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皮の下の自分

 

 ──もしもしー。カノン聞こえてますかー?

 その通信を彼女は無視する。

 今の彼女はただひたすらに”聴く”事に全意識を傾けているのだから。

「………」


 ──ちょっとちょっとー。無視は酷くないか?

 通信は続く。

 あの拷問嗜好者は自分の仕事が一段落着いたので、手持ち無沙汰なのだろうが。だからといって今現在進行形で仕事に勤しんでいる自分に何の権利があってこうして通信を入れてくるのだろうか?

「…………」


 ──もういいんだけどさ。なんかこっちが邪魔っぽいし。

「分かってるんじゃない、……黙ってよ」

 ──はいはい。根詰めすぎなさんなよ、お姫さん。

「っるさい」


 ジジッ、ようやく通信が途切れた。

 ふう、と深呼吸を一つ。

 くだらないやり取りではあったが、確かに言われてみればかれこれもう何時間こうしてビルの屋上で音を聞き取るべく待機している事だろう。

 時間はもうすぐ夜の十時。

 星城家には友達の家で今日は泊まる、と伝えてある。

 実際の所はWD九頭龍支部の、より正確には九条が個人的に用意してくれた隠れ家に泊まるつもりだ。

 そう言えば、今日は珍しく相棒である武藤零二からの定時連絡もまだ来ない。いつもならば九時には来るはずなのに。

 定時連絡が無いままとなると、今、零二は何らかの”任務”に当たっているのかも知れない。

 彼や彼女の上司は時折、二人を互いに単独で任務に当てさせる事がある。二人としてもたまに単独行動するのも悪いことではない。

 二人は仲がいいコンビではない。

 たまにはこうして別々に動くことは息抜きとしては悪くない。


「さって、と仕事に戻るかな」

 そう呟くと歌音は再度、じきに来るであろう相手の音を聴き取る作業へと没頭する。

 九条は相手が向かうならば、と言い、その場所を示した。あの何もかもお見通しの上司がそう言うのだ。まず間違いないだろう。

「根比べよ、名も知らない誰かさん」



 ◆◆◆


 ガラガラガラ。

 キャスター付きのトランクを引きずりながら、男は歩く。

 擬態は完璧だ。時間をかけたので、よく馴染んでいる。

 この皮を被っていた人物は、およそ犯罪とは程遠い人物だった。

 真っ当な人生を送り、何の変哲もない平凡で真っ白に生きてきた人物。知り合いに話を伺えば十人中十人が口を揃えてこう言うだろう、「彼は真面目でいい奴だった」と。

 車での速度違反もないし、駐車違反すらない犯罪歴のない真っ白な人物であり、WDもWGもまず特定は出来ないはずだ。

 この皮を調達したのは現地のマイノリティ専門の犯罪コーディネーターで、確か”パペット”だった。

 その名の通りの人形の様な相手だった。

 見た目こそか細い少年であったが、油断出来ない相手であることはすぐに理解出来た。もっともミミックもまた別人の皮を被っていたのだからお互い様だろう。

 取り引きは滞りなく終わり、その場を立ち去ろうとした時だった。


 ──気を付けるといい、この街は曲者揃いだからね。


 そう忠告していた事を今になって思い出す。

 ミミックはかぶりを振り時計を見る。

 間も無く九頭龍駅から東京に向けての新幹線が出る時間だ。

 急がなければ、次の仕事もある。

 ミミックは日本中に顧客を持っている。

 誰にでも化けられ、何処にでも潜入出来るこの男の才能に期待する権力者や犯罪者は多い。老後にも困らないだけの資産はもうとっくに出来上がっている。

 だが男の中に”引退”の二文字が浮かんだ事は一度もない。

 彼は他人に化ける日々を繰り返している内に”自分”をとうに失った。

 具体的に言うのならば、いったいどの姿が自分自身なのかいつしか判別つかなくなったのだ。

 理屈の上では被っている皮の下の生身こそが自分自身である、そうは理解してはいる。

 だが、それは本当に自分自身なのだろうか?

 ひょっとしたら、皮を重ねて被っているのではないのか?

 ふと、そう思ってしまうのだ。

 銀行の口座も別人の名義。寝ぐらにしているマンションの名義も別人。一体自分は誰だったのかがもう思い出せない。元の名前などはとうに捨ててしまった。裏社会で生きていくと決めたその日に。

 だが、そんな事はもうどうでもいい事だとも思う。

 自分と他者とを隔てているのはたった一枚の皮に過ぎない。

 ならば、自分は誰でもあり、誰でもないのだろう。

 そうであるのならば、誰であっても問題などない。

(これ迄もこれからも同じだ。何も変わりはしない)

 そう思いつつ、男は駅の東口へと少し歩を早めた。

 ここまで来ればもう問題などない。

 それとなく視線を泳がせる。

 特に警戒されている様な雰囲気はない。

 悠々と駅の改札口を通過して、ホームで新幹線が来るのを待つだけ。

 だがふと男は、違和感を感じた。

 時間は夜の十一時。確かに繁華街ではないここいらに人気があまりないのは普通の事だ。

 だが、視線の先。仮にも駅近辺にこうも人がいないのは一体どういう事なのか?

(──これではまるで待ち受けているようでは……)

 男がそう思いを巡らせた瞬間。

「くがっっ」

 彼の身体は何かに吹き飛ばされた。

 まるで軽トラックに撥ねられた様な衝撃が全身を駆け──地面に強かに打ちつける。

「ぐはっっ」

 苦悶に呻きながらも、何とか立ち上がる。

 周囲を見回すが誰の姿も見えない。トランクは放してしまった。地面に転がっている。

「誰だ?」

 叫んでも同じ。誰の気配もない。


 ──見つけた。逃がさないわ。


 突如、声がかけられた。

 聴いたことない声だ。だが明確な意思を感じる。自分を殺す、という断固たる意思と覚悟を感じ取る。

「誰だお前は? ……誰かと間違えていないか?」

 男は声の主に問いかける。そう、この声の主が探しているのはまず間違いなく自分であろう。

 だが今の彼は十時間前とは全くの別人なのだ。

 大方この近辺を通るマイノリティを無差別に狙っているのだろう。WGではない、やり方が違う。

「随分と強引な手段に出たものだな、WDめ」

 ──へぇ、自分がマイノリティである事は認めるのね?

 声の主からは不適さが漂う。

 ミミックは自分の擬態能力に絶対の自信を持っていた。

 この能力は他人に成り済ます為だけのイレギュラー。

 人前で正体がばれた事など今まで一度としてないのだから。それが皮の主の本当の家族であっても気付かれない。

(そうだ、私の擬態は完全だ)

 その絶対の自信を崩せるはずがない。

 何とでも言い繕える。この皮の人物の経歴は真っ白。つまり、どうとでも誤魔化す事は可能だ。WGやWDに把握されてないマイノリティなど探せばいくらだっているのだから。


 ──いいえ、あんたよ。薬局から逃げたでしょ?


 声の主、どうやら少女の声からは確信めいた響きが感じられる。

 ミミックは咄嗟にその場から逃げ出そうと試みた。

 危険を感じ、逃走を試みる。

 だが遅い──!


 キィィィィン。


 耳に入ったのは甲高い音。

 それは彼にとっての死神の鎌。

 全身が瞬時に砕けた様だ。何をされたのかすら理解出来ない。

 あっという間に地面に崩れ落ちる。

 皮が破れ、彼の顔が半ば露になる。手足も同様の状態で傍目から見れば左右で全くの別人の手足が地に伏している有り様は、人間の手足をただ繋いでみた様ですらある。

 擬態する男は自らの最期の瞬間に思う。

 何故バレたのだ、と。

 まるでその心の声を聴いていたかのように相手が答える。


 ──姿形を変えても、心臓の【鼓動】は変わらない。それは間違いなくあんた一人の【音】なんだから。


 歌音が聴いていたのは相手の心臓の鼓動。

 そのリズムを聴いていた。

 ドクン、ドクン。


 その微かな脈動の違いをも聴き分ける事が彼女には出来る。だからいくら姿を誤魔化しても無駄だったのだ。

 もっとも、心臓の鼓動は身体の内部の音。意識を集中させねば聴き取れない。だからこそ、彼女は駅ビルの屋上にいた。

 出来るだけ正確に聴き取る為に。


 その言葉を聴いて男は笑みを浮かべた。

 今更ながらに思い出したのだ。

 そうか、自分の中身は紛れもなく、自分自身の物だったな、と。

「なら、次は……中身も変えなくては、な…………」

 それが最期の言葉。

 ミミック、名前を失くした男は、そうして物言わぬ骸に変わり果てた。


「…………」

 歌音はそれを無言で見下ろす。あのマイノリティの末路はいつの日かの自分なのかも知れない。だから、忘れずに刻み込む。

 WDの回収班が動き出すのが見えた。

 あのマイノリティもまた闇に消える。

 忘れるな、自分もああならないように。そう自身に言い聞かせる。


「面倒くさいわ……ほんと、嫌になる」

 歌音はそう誰に言うでもなく呟き、そうして一人、身体を震わせるのだった。


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