魂と尊厳(Soul and dignity)その36
時刻は日が変わって午前零時。ここ最近では珍しい、ジメジメとした夜。夏程ではないにせよ、その場にいるだけで汗が滲む、何とも不快な一時。鬱蒼とした木々の間に、彼らはいた。
「で、どうするんだよ?」
まず話を切り出すのは、田島。彼としてはこんな任務など早く終わらせたかった。何せ今日は平日。明日、今日になっているのだが、あと数時間後には学校があるのだ。
「とりあえず支部長には通信入れたんだよな?」
「ああ。それは間違いない」
「だけど通信途絶してる、と。最悪じゃないかよ」
ああ、と出来れば叫び出したい気分ではあったが、辛うじて思い留まるのは、この場には相棒役である進士以外に美影がいたから。
奥の様子を見てくる、と彼女が姿を消してからかれこれ五分。そろそろ戻ってきてもいい頃ではある。
「ま、戻って来られても困るけどもな」
田島は美影の事がどうにも苦手だった。勿論、嫌ってる訳ではない。真面目でお堅いのが嫌なのであれば横にいる相棒役をする事の多い、進士ともこうして一緒にいたりはしない。WDはいざ知らず、WGは一応任務に支障が出ると判断されれば人事を見直してくれる制度もある。慢性的に人員不足の支部であればどうにもならないだろうが、九頭龍支部に関してはそこは問題ない。何せこの数ヶ月で様々な状況が激変している。九条羽鳥がいた頃よりもWDが動きを活発化させているし、他にも外部勢力が入り込みつつある、という報告とそれを裏付ける証拠も出てきているのだから。
それを受け、就労人口及び在住人口も拡大しているこの経済特区での事態の悪化を憂慮した日本支部から、人員の補充を含めた多大なる援助があったばかりなのだ。本当に嫌なのであれば考慮はしてくれるだろう。
(ま、優秀なのは間違いないけど)
その点は疑いようがない。彼女が来てからかれこれ半年程経つ。何だかんだと数々の成果を間近で見てきたのだ間違いない。最初の頃こそ明確だった距離感に関しても、本人なりの歩み寄りらしき努力も見て取れる。
(こいつがどうも甘いからなぁ)
視線を横に巡らせば、進士が落ち着かない様子でしきりに周囲に目配りしている。見張りをしているつもりかも知れないが、正直言って挙動不審でしかない。怒羅美影、という存在が入った事で一番驚いたのが、進士が彼女に惚れたという大事件。
“所詮現実の女はその内劣化、老けてゆく。その点アニメは違う。ずっとそのままなんだ。凄いとは思うだろ?“とこちらへ詰め寄るような男が、だ。
だからだろう、ふと思った事をそのまま問いかけたのは。
「なぁ、あいつの何処がいいんだ?」
そうして何の気なしに言い終わって自覚した。何を言ってるんだ、と。今、仮にも任務中にも関わらず、いや、良く考えるでもなく、そんな真面目かと問われれば違うのだけど。だとしても、そんなデリケートな話を今、ここでしてしまうのは流石に問題がある。
「……………………」
実際進士もポカンとした呆けたような表情をしていた。あのいつも仏頂面の顔が徐々に赤く染まっていき、沈黙する事およそ数秒後。
「え、…………何の事だ?」
ようやく口を拓いたかと思えば、今更過ぎる返事を返してくる。
「あ、あー。そういう感じか」
田島も理解した。目の前の相棒役は今、この瞬間に至りようやく自覚したのだと。そうなると下手におちょくるのも憚られ、いつかの進士曰わく年中発情期と言うあんまりなあだ名を貰ったお返しを、という考えも吹き飛んでしまい、苦笑いする他ない。そうした配慮を察したのだろうか、進士も黙り込み、両者の間に微妙な空気が構成。
(うわー、何とも)(僕は彼女が好きだったのか)
互いに言葉をかわす事なく、任務中だという緊張感など消え失せつつあった空気を戻したのは、しばらくして戻って来た美影の、「見てきたわ」という一言だった。
「こほん。で、どうだった?」
「しょ、そうだ。どうだった?」
わざとらしい咳払いを入れる田島に、動揺のあまり噛んでしまう進士の様子に美影は不信感を抱きつつも、報告をした。
「とりあえず周囲だけど問題はなかった。警備らしき人はいないし、カメラとかも特には存在していないと思う。あくまでも見た限りだけど」
「まぁ隠しカメラがないとは言い切れないわなぁ。お前はどう思うよ?」
「迎合するような意見は本意ではないが、多分み、みか、ゴホン。その通りだと思う」
「…………」
露骨に言い淀んだ進士へ美影の視線が突き刺さる。
いつも通りであればファニーフェイスというコードネームで呼んでいるのだ。何故今日に限って名前呼びしようと試みるのかが彼女には理解出来ない。そもそも呼べてないし。そもそも学校ではお互いの関係性を周囲に分からないように、必要最低限以外なるべく接触しない様にすらしている。仕事の上での同僚であり、親しい友人ではない、だが能力は認めている。それだけの間柄だ。
「ま、いいけど。それよりついて来て」
美影としてはここで無駄な時間を割くのは愚の骨頂。そもそも任務中であり、プライベートな時間ではないのだ。その意味で目の前にいる二人組は問題外。一応それなりに優秀なのだから働いてもらわねばならない。
「あ、ちょ」「わ、かった」
慌てて付いて来る二人組を尻目に先を急ぐ。そうすれば嫌でも分かるだろう。
「おい、何をそんなに急ぐ──」
美影に追い付いた田島は森を抜け、目の当たりとし、思わず息を飲む。
「おいおいマジか」
それはまるで嵐の通った跡。例えるならばとてつもない暴風が吹き荒れ、何もかもをなぎ倒した後の様な惨状。周囲の地面は深く抉られ、木々は無残にも根元から崩れ落ちた様子はまるで爆撃にでもあったかの様。
美影、田島に遅れて追い付いた進士もまた、目を剥く。
「はぁ、はぁ、……これは酷い有り様だな」
その視線の先に映る惨状は、今回の任務対象である施設が第三者からの攻撃を受けた事を雄弁に物語っていた。