙間に入れる事が可能なのだ。

 彼にとってはありとあらゆる隙間は鍵のついていないドアの様な物。今日もこうしてしこたま稼がせてもらった。

 彼が今晩入り込んだのは九頭龍銀行。

 ここの金庫に収められ預金からほんの僅かだけ、自分が持てる限りの紙幣を頂戴した、という素敵な仕事だ。

 今の彼のモットーは、如何に楽をして日々を楽しむか、である。

 そうした彼が自分の肉体についてその異常に気付いたのはいつからだったろうか?

 思い返すと子供の頃によくかくれんぼをしたものだったが、彼は見つかる事もなく、最後までいつも逃げ切っていた。

 冷静に考えれば異常だ。一度も”見つかっていない”のだから。

 とは言え子供だった自分が問題点に気付くはずもない。


 ”他の子より身体が柔らかくて、狭い場所に入れる”


 ただそれだけ、だと思ってた。彼が自分の肉体を常識外れなレベルで動かせるだなんて、誰もが思いもよらない。



 それが今じゃこうだ。

 するする、と腕を捻る。まるで螺旋でも描くかのように捻る。

 この素晴らしい特技さえ活かせれば、今のように大金が稼ぎだす事が可能なのだ。

(折角の持ち合わせた特技なんだ、使わなきゃ損ってものだ)

  そうして酷く臭うこの下水道からの出口が見えてきた。

 今回も、これだけの大金を稼げたのは、”協力者”のおかげだ。

 その協力者の素性は知らない。

 正確には知りたくもない。

 ただ一つ言えるのは相手はこちらの事を最初から”知っていた”という事だった。



 ◆◆◆



 それはある夜の事だった。

 いつも通りに、彼は特技を用いて、自販機の隙間から小銭を拾ったりしていた。人前で自分の特技が見られたら、大変な事になる。

 それだけは確信していたから。

 だからこそ、出来る限り他人とは関わらずに目立たない様に苦心してきた。

 彼は人生の落伍者だった。

 自分の存在が怖かった。だからこそ、ひっそりと生きていく内に社会の底辺に落ちていたのだ。


 今じゃ、ホームレス同然の暮らしで、日銭稼ぎにこうして小銭を集めていた。

 彼のテントに携帯電話が置かれていた。一通の手紙と一緒に。

 その手紙にはこう書き綴られていた。


 ”君には素晴らしい能力がある事を私は知っている。

 何故、それを活かさない?

 活かしたいとは思わないのか?

 興味があるのなら、一緒に置いた携帯に入っている番号に連絡して欲しい。

 いい返事を期待している”


 思わず周囲を見回した。

 その上で、隣人達にも誰がここに来たのかを尋ねたが、誰も何も知らなかった。


 後で知ったがそれは”フィールド”という能力の一種を用いたそうだ。見えているはずの者が見えなくなっていては手の打ちようがない。

 彼はしばらくの逡巡の後に電話をかける事にした。

 相手が何者かなど検討も付かない。

 ただ、彼にとっては相手の言葉が引っ掛かった。

 自分の能力、つまり特技を活かしてみたくはないのか?

 その言葉は実に魅力的であった。

 まるで自分の事を、その全てを知っているかの様な言葉の羅列。

(こんなおいらに何が出来ってんのかを、教えてもらおうじゃねぇか)

 それは半ばヤケっぱちの心境で。


 すぐに相手が受話に応じる。

 彼は即座に口撃した。

「あんたが誰かなんておいらにゃ興味はねぇ、だがよ、教えてもらおうじゃねぇか、何が出来るってんだよ、おい!」

 息を切らせそうな勢いでそう捲し立てた。

 自分でもこんなに勢いよく言葉を投げつけたのは初めて。思わず、胸に手を置くと、心臓の鼓動が速まるのが分かる。

 くく、という声が漏れ聞こえる。相手が電話越しで笑っているのは明白だった。

「なにが楽しいんだ、おいらをバカにするなよッッッ」

 苛立ちの余りに思わず携帯電話を地面に投げつけていた。

 簡素なブルーシートハウスの床はその辺で拾ったダンボールだ。

 携帯電話は勢いよく床を跳ねると、ビニールハウスを飛び出す。

「ハァ、ハァ」

 しばらくの間、頭を抱えていた。

 怒りの余りにああいった対応をした事を今に至って後悔した。

 相手の思惑も何も分からないというのに、一方的に捲し立てた上に携帯電話を投げつけてしまったのだ。

 もしも自分がそんな態度を向けられたら激怒するだろう。


(結局、何が何だかわからんままだな)


 彼がようやく携帯電話を拾いに向かったのはおよそ十分後の事だった。

 もう、話の事はどうでもいい。恐らく相手は電話の呼び出しにも応じないだろう、

 それでも、携帯電話を売れば幾らかの日銭にはなるかも知れない、そういう腹積もりだった。

 だからこそ、驚いた。心から。

「何でだ?」

 通話は続いていたのだ。

 あんな受け答えをしたというのに。


 ──やあ、待ってたよ。これで話を聞いてもらえるかな?


 相手は全く怒る様子もなく、寧ろ楽しそうですらあった。

 信じ難い気持ちだった。

「聞く、悪かった」

 彼は自然に謝っていた。こんな事は初めてだった。


 ──無問題モウマンタイだよ、でもその前に一つ。

 そちらの名前を教えて貰いたいな。どうだい?


 あくまでも丁寧に、そう尋ねられた。


「おいらは【蛸】だ。それ以上でも以下でもないや」


 そうして、蛸は仕事を受ける事にした。

 ちんけな小銭稼ぎの毎日から、もっと大きな金を拝借する日々へと。

 ある日の事だった。蛸は相手の呼び名を尋ねてみた。

 深い意味は別にない。ただ偽名にしろ、なんにせよ呼び名位は知っておきたかった。ただそれだけの意図だった。


 ──そうだね、こう呼んでくれると嬉しいよ。【指揮官コマンダー】とね。



 ◆◆◆



 もうすぐで、出口だ。この不快極まる下水道からもおさらば、そしたら今日のあがりの一部からでも、いいものを食べたい。

 マンホールを開けて、外に出ていく。

(シャワーを浴びて、メシを食って、それでフカフカのベッドに寝転がって……)

 そう思うと顔が綻ぶ。

 その当たり前な事がこの蛸という男にはとても遠い世界での出来事にはとても遠い事であった。

 だからこそだろうか、彼には”自覚”はない。

 自身が行っているのは犯罪行為であるという事が。

 いや、違う。

 犯罪をしている自覚はある。だがそれを悪い事だとは露程も思っていないのだ。

(おいらは生きていたいだけだ、今よりももっといい暮らししたいだけだ)

 それの、…そう思う事が一体何の罪になるというのか? その疑問について問い質してやりたい位であった。


「へっ、そこまでだぜ」


 声がかけられた。

 だから今、目の前に誰かが待ち受けているのにも何故だとか思ってもいない。

 思わず蛸は周りを見回す。

 声を発した人物は誰か別の人物に話しかけたのではないのか? と思いたかったから。だが違う、ここには自分しかいない。

「な、何だあんた?」

 蛸は何年もの間、社会の底辺にいたからかは分からないが、本能に従う事に躊躇がない人物であった。

 目の前の相手は危険だと、そう本能は訴えかけてくる。

 目を凝らしても相手の姿はよく見えない。

 深夜の曇った空、それから今彼がいる場所に街灯等の明かりは無いのだ。それは暗く、見えない場所の方が逃走ルートとしては都合がいいからであったが、結果的に相手が分からないという問題を引き起こしていた。

 じり、警戒した蛸は後ろに一歩下がる。

 なのに、


「おいおい、逃げンなって」

 声の主はまるで蛸の動きが見えているかの用だ。

 ざしゃ、と合わせる様に一歩踏み込む音が聞こえた。

「大人しくしてりゃあ、殺しはしないぜ」

 声の主がそう言いながらさらに踏み込んでくる。

 夜の暗さに目が慣れてきた。相手のシルエットが見えてきた。

「お前……ガキか?」

 蛸は驚いた。

 自分の目の前にいた相手がまだ十代らしき少年だったから。

「まぁ、アンタに比べりゃ、オレはガキだわな」

 少年、零二は獰猛な笑みを浮かべ、そう言った。


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