魂と尊厳(Soul and dignity)その38
(約一時間前)
同施設。正面入口前にある守衛所にて。
「ふあーあ。ねむぅ」
守衛の男が大きな欠伸をあげる。それも無理もない、すぐ横にある仮眠室からごお、と大きないびきが聞こえてくるのだ。
「しかし、夜勤なんか必要あるのかね」
そもそもここは街中から大きく離れた場所、周囲には山しかなく、人は住んでいない。一応道路はあるものの、それも麓にある検問所を通るしかなく、許可は検問所ではなく、この施設からしか出ない仕組みになっている。なのでここに来るのは職員を除けば、一部の業者のみ。その上職員であっても、施設内全てに立ち入れない様になっている。ここは軍事施設でもなければ、研究施設でもないのに。
「まぁ、しょうがないっちゃしょうがないか」
彼の視線の先には施設の名称が彫られたプレート。
「普通じゃないものな」
あーあ、と改めて大きな欠伸を入れると、おもむろに立ち上がり、外を見回ろうとライトに手を伸ばす。何にせよあと数時間の辛抱。朝になれば家にも帰れる、もっと言えば一時間足らずで仮眠だって出来る。気を紛らわせる為に歩こうとした守衛の男はある意味で幸せだったのかも知れない。
不意に小さな音がした。パシュ、というまるでタイヤの空気が抜けるような音。
「あ──?」
それが彼の発した最後の言葉となる。力なく地面へと倒れ伏し、そのまま起き上がる事はなかった。
すう、と入れ替わるように守衛所に姿を見せたのはサプレッサーを取り付けたサブマシンガンを構えた兵士三人。いずれもグレーの迷彩服。顔はこれまたグレーの仮面にバイザーマスクで覆われていて、表情を窺い知る事は不可能。先頭の一人が絶命した守衛の脈拍を確認。次いで二人の男が動き出す。一人が仮眠室のドアを静かに開け、もう一人は音もなく室内へと侵入。転がっていたクッションを掴んで顔へと押し付け、残った手を回し、ホルスターからナイフを取り出すや否や、躊躇する事なく眠っていた別の守衛へと突き立てる。二度、三度とナイフが振り下ろされ、都度守衛の身体がビクン、ビクンと揺れ、白い布団は赤黒く染まっていく。
「キル」とナイフを突き立てた男が通信を入れる間に、三人目の兵士が守衛所の周囲を確認。ナイトビジョン越しに、外を回っている別の守衛を確認するとサブマシンガンが火を噴く。サプレッサーの乾いた音が轟き、哀れな守衛はそのまま絶命した。
「OK、スタート地点は抑えた。降下に支障なし」
通信を待ちかねたかのように、間髪入れずにヘリが上空に到達。ロープが垂らされたのと同時にラペリングを開始。先発した三人同様の装備をした兵士達がスルスルと音もなく降りる様は彼らの練度の高さを表している。全員が降下したのを受け、ヘリは何処へともなく去る。
──目標は施設の制圧。目撃者は残すな、手早く片付けろ。
指揮官の命令を受け、灰色の一団は静かに動き出す。
彼らはほぼ音らしき物を一切立てない。闇の中、ナイトビジョンで周囲を見回し、自分達以外の存在を確実に排除していく。入口及びに近辺に詰めていた守衛から始まり、明らかに武装しているであろう警備員をも無音で一人一人仕留めていく。そうしてものの数分足らずの間に、灰色の一団は施設外の敵を全滅。白い打ちっぱなしのコンクリートを赤黒く染め上げる。
「クリア。第一段階終了。次いで第二段階へ突入する。アウト」
その通信を受けるや否や、兵士達の頭上に真っ黒に塗装されたヘリが到着。その速度もさることながら、驚くべきは無音とはいかないまでも、ヘリ独特のプロペラ、ローター音の小ささ。
この夜の闇に溶け込むような漆黒の塗装と合わせれば、目視での発見は相当に困難だろう。
次いでヘリから無数のロープが地面へと垂らされたかと思った瞬間、続々と同じくグレーの迷彩に身を包んだ兵士達が降り立ってくる。
最後に降りてきた兵士は他の兵士達とは異なり、仮面を付けていない。その男は先発した兵士へと近寄ると、「アルファ1。施設側からのアクションはどうだ?」と訊ねる。それに対して、訊ねられたアルファ1と呼ばれた兵士が返事を返そうとした瞬間。彼の頭が弾け飛ぶ。理由は最後に降りてきた男が発砲したデザートイーグル。無惨な最期を遂げた同僚を目の当たりとし、一瞬ざわついた兵士達だが、「落ち着け。彼はアルファ1ではない」と男が言い放つ。
「アルファ2。チップの確認を」
男の言葉に従い、アルファ2と呼ばれた先発組の一人が腕時計のボタンを押す。すると男を含めた兵士達の腕時計が赤く光を放つのに対し、アルファ1と呼ばれたモノのそれは何の反応もない。そしてパキパキ、と陶器が割れる様な音を立て、何か別の誰かの姿へと転じていく。
「見ての通りだ。コレはアルファ1ではない」
というや否やデザートイーグルが火を吹く。あらぬ方向、誰もいない筈の場所なのだが。
「う、がっっ」
小さな呻き声が聞こえたかと思えば、いきなり胸を押さえた何者かが倒れ伏す。
同時に周囲の景色も変化。
「あらら、もうバレちゃったのね」
それまで誰もいなかった筈の、ただの施設の壁だけだったそこには無数の男達の姿。
兵士達のように装備を整えたとはお世辞にも言えない様相の彼らだが、その目からは剣呑な光を漂わせている。
「でもまぁ、いいけど。さーて、てめぇら。狩りの獲物だ。好きにしちまえッッ」
一人の男の喜びに満ちた叫び声を契機とし、一斉に飛びかかっていく。
「所詮は素人だ。練度の差を見せ付けろ」
兵士達も銃火器を構え直すと、迎撃に打って出るのだった。