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逃走

 

 男が荷物の整理を終えた時、それに気付いた。

 グシャッッッッ。

 それはとても生々しく、破壊的な音。

 何かが潰れて、死んだ音だ。

 嫌な予感が脳裏をよぎり、思わず仕掛けておいたカメラの映像を確認。

 それは一体のフリーク、恐らくは足止めに用いた哀れな少年、いや青年であったか、どうでもいい事だが、それが死んだ映像を映し出している。

 何をされたのかが分からない。

 ただ、男がそれに脅威を覚えたのは事実だった。


 今店を出れば、間違いなく相手はこちらを疑うだろう。

 かといってここで待っていても時間の問題だ。何故ならあのフリークが死んだ場所からこの薬局まで僅か四軒しか店舗は離れていないのだから。

 男は選択を迫られていた。

 もう、……時間はあまり残されてはいないのだ。



 ◆◆◆



「やれやれだ」

 目の前のフリークだった肉塊を目の当たりにし、トーチャーは思わず肩を竦めて苦笑する。

 桜音次歌音の素性を知っているのはごく少数の人員のみ。

 九頭龍支部のトップである九条羽鳥、それからその右腕とも云えるエージェント、通称シャドウ。

 後は”特命”を受けるメンバーであるトーチャーを始めとした九条直属のエージェント数人に限られる。彼らは互いに互いの顔を知っており、情報漏洩の折りには自分達が真っ先に疑われる事を理解している。

 だからこそ、敢えて裏切る者はいない。

 互いが互いにとっての”首輪”であるのだから。

 例外と言えばあの武藤零二くらいだろうか。

 あの要注意人物だけはイレギュラーが公開されている。一方で他の面々は非公開だ。それはつまり、もしも零二を始末する事決まった際には、彼らが”刺客”と豹変するという事。マイノリティ同士の対決に於いて、そのイレギュラーを知ってるのとそうでないのでは、雲泥の差があるのだから。

(ま、カノンだけでも充分化け物じみた強さだし、こっちはあんなケダモノみたいな奴と一騎打ちなんか、どだい無理だけどね)

 目の前の哀れな肉塊を見れば、今こちらを高層マンションから見ているであろう少女もまた、十二分に規格外の怪物である事を再認識出来たのだった。


 トーチャーは物言わぬ肉塊へと歩み寄る。

 そして観察。

 何があったかを務めて冷静に観察する。

 それはあまりにも変異及びに、フリーク化のタイミングが良すぎたから。

 まず間違いなく相手は近くにいるだろう。

 だからこそ口にする、

「カノンは耳を澄ませておいて。……こっちで調べるよ」

 と。

 ──ん、面倒くさいけど分かった。

 支援要請は了承されたらしい。

 なら迷う事はない。さっさとやるべき事をやるのみ。

 トーチャーは左右のシャッターの降りたままの店を改め始める。

 正直言って、こういう仕事は自分の領分ではないのは理解しているが、歌音はああして支援の方がその能力を発揮しやすい以上、仕方がない。

 ガラガラ、と音を立てつつシャッターを開く。

 そうしておいて無造作に店内に足を踏み入れ、中を改める。

 店の中にいた店員や主人、その家族はフィールドの影響で眠っている。多少きつめの悪夢を見ているが、死ぬよりはマシだと思い、構わずに調べていく。



(…………く)

 男は何者かがいよいよ次に自分のいる薬局に来る事を理解。

 もう、迷ってはいられない、と決断した。

 迷わずに持っていた”装置”の周波数を変更。最大レベルにまで一気に引き上げた。

 そう、男はこういう事態に備えていざという時の為に”備えていたのだ”。


 その音は不愉快だった。

 歌音の耳に飛び込んだ音は、例えるなら教室の黒板を爪で引っ掻いたあの音を数倍強烈にした様な音。

 全方位から一斉にその音を聴かされたのかと錯覚する程にキツくて頭痛がする。

 彼女は一瞬平衡感覚をも失い、その場に倒れ込む。

 だが、異変は向こうでも……トーチャーの側でも起きていた。


「おいおいおいおい」

 思わずそう言うしかない。

 頭が痛くなり、うずくまったトーチャーはいつの間にか誰かが側に立っている事に気付く。

 それはついさっき彼が伺った店の店員、それから向かいの店の主人とおぼしき壮年の男。他にも続々と周辺の店から人がこちらへと向かって来る。

「どういうことだよ?」

 いくら何でもこれだけの人数がフリークだと言うのならまず勝てない。いくら歌音が優秀でもすっかり取り囲まれた自分を助けるのは不可能であろう。

 だが、おかしい。

 彼らは一様に互いに睨み合っているようにも見受けられた。

 偶然にトーチャーのいる場所を中心に、そこへと住人達が引き寄せられた様にも見える。

 そしてその考えはすぐに確信へと変わる。

 住人達は互いに殴り合いを始めたのだから。

 彼らは加減が出来なくなっているのかみるみるその顔を、拳を血に塗れさせていく。

 中心にいたトーチャー等まるで眼中にないとばかりに。

 狂った様に。

 暴力がこの場を支配していく。

 思わずトーチャーは声をあげた。

「おいおいどうなってんのコレ?」


 その困惑に満ち満ちた声は歌音にも届いた。

 それは間違いなく異様な光景だ。

 商店街の人々が一斉に集う様はまさに異様であった。

 だが、同時に疑念も浮かぶ。

 あれだけの人数を一斉にフリークに出来る物なのか、と。

 それにもっとおかしいのは住人達の互いへの攻撃手段。

 彼らは一様に素手での殴打を交互に繰り返すのみだった。

 もしも彼らがマイノリティであるなら、全員が全員素手で殴り合いをするはずがない。

(そういう事か──)


「ちょ、……ちょっとくそっっ」

 トーチャーはこの一大乱闘の渦中だった。

 完全に取り囲まれ、あちこちから蹴りや膝が襲いかかる。

 ”声”をかけてはみたものの、この大混乱の中、彼らもまた正気である訳も無く、為す術もない。

 一発一発は大した事のない攻撃でもこう続々と喰らうと少しずつでも効いてくる。彼が戦闘向きのイレギュラーを保持していれば何とでも対処出来た事だろう。だが、残念ながら今の彼にそんな望みは無意味だ。非力な自分に自嘲するしかない。

 そんな中で声が届く。

 それは身内の声、……いや音。

 ──歯ぁ食い縛りな。

 聞こえた瞬間にまるで突風の様な衝撃が駆け抜けた。

 その場にいた全ての人間がまるで木の葉の如く舞い、落ちる。

 それは声を聞いていた拷問嗜好者も同様で、宙に舞ったかと思った次の瞬間には地面に強制着陸する羽目になった。

「あいたっっっ」

 ゴツン、と鈍い音を立てて思い切り頭をぶつけ、その場でジタバタと悶絶。向こうからクスクス、と笑い声が聞こえてくる。

 ──ああ、面倒くさいわ。嫌だ。

 その声の調子は明らかにトーチャーの今の有り様を笑っているのが見え見え。隠すつもりも無いのだろう。

「あのさ、もう少し手加減出来んの? 頭割れるかと思ったわ」

 思わずエセ関西弁を使っていた。この拷問嗜好者は焦ると口調がこうしてエセ関西弁口調になるのだ。

 本人としてはエセ関西弁とかそういうのは関係無く、これが地の喋りだそうで普段は隠しているのではあるが。


(くっっ、思った以上に速い……だが)

 今の一連の動きを薬局にいた男はつぶさに観察していた。

 そこで分かったのは相手は恐らくは二人。

 カメラに映っている少年ともう一人。

(少年はともかく、厄介なのはもう一人か)

 何をしたのは定かではない。だが、数十人はいたであろう理性を奪った人々を瞬時に吹き飛ばした手並みは見事だった。

 風を使う相手なのかも知れない。

 そしてある程度遠距離から攻撃可能なのだろう。

 そもそも今の足止めは時間稼ぎがその主目的。

 そういう意味で準備は整った。

 だから男は迷わずに室内にマッチの火を投げ入れる。

 充満したガスにその火が引火し──爆発的な勢いで炎が巻き上がった。


「うおっっ、何や!」

 トーチャーの目前で激しく炎が吹き出した。

 薬局は瞬時にオレンジ色の炎に包まれていく。

「あ、これはもうアカン」

 ここまで堂々とした火事が駅近辺で起きればもうフィールドを張ってもバレてしまうだろう。


 ──っつう訳で一旦退くで。いいな?

 歌音は思わず、チッ、と軽く舌打ちする。

 だが、確かに正しい判断だろう。このマンションからもあの火事は見えているのだ。すぐにでも通報が入り、消防が来る前に撤退しないといけない。

 歌音も動こうとした。

 だが、その時。

 彼女には聞こえた。

 それはこの火災現場からカラカラカラカラ、というキャスターが地面を回る音。

 それに付随する足音が一つ。

 誰かが急いで離れていく。それも火事があった薬局の側から。

 更に意識を集中。

 すると聴こえたのは奇妙な音。

 それは明らかに何らかの加工をされた人工的な音。

 ぞわり、とした悪寒に包まれる音。これはさっきの音だ。微かにだが、まず間違いない。

 だから直感で理解した。この人物は”敵”であると。

 だから声を届けた。

「そいつを逃がすな」

 その声を聞いた拷問嗜好者は苦笑いをすると答えた。

 ──了解。

 そう言うと予定を変えてナビゲーターに従って動き出した。


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