四月八日
四月八日。
草木は緑色の葉を伸ばしている。
風はどこか爽やか。
様々な生き物が元気に動き出す。
燕があちこちの軒先に巣を作ろうと飛び回る。
朝の冷え込みも大分ましになってきた。
春休みは終了し、九頭龍には大勢の学生があちこちに姿を見せる様になった。
それぞれに昔ながらの黒の学生服であったり、セーラー服であったりと幾つもの学校の生徒が駅を行き来する。
そんな中でも一際目立つのは九頭龍学園のブレザーの姿だ。
それも無理はない。この学園こそ、今や全国一のマンモス校なのだから。
小中高、更に大学までの一貫教育。なおかつ九頭龍、という経済特区の発展に伴い、発展を続ける巨大学園。それこそ九頭龍学園。
そんな中。
「ふあーあ、眠い。ねみい」
零二は机に突っ伏して呟いていた。
気だるそうな表情で目元を擦る。隈が浮かんでいるからか、普段以上に人相の悪い零二に対して、クラスメイトは敢えて誰も声をかけない。
零二が高等部に来たのは今日が初めて。
それは彼が春休み中にあった入学式等には参加しなかったから。
なので、この高等部の教室に足を運んだのも今日が最初だ。
席はどうやらいつの間にかくじ引きが何かで決めたらしい。
左右の席に五十音順に男女が並ぶような席順ではなく、完全にランダムだからだ。
零二の席は結果的に余り物の席なのだろう、一番前の教卓の目の前というある意味最高の立地と相成った。
横の席は誰もいない。文字通りの意味で誰の席でもないらしく、黒板にも誰の名前も書いていない。
正直言うと今日は登校したくは無かった。
しかし、今日くらいは学校に早く行け、と進藤がしつこくいうので、こうして珍しく始業ベルの三〇分前に登校してしまった。
その際にザワザワという声に好奇の視線を向けられたのは、多分に中等部での去年一年間の学生生活の賜物だろう。
零二がこの学園に編入したのはおよそ一年前の事だ。
彼が”外の世界”に投げ出されてから一年が経った頃の事。
初めの一年はとにかく大変だった。
毎日毎日、一般常識について学習させられた。
あまりに厳しい毎日の訓練に何度も抜け出そうと試みたものだが、その都度、後見人であり、執事でもあった加藤秀二にアッサリと捕まってしまう。
(いつかぎゃふンと言わせるからな)
そう思いながら、結局これまで一度もその試みは成功していない訳だが。いつか、とは何時の事なのかは考えない事にした。
◆◆◆
昨日の夜はさっさと寝ようと思っていたのだが、バーに頭の悪い連中がやって来てその騒ぎの結果、後始末が長引き、寝たのが深夜になってしまったのだ。
どうも余所者だったらしいが、よりにもよって九頭龍の繁華街の奥にあるこの店を選んでしまったのだろうか? バカにも程がある、と正直思った。実際、連中はアッサリと返り討ちにあった。
そもそもバーにいる客からして一癖も二癖もある連中だ。
そんじょやそこいらの半端者じゃ相手にもならない。
わざわざマスターである進藤や零二が出るまでもなかった。少なくとも最初は。
閉店間際の事だった。
零二はコンビニに飲み物を買いに出かけていた。
お目当ては期間限定の桜サイダー。要はピンク色に着色されたサイダーなのだが、零二の最近のお気に入りだった。
今時珍しく、ペットボトルではなく、所謂昔ながらのラムネの様なビンに入っているのもお気に入りの理由だ。
そんな中で、バーのドアが荒々しく開けられた。
客達がその乱暴な入店に苛立ちを隠さずに来店者を睨む。
それはまるでレスラーの様な巨漢だった。身長は二〇〇センチ、体重は一五〇キロはあるだろうか。
肥満体ではなく、筋肉質な身体つきをしており、腕の太さも棍棒のように思える。
髪の色はメッシュがかった金髪で、その鼻には牛の様な鼻ピアスが二つ。
狂暴そうな面構えをしており、流石にバーの常連客も迂闊に手を出せない。
「ケッ、しみったれた店だなオイ。それで俺様の仲間に手を出したのは何処のどいつだぁ!!!」
そう荒々しく威嚇する様に声をあげると、壁を殴り付ける。
ダン、という音。
もっとも、このしみったれた店の壁は見た目とは違い、銃撃にも耐えられる様に軍用の特殊合金で覆われている。
零二の白く輝く右拳ならともかく、通常の打撃で破壊できる代物ではない。ましてや如何にゴツい外見をしていようが一般人なら尚の事だ。
来店者の顔が青ざめた。
相当に痛かったらしく、目元がしわくちゃだ。
常連客が笑い出す。バカな事をした、と笑う。
「て、てめえら……!!」
来店者の顔はみるみる内に真っ赤に染まっていく。
手足はふるふる、と震え、怒り心頭なのは誰の目にも明らか。
「ぶっ殺してやるぞっっっ」
店中に轟く様な大声を張り上げると、側にあった椅子をいきなり投げつけた。
ガラガシャアン、激しい音を立てて、テーブルや椅子、グラスが壊れていく。
まるで駄々っ子の様な暴れっぷりに流石に進藤も黙って見ている事は出来なくなった。
「やれやれだな」
首や肩を回し、破壊を続ける来店者に詰め寄ろうとした時だ。
カラカラン。
バーのドアが開かれた。
何も知らない零二がお菓子やらパンやらを持っていったエコバックを両手で抱え、口には我慢出来なかったのか、桜サイダーをくわえて持ち上げながら、器用に飲みつつ店に入って来た。
「ンーーー?」
何だか店の様子がおかしいと感じた零二が顔をバックから覗き込んだ時。
パリイン。
何かが割れた音がした。
そして口元が妙に軽い様な気がする。
サイダーがなくなっていた。
丁度半分位で見事に割れて床に落ちていた。
原因は何処かの誰かの拳が直撃したからの様だ。
零二の身体が小刻みに震えている。
「…………」
ドサッと音を立て、エコバックが床に落ちた。
「なんだガキ、ガキは家に帰ってママのオッパイでも吸ってろ」
来店者は、零二を見てバカにするようにそう言った。
ドスドス、とわざとらしく大股に近付くと拳を握って殴りかかろうとした。
この大男からすれば、まるでガキの様な相手だった。
こんな奴に本気でやってもカッコ悪い。と普段なら思っただろう。
だが、今の彼は腹が立っていた。だから躊躇なく拳を叩き込もうと繰り出した。
だが、相手が悪すぎた。
気が付くと来店者の巨体が宙を舞っている。
何をされたか本人は分からない。
ただ、自分の顎に強烈な一撃を食らったような衝撃。
そして意識が切れる前に目の前にガキがアッパーを放っていた様な姿が見えた。
「ざっけンなコラァ――!!」
零二が吠えた。
あの桜サイダーは今日が限定販売最終日。しかも最後の一本だったのだ。
それを堪能しようとしていたのに、まだ半分も飲んでいなかったというのに。
「このデカブツ、お前買ってこいやーーーー!!!」
完全に失神している相手の身体を軽々と起こし幾度も振る。
「ざっけンなーーーー」
怒りの雄叫びは進藤が止めるまで鳴り響いた。
それから後片付けをし、(あのデカブツにも当然手伝わせた)片付いたのが深夜の二時。
苛立ち過ぎて寝つけずに、今に至っている。
あのデカブツは何でも哲夫というらしい。
二度と悪さはしない、と涙ながらに土下座したのでとりあえず許した。しかしながら、どうにも怒りが治まらずに寝付けない内に朝を迎えてしまい、登校する羽目となったのだ。
そして現在。
流石に何時間も経ち、平静さを取り戻したら今頃になって眠気が襲いかかって来た、そういう事だった。
◆◆◆
「うーーン、…………あ?」
朦朧とした意識の零二であったが、ふと自分に視線が向けられている事に気付き、すかさず振り返る。
すると、
その視線の先にいたのは派手な茶髪の軽薄そうな生徒に、それとは真逆の眼鏡をかけた真面目そうな生徒の二人組。
すぐに思い出す。
確かあの二人は”WG”のメンバーだったはず、だと。
零二は去年五月に中等部に編入したので、クラスは違ったがどうやら高等部に入ったのを機に同じクラスに入れられた様だ。
このマンモス校の大口スポンサーがWGだから、この程度の小細工はお手の物だろう。目的は自分の監視なのかも知れない、そう零二は思う。
不意に茶髪の軽薄そうな男がこちらに歩いて来る。
以前見せられたWG九頭龍支部の名簿にあった顔写真を思い出してみる、……名前は確か、そう田島だ。
田島と思われる少年は小声で囁く様に話す。
「あんたがクリムゾンゼロだな、俺は田島一、そっちも知っての通りWG九頭龍支部の者だ」
「ヘェ、こいつぁアレか? 堂々と宣戦布告って流れでいいのかよ?」
零二は口元を歪めて笑う。
ざわ、と周囲がざわめく。二人が何を話しているのかは聞こえないが、零二は昨年一年間ですっかり有名になっていた。
勿論、いい評判ではない。
九頭龍学園の、中等部始まって以来の問題児として。
気が付けば、色々な逸話が出来上がっていた。
例えば目が合ったというだけで高等部の不良を殴り倒した、と。
実際には敷地内をぶらついていたら、あっちから殴りかかって来たのを足を引っ掛けて倒しただけだ。相手がバランスを崩して派手に転倒しただけの事。
例えば駅前で暴れていた札付きの暴走族を五月蝿いから、と全員を病院送りにした、と。
確かに五月蝿いとは注意した。で連中が反発して向かってきたので返り討ちにはした。だが極限まで手加減したので、せいぜい手足が骨折した程度のはずであり、リーダー以外は噂の様に全員が病院送りにはなっていないはずだ。
例えば繁華街でヤクザ相手に大立ち回りした、と。
これは本当だ。連中が馴染みの店で暴れたのを注意したのがキッカケで連中の組の構成員全員を完膚なきまでにボコボコにした。で、壊した店の賠償をさせた。
話の大部分に色々と尾ひれが色々付いているのが気になるが、零二は知る由もない。その話に尾ひれを付けているのが、あの眼鏡をかけた真面目そうな男、進士将であると。
それは一応、一般人が不必要にマイノリティである不良少年に迂闊に関わらない様に、という名目だったが、実際には明らかに楽しんでいるとは知る由もない。
田島が気色ばみながら言葉を返す。
「冗談だろ、俺は荒事が苦手の裏方だぜ? こう見えて平和主義なんだぜ」
そう言うと、笑いながら大袈裟に肩を竦めてみせる。
「へっ、うさんくせェヤツだな」
零二もつられて笑う。
だが、感覚的に分かる、こういう一見ヘラヘラとして軽薄そうな”体”を装う手合いは隙を見せれば背後からでも襲ってくるタイプだと。にわかにこの場に剣呑な雰囲気が形成されつつあった。
そこに、
「何やってるんだよ、田島ッッッ」
「でっっっ」
いきなり田島の頭を誰かが叩いた。
見慣れない顔だ、WDで見せられたWGのメンバーにはいなかった顔だ。一般人だろうか?
見た目は中肉中背で、特段目立つ様なタイプではない。どちらかというと真面目そうな雰囲気ではあるがそれも程よく崩している。
田島が苦笑いを浮かべて言う。
「キヨちゃん、何するんだよぉ」
「何っていきなりケンカしそうだったからだよ、何やってるんだよ一学期初日からさ」
その少年は零二へと向き直ると、
「すまない、コイツちょっとバカなんだ。悪気はないからケンカしないでくれ」
そう言うと頭を下げた。
その潔い態度と物言いに、零二はすっかり毒気を抜かれた。
「あー、もういいや。ケンカなンかしねェさ」
思わずそう言ってしまい、事は収まった。
「おいアンタ。名前は何なんだよ?」
感心した零二は思わず尋ねた。少年は顔を上げると答える。
「星城聖敬だ、宜しく」
「武藤零二だ、覚えとくぜ」
零二は瞬間”フィールド”を展開する。
クラスメイトの表情が急な”暑さ”に表情を歪める。
聖敬も同様だった。
マイノリティである田島と進士は身構えるが、零二はすぐにフィールドを解除、ひらひらと両手を降参するように上げて見せた。
とりあえず確認しただけの事だ。
どうやら星城聖敬なるクラスメイトはあくまで一般人。
だが思う。
(面白そうじゃねェかよ、オイ)
と、変わった雰囲気を持っているクラスメイトに対して。
零二は大きな期待を抱いた。
他にも周囲を見回すと、教室に入って来た一人の少女に視線が向かう。彼女は星城聖敬の知り合いらしい。
何故かは分からないが、気になる少女だ。
(何か分かンねェけど、このクラスは面白そうだ)
根拠こそ無いがそう思うのであった。
そして、空席のままの隣の席に座る人物を知るのは、これよりしばらくしての事だった。