姶良摘示
九頭龍の夜は煌びやかだ。
まるで日中、それ以上の光量のネオンが輝き、煌めく。
中でも繁華街の大通りには、これでもか、と言わんばかりに大勢の人が行き来し、活況に満ち満ちている。
様々な人がそうした活況に混じっている。
噂に聞く九頭龍の繁華街を楽しみにした、観光客らしき家族連れ。
仕事帰りに一杯引っかけにきたらしきスーツを纏ったサラリーマン数人。
早くも酔っ払ったのか、足取りが覚束ない地元客。
そうした人々が大勢行き交い、ここの活況を支えていた。
そんな中で、うごめく連中もいる。
客引きが道を行き交う観光客に声をかけ、しきりに店を案内しようと試みている。
ある観光客二人がその客引きの口上に期待しつつ店に入ると、そこにはその説明に違わない美人のホステスが歓待してくれる。
ホステスの接待に気を良くした彼らが勧めるままに酒を飲み、いざ会計の段になってその請求額に唖然とする。要はぼったくりバーという訳だ。そもそも地元の人間やその筋の人間なら、まずその店には立ち寄りはしない。
何故ならその店はここいらじゃ一番強い力を持っている広域暴力団の管理する店だからだ。
わざわざそういう連中に関わりたい、などと思う物好きなどいやしない。
だが、この店には秘密があった。
それはこのぼったくりバーの後ろ楯、スポンサー、または雇い主。様々な言い様はあるが、この店の裏にいるのは広域暴力団等では無いのだという事。実際にはこのバーの実態はWDの窓口だった。
九頭龍でのWDの立ち位置は民間警備会社だ。
しかも今では、民間警察としての活動もしている為か、街の住人には良くも悪くも頼られている。
しかし、WDという組織は正義の味方などでは断じて無い。
その本質は良くも悪くも、個々人が自由である事。そしてその自由を享受する上で、障害になると判断されれば、何の躊躇もなく、相手をいとも容易く排除する。そうした個人の自主努力を全面に押し出した結果、組織内での互いの連携が極めて希薄な脆弱な組織もどき、それが実情である。
このぼったくりバーの存在理由は、店の奥にある。
その奥には無数のモニターがずらりと置いてあった。
そこはこの店のオーナーの部屋。ちなみに店内の様子を伺っているのではない。そういう店の様子については店のスタッフに一任してある。この店の黒服は全員が軍隊及び警察での経験を持っている。そんじょやそこいらの筋者が相手であっても特に気にする必要もない。何故なら、ここがWDの関係者が管理する店である事は公然の秘密であったから。
この店にちょっかいを出す、という事はWDをも敵に回すという事だ。これがまだ十年前の事ならば、まだマイノリティやイレギュラーについての知識が裏社会に浸透していない頃であったのなら、このバーに手を出す連中もいたかも知れない。
しかし今やこの街の裏のみならず、表に於いても根を張ったWD九頭龍支部に公然とケンカを売る様な愚か者はいない、そのはずであった。
その夜も別段問題なく営業時間が終わった。
店のオーナーである姶良摘示はようやく仮眠を終えた。中肉中背、目立つのはおよそ一年切っていない為に伸び放題の頭髪だ。それさえなければ恐らくはそう悪い顔立ちでもないのだが、彼にはどうでもいい事だ。
彼の仕事は店の営業時間が終わってからだ。
支配人室には簡易な寝台がある。姶良摘示は日中から深夜三時まではその大部分を睡眠に当てている。
今から午前九時まで。およそ六時間の間がこの男の就業時間。
首や肩を回し、息を吐きつつストレッチ。
じっとりと背中に汗が滲むまで身体を屈伸させ、コリをほぐす。
そうして三十分後。
程よく汗を流し、スッキリした姶良摘示はモニターの記録をチェックし始めた。
続々と映像を店内の様子から別の場所だった。
彼が見ているのは店内の様子ではない。
カメラが写し出すのは店の外。
そう、ここのカメラの設置場所は全てが店の外だ。バー内部に設置している飾り物のカメラ映像を張り付ける事に、自身の替え玉を使う事で如何にも店の営業時間中、責任者がキチンと働いているかのように取り繕っているのだ。
何故そんな回りくどい方法を取っているか?
それは姶良摘示の素性を隠す為でもある。
彼は一言で言えば、とある事件の”容疑者”である。
それは一年前に起きた連続強盗事件。
この事件は、未だに世間的には記憶深く刻まれている。
その理由は、事件があまりにも劇場的な展開を迎えたから。
その理由は、犯人グループがいずれもまたマイノリティ犯罪者であったから。勿論、世間的には彼らがマイノリティである事は極秘事項であり、情報操作が行われていたが。
結果的に、そうした犯罪の手口が常識外れであり、未だに謎を残しているという理由で、一年経過した今でも定期的に犯罪検証番組で取り上げられる等の理由で彼の”顔”は裏社会に知られてしまっているのだ。もっとも、具体的に彼の顔を知らせたのは九条だが。
そして彼を確保したのが、WDに入ったばかりの零二であった。
この事件はなかなかに厄介な案件だった為、WD九頭龍支部、──正確には支部長である九条羽鳥は”特命”を出した。
それによって零二を始め、数人のエージェントが動き、犯人グループを壊滅させたのだ。
彼以外のメンバーは、その際に零二達により始末された。
だが、彼だけは生きたまま拘束された。その訳は、この男のイレギュラーに起因している。
彼のイレギュラーは”高度模擬装置”と呼ばれている。簡単に言えば複数の映像を同時に脳内で認識。そこから何が起こりつつあるかを理解し、結論を出す能力である。
要は通常ならば様々な情報を幾つも見た上で出す結論を、彼は一度に纏めて見て理解し、素早く結論を出せるという高速演算処理装置の様な能力である。
彼は犯人グループの頭脳であり中枢だった。だからこそ排除ではなく、確保されたのだ。
九条は彼の身元を敢えて”洗浄”しなかった。
そうする事で彼がWDから逃げようとするのを諦めさせた。
そうした上で、支部長が彼に与えたのが、この繁華街での犯罪、それもマイノリティ絡みの事件を把握する事。つまり諜報活動だ。
彼が一日に数時間しか働かないのにも理由はある。
彼のハイシミュレーターは脳に多大な負担をかける。その為、一定時間イレギュラーを使った後は睡眠などで脳を休ませる必要があるのだ。姶良摘示が表に出れない理由は、そうした自分の限界を知っているからでもある。
仮にこの場から逃げ出しても、イレギュラーでシュミレートして一時は逃げても、彼は一般人よりも長く、質のいい睡眠が必要。
ざっと十三時間。半日以上にもなる。
その間にもしも同系列のマイノリティが追跡してきたら、彼は捕まる。つまりは彼に本当の意味での逃げ場等存在しないのだ。
それに、ここでの仕事は周りが思う程に嫌ではなかった。
給料は実際、かなりいい。
一年前の時に比べても、正直今の方が気楽とも言える。
強盗事件を起こしていた犯罪グループの中でも彼は要ともいえる存在にも関わらず、分け前は少なかった。
お前は、実際に手を汚しちゃいない。
そう言われた。
不当だと思ったが、かといって自分のイレギュラーでは実行メンバーには太刀打ち出来ない。
あの時に比べれば、今は首輪つきではあるがそう悪くない生活とも言える。
「はいはい、今日もお仕事、お仕事」
指を鳴らすと、キーボードを叩き始める。
無数のモニターから彼は様々な情報を目視。それらからこの繁華街で今現在、何が起こっているのかを把握していく。
そうした無数の出来事で、マイノリティ絡みと思われる事件等をピックアップ。それらを九頭龍支部に送るのだ。
姶良摘示が今調べているのは、ここ数日連続して起こっている狙撃事件の調査の為だ。
そうして彼が調査を始めてからおよそ二時間後。
「ん? 何だろう?」
姶良は何かが引っ掛かった。
それはどうやら今、自分がいるビルからおよそ八百メートル離れたビルの屋上。
そこに黒い染みのような物が見えた様な気がした。
そこを撮影したのは軍事用の偵察ドローンだ。
そのカメラの精度を上げていく。
すると染みではなく、誰かがその場に伏せているのが分かった。
その誰かは狙撃ライフルを構えていた。
姶良は呟く。
「こいつが犯人か?」
バスッッ。
微かな火花と空気が抜けた様な音をドローンが拾った。
どうやら何者かに意図があるのは明白だ。
「何を狙ったと言うのだ?」
気になる光景だ。
(まさか狙いはこちらか?)
だが、だから何だと言うのか?
姶良がいるのは室内の一番奥。そこに至るまでに幾つもの壁がありる。如何に相手の狙撃の腕が良くても自分を害する事は不可能。
そう結論は出た。
なのに────。
その眉間を何かが貫く。
瞬間、額が熱く感じ……そして全身から力が抜けていく。
(な、にが起きた…………ん)
そうして姶良摘示の思考はプツリ、とそこで途切れた。
そして彼が目を覚ます事は二度と無かった。