魂と尊厳(Soul and dignity)その42
「…………」
縁起祀はゆっくりと歩く。
辺り一面が血に塗れている。
壁も床も天井も全て等しくペンキでもぶちまけたかのように。無造作に汚れている。
まるでオブジェのように無造作に、さっきまでは生きていたであろうモノが倒れ、転がっている。ポタポタ、とした天井から落ちる水滴は床を濡らす。
「…………」
歩みを続けていく内に、ふと視線の中にまだ生きているモノが映った。
「あ、あぐ」
全身血塗れなので一瞬分からなかったが、着ている服から判断するにここを襲撃してきた連中の一人らしい。
「お、お前は……?」
相手の言葉を気にする事なく周囲に視線を巡らせば、ここにいるのはこの男だけ。
「く、来るな」と叫びながら銃口を向けるも、最早手に力が入らないのか腕が震えている。
「撃つぞ──」
最後の力を振り絞ったのか、引き金が引き絞られ、火を噴く。無数の銃弾が放たれ、襲いかかっていく。
だが彼女にとってみれば全てが遅い。ほんの僅かに身を横に逸らすだけ。軌道を読み切っている以上、ただこれだけで回避出来るのだ。男からすればまるで弾が勝手に逸れたかのように思えただろう。
「や、やめ──」
最後まで言葉を紡ぐ事なく男は絶命した。
──いいのかね?
「ええ。構わない」
神門からの通信に返事を返し、縁起祀はただ歩き続ける。
「全員でいいの?」
──ああ、構わない。誰も逃がさないでくれ。
話を続けながら、誰かの命を奪っていく。
その手は誰かの心臓を貫き通し、その足は誰かの内臓を破裂させ、確実に敵を屠る。
彼女にとって全てが遅く感じる。一呼吸の内に容易く命を奪える、奪えてしまう。
まるで散歩でもしているかのような足取りで、彼女が通った後、誰一人として生きている者はいなくなっていく。
最初こそけたたましく鳴り響いていた銃声もいつしか止み、場には静寂が訪れる。
そこに残るは一人歩みを続ける縁起祀に、ただ物言わぬ骸のみ。
「満足かしら?」
──ああ。素晴らしいよ。
「でもまだ何でしょ」
──そうだね。まだここには招かれざる客人が大勢いるようだ。出来るかい?
「聞くまでもないわ」
そこで通信を切った縁起祀は歩みを止め、ふぅ、と一呼吸。ゆっくりと首を回し周囲を一瞥。誰も彼もが死に絶えている光景を受けて、自分でも驚く程に何の感情も浮かばない事を自覚する。
「…………」
ほんの少し前、ほんの数時間前までの自身であれば人を殺した、という事実にもっと動揺していたのかも知れない。
「今更、か」
そもそもここに来るまでに、実験という名目で散々殺し合いを行ってきた。その時点でもう自分は変わっていたのかも知れない。
「邪魔」
何をするでもない、ただ手を振りかざすだけ。ただそれだけの行為が相手にとって致命の一撃となる。圧倒的な速度を以てして放たれたソレはいとも容易く人体、筋肉を刺し穿っていく。
「…………かっ」
一体何をされたのかすら理解出来ぬままに、また一人絶命した。
残すはただ一人。身長はおよそ180、体重は80から90といった所か。顔はマスクで隠してはいるものの、上半身を剥き出しに鎌を構えた髑髏にフードを被った死神と描かれた何とも悪趣味なタトゥーを胸に彫っている辺り、自己顕示欲は相当に強いのだろう。
「HAHAHAHAHA」
「何がそんなに楽しいの?」
この状況に於いて笑う相手に、縁起祀は嫌悪感を隠す事もなく冷たく言い放つ。その目からは何の感情も伺えずただただ凍り付くような冷ややかさを向けるのみ。
「答えろよ」と言うなり縁起祀は前へ踏み出した。彼女にとってはただ前へ一歩、二歩と進むだけの事。それだけなのに他者の視点からはまるで刹那に姿が消え失せたかのような錯覚を生じさせる。誰しも困惑し、そして敗北は必然、その筈だ。
なのに。相手は嗤っていた。
「──!」
縁起祀がとっさに後ろへと飛び退く、ほぼ同時につい今しがた彼女が足を踏み入れた場所、床が爆ぜた。
それを皮切りとして続々と床が爆ぜる。まるで手品の様に、ポンポンと音を立てる。
「……っ」
縁起祀は思わず舌打ちを入れた。今の爆発の余波だろう、腕が何か破片で抉れていた。
「It would be fun.」
仮面越しからのくぐもった声からでもはっきりと分かる嘲りの言葉。
「Yes, it was so、Japanese.Is a word understood?」
マスクの男は自身の優位を確信しているのだろう、ともすれば隙だらけにすら見える。だが縁起祀は動かない。その事に男は感心していた。
(I see.)
事前にターゲットの情報は確認済み。ロケットスターターこと縁起祀。
落伍者の一派を率いるこの街の不良であり、自分達と同じく少数派。その異能力は超加速能力。文字通り自身の速度を加速、誰よりも速く動けるという話。
(NO found out that wasn't a a virgin.)
ここ数ヶ月の目撃情報が極端に少なく、恐らくは今回の標的の近くにいるとは予想されてはいた。そしてその予測は当たった。
とは言え、正直驚いた、というのがマスクの男の本音。
聞いていた情報によると彼女は少なくとも殺しに強い罪悪感を抱いている筈だった。それがこうしていとも容易く目の前で血の海を作って見せた。何かが違う。変わったのだ。一人や二人、そんな人数ではない。十数人はいた部隊の連中を文字通りに瞬殺してみせた手際の良さ、何よりも殺した後のあの表情。罪悪感など微塵も感じないあの顔。とても初心者には思えない。
(But only that.)
だがマスクの男に焦りはない。自身の敗北など有り得ない。だからこそ彼は嗤って話しかける。
「I`ll play, a lass.」