……強面の大男との出会い
「はぁ?」
唐突なその話に、何言ってンだ、と思った零二は思わず相手に掴みかかろうとした。舐められた、とそう感じた。
そうして近付くにつれ、相手が二メートルを越える巨体の強面だと気付く。
以前は分からなかったが、大男には無数の傷が付いており、堅気には到底見えなかった。
「なンだアンタ? オレを潰しにでも来たのかよ?」
警戒心を剥き出しにした零二だったがその時、グギュルル、と腹が鳴った。よく考えたら、かれこれ四時間は何も口にしていなかった。力が上手く入らないのを感じる。もしもこの相手がマイノリティなら危険だ、そう思った。
「何だよ、腹減ってるんだろ、お前さん。……いいから来いよ」
だが、強面の大男は驚く程に、無防備だった。そして、屈託のない笑顔(それでも普通の人なら怯える位の迫力はある)を見せながら歩き出す。
すっかり毒気を抜かれ、結果として、零二は大男に付いていった。
グキュルルル。また腹が鳴る。
「お前さん、ほんとに腹ペコなんだな?」
「ほっとけよ」
「素直じゃねえな。ほら、食えよ」
そう言いながら大男が何かを投げてよこす。
それは焼きそばパン、それも手作りらしい。
一体何かのワナかとも思ったが、またも腹が鳴る。
「いいからほら、食えよ。旨いぞ」
その声に従い、零二は恐る恐るそのラップを外す。
そうして、まず感じるのは仄かな温かさ、だった。どうやらこのパンはまだ出来て間もないらしい。
それから、鼻孔を刺激する、いい匂い。芳醇なその匂いに零二の腹は、本能は限界を迎えた。堰を切った様に勢いよくかぶりつく。
「う……ンまい。なンだよこれ! マジでなンなンだよこれは」
絶品だった。ソースも麺も、パン自体もそのどれもがキチンと吟味されたものらしく、それでいて互いの個性を必要以上に主張していない。互いに手を取り合って引き立てている感じだと思えた。
「お前、すごい食いっぷりだなぁ……もっと食うか?」
その問いかけに対し、零二の中に断る、と言う選択肢は既に存在しなかった。コクコク、と何度も頷き、同意を示す
チリリン。
ドアを開くと、上に取り付けられているベルが甲高い音を立てる。何処か心地よい音だと感じた。
店の中は少し薄暗い、だが不思議と嫌な気分じゃない。それどころか心なしか、落ち着く感じだ。
店内には様々な物が置いてあった。
当時の零二には価値が分かってはいなかったが、蓄音機に、柱時計。大量のレコードが棚に飾ってある。
店の奥にはダーツの的に小さな黒板が掛けられている。
「ここはアンタの店なのか?」
「ん? ああ、そうだ。気に入ったか?」
「……まぁな、悪くねェかな」
「がはは、そうかそうか。意外と素直だな、お前」
豪快に笑いながら大男は、カウンターにさっきの焼きそばパンを更に三つ更に乗せて出す。
零二は目の前のご馳走を、三つのパンを瞬く間に平らげた。
店の主人もまさかここまで早く食べるとは思っても見なかったらしく、驚きを隠せない。
「オッサン、美味かった。で、幾ら出せばいい?」
零二としては、その言葉は秀じぃに教え込まれた常識に従った結果に過ぎなかった。どんな物にも対価がある、それを無視してはいけない、と。これだけ旨い物を食べたからには、当然対価を、お金を出さないといけないと、そう思ったのだ。
だから、大男の次の言葉は予想も出来なかった。
「お前さん、バカにしてやがるのか?」
男から出た言葉は軽い怒りに満ちた拒絶だった。
「バカになンかしねェよ、このパンは美味かった。だから当然対価はいるだ……」
「……コイツは俺の奢りだ、だから金なんて出すんじゃない。お前は客じゃないぜ、ただ俺が気に入ったからここにいる。それだけだ」
それだけ言うと大男はコーヒーを差し出す。
「コイツは口直しだ。……ガキには早いかもしれんがね」
そう少し意地の悪い言葉をかけ、皿を持ってカウンターの奥へ姿を消す。
零二は目の前のコーヒーをじっ、と見ている。
彼の知る限り、コーヒーにはミルクや砂糖が付き物だ。
だが、目の前のそれには何も用意されていない。
「どうした? ブラックコーヒーは初めてか、それともやっぱり突っ張っててもガキはガキか?」
「へっ、なめンな!」
バカにされたと感じた零二は、目の前のカップを手にすると、一気に流し込む。
「ぶえっ、なンだこれッッッ…………苦ェ」
思わずその表情を大きく歪めた。何とか吹き出さないのは、秀じぃの食べ物を粗末にしてはいけないという厳しい躾、もとい教育の賜物だった。
「ブッハハハハハ、やっぱりガキじゃないか! お前さん」
大笑いしながら水を出す店のマスター。
最初は睨んでいた零二だったが、あまりの大笑いに釣られ、気が付くと苦笑いを浮かべ、そして、同じく大笑いした。
こんなに笑ったのはいつ以来だっただろう。心からそう思える時間だった。
それから、二人は話をした。
無論、零二は自分のイレギュラーについては話さないし、目の前の強面のマスターも敢えて尋ねたりはしなかった。
「進藤明海だ、宜しくな」
名乗ったのは強面の大男からだった。さっきもそうだったが、見た目の物騒さとは違い、何処か穏やかさを感じさせる、不思議な愛嬌がある。
「オレは零二、武藤零二だ」
零二も返した。
「零二か、いい名前だ。で、お前さん行く当てあるのか?」
零二は思わず振り返る。見透かされていた事に驚いて。
「何となく分かるんだよな。家出少年とかはな。良かったらウチにいな、家賃分は働いて貰うから気にすんな」
それからなし崩し的に事態は進み、彼はここに転がり込んだ。
このバーの二階にある一室が零二には与えられ、そこで寝泊まりする事になった。他の寝床に関しても、進藤からの紹介であり、このダーツバーのマスターは、零二にとって信頼出来る人物となった。
◆◆◆
そして、現在。
昼間前の繁華街。
「おお、レイジじゃないか。今日は牛肉が安いぜ」
「あら零二ちゃん、たまにはウチに遊びに来てよね♪」
「おやおや、いつも偉いのう」
すっかり零二はこの街に馴染んでいた。
食材の買い出しにいつもの大通りを歩けば、肉屋の主人に声をかけられ、スナックのママに遊びに誘われ(未成年なのでいかない)、家業を息子に継がせて悠々自適の蕎麦屋のご隠居に褒められ、とにかく何だか照れ臭いのを堪える。
そこいらの学生とは違い、何処か刺々しいこの不良少年にもここの住人は、何も気にする事もなく普通に接してくれる。
人生の酸いも甘いも知り尽くした彼らからすれば、不良だろうが、会社のお偉いさんだろうが、その筋の人間だろうが、お巡りさんだろうが、お金を払ってくれるなら同じ客だし、同じ地域に住んでるならご近所さんなのだ。
それに、どうもあの進藤明海は、ここいらでは結構有名らしい。
困った事があれば、彼を頼れ。これがここいらの暗黙の了解らしい。その店で住み込みでいるから、というのもご近所さんが、親しくしてくれる理由の一つでもあるらしい。
あの進藤さんが気に入ったなら、いいヤツに違いない、と。
そういう話を聞いた時、零二は苦笑した。
(オレは一応、悪党のつもりなンだけどよぉ)
最初こそ、馴れ馴れしく感じて鬱陶しかったが、最近では不思議と居心地がいいと感じていた。
ただし、一方でここで有名になった事で狙われる事も増えた。
もっとも、その大多数は単なるチンピラやドロップアウトに不良。
零二からすれば、全く相手にもならない連中だが。
「おいこら、無視してんじゃねぇぞレイジィ!!」
買い出しの帰りにたまたま見かけた、不良が声を荒げてきた。
髪はリーゼントでバッチリ決めていて、今時珍しい長ランを着ている姿は正直いって浮いている。
久し振りにケンカを売ってくる相手らしい。
零二は、基本的には一般人に対してイレギュラーは用いない。
それに、そもそもあまりケンカもしないように、極力心掛けているつもりだった。(あくまで彼の視点や観点では)
今回も零二は無視を決め込み、相手にはしなかった。
だが、この日は違った。
最初こそ、いつも通りに無視を決め込んでいた。
だが、リーゼントの不良は突然こう切り出した。
「知ってんだぞ、おりゃあよ、テメーが普通じゃねぇってよー」
その言葉にピクリ、と反応し、零二の歩みが止まる。
リーゼントは尚も言う。
「テメーは、何でもナイフでぶっ刺されても平気だし、ヤクザにハジキを向けられても気にもしねぇってよー」
「だったらなンだ?」
零二は大声で叫ぶリーゼントが、正直言って鬱陶しかった。
だが、今の話を聞く限りマイノリティやイレギュラーについては知らないらしい。なら問題ない。背を向け、再度歩き出す。
「テメー、話は終わってねぇぞコラァ!!」
叫びながらの飛び蹴りを無防備な背中へと叩き込む。
空手の心得があった彼からすれば、手応えは充分だった。
だが、その蹴りを受けた当人は何も気にする事もなく、平然と歩き続ける。それをバカにされたと取ったリーゼントは更に首元へ左上段蹴りを見舞い、前に回り込んで鳩尾へ渾身の右正拳突きを喰らわせる。
「ば、何なんだテメー」
リーゼントは絶句した。常人であれば間違いなく悶絶し、病院送りでもおかしくない攻撃だった。にも関わらず、顔色一つ変えずに零二は歩みを止めない。
「くっそ、待てってんだろがよ……ぶぐうっっっ」
肩に手をかけた瞬間、強烈な衝撃が全身を駆け抜けた。
零二の頭突きがリーゼントの顔面を直撃したのだ。
「ったく、しつこいンだよ。アンタ」
半ば呆れ気味にそう言うと零二は再度店への帰路につく。
ちなみに、零二はさっきまでの攻撃が全く痛くない訳ではない。
マイノリティとは言っても。彼は”自然操作能力”の系統のイレギュラー持ちだ。身体能力そのものが向上する”肉体変異能力”ではない。確かに一般人より身体能力は多少は優れているが、肉体強度そのものは、常人よりと然程違いは無いのだ。
ただ、単に彼は”痛み”に強いだけ。
そう、痛みには散々ぱら馴れているに過ぎない。
二年前まで、あの白い箱庭で、いつ死んでもおかしくない程に痛め付けられていたのだから。今更、一般人が自分を殴打しようが大した事も無いのだ。
今更一般人の攻撃位で、この身体に痛打を浴びせられる様な相手はもう殆どいないだろう。
さっきの上段蹴りの場合は、インパクトの寸前に自分から敢えて一歩後ろに下がって対応した。鳩尾への正拳突きの場合はすんでの所で腹筋を意識しただけ。この程度のダメージコントロールは嫌という程に叩き込まれた結果、今ではもう息をするかの様に簡単だ。
「ま、待ちやがれ。こんチクショーが」
起き上がったリーゼントは、何とか痛みに耐えながら追いすがろうとしたが、もう既に相手はそこにはいなかった。
チリリン。
バーに備え付けられたベルが高らかに鳴り響く。
「おー、零二。意外と早かったな」
カウンター裏のキッチンから進藤が姿を見せる。
その表情は何処かニヤけている。まるで、ここに至るまでの出来事分かっているかの様に。
「あ、マスター。もしかして……」
零二がそう呟くと同時に、大男の表情は少し底意地悪げに破顔。少年の言葉を肯定した。
「いやぁ、あれはなかなか最近滅多に見ない位に気合いが入った少年だったなぁ。あぁ、昨日来たんだよ、お前さんが出かけてる内にな」
「アンタがご丁寧にオレの通る道を教えたのかよ……」
はぁ、と珍しく溜め息をつく。
この強面のマスターは、時折こうした悪戯を零二に仕掛ける。
勿論、零二が負けるとは思っていないからこそこうしたイベントを仕掛けて来る訳ではあるが。
「まぁまぁ、いいじゃないか。で、どうなった?」
「…………はぁ」
「いいだろ別に、本気で殴ったりしてないんだろ? 決まり手は何だったんだよぉ」
嬉々とした声をあげつつ、心底楽しそうな最高の笑顔を浮かべつつしきりに尋ねてくる大男に対して、最初こそ無視を決め込んでいた零二だったが、やがて根負けしたらしく「パチキかました」と答えると、額を指差す。
「頭突きかぁ、ソイツは痛そうだ」
うわー、と大袈裟に声をあげる店の主人に呆れた少年は、とりあえず食材を冷蔵庫に入れていく。
そして、昨日余った野菜等をフライパンにかけると、手早く野菜炒めを作り出す。この一年でこうした軽い料理なら軽くこなせるようになった。それも今、目の前で嬉しそうに小躍りする強面の店の主人の指南あっての事なのだが。
「おお、旨そうだな。俺にもくれ……ん、旨いな」
「ッてオイ、つまみ食いすンじゃねェよ、オッサン!」
「ケチだねぇ、こんなに大量に作っといて。……全部一人で食うんか?」
「ちげェよ! まだ味付け終わってねェンだから食うなってンだ」
意外な事に、零二はこうして料理をよくする。
最初こそ、おっかなびっくりで包丁を手にしていて、進藤は目が離せない有り様だった。
だが、一度教えた事はすぐに理解。そして、即座に実践出来る所を見ている内に、今では時折、店の賄いを任せる位にまで料理の腕前は上がっていた。
「お前さん料理人になれるぞ、これはわりとマジでな」
心底感心した表情で、玄人顔負けの少年料理人を眺める。
「へっ、かンがえとくよ」
零二もそう言われると悪い気はしなかった。
正直言って、料理をするのは好きだった。
今では、あの焼きそばパンも自分で作って登校していたりするし、朝早く起きて、弁当を作ったりもする。
零二からすると、自分の手が物を焼いたり、壊す以外にも使える事を確認出来る貴重な時間なのだ。
「ほら、出来たぜマスター。たっぷり食え」
大盛りの野菜炒めと、盛り付けられるだけ盛られた炒飯をカウンターテーブルに置く。炒飯の具材は卵と刻んだネギだけ、隠し味として、ほんの少しのだし醤油を足らすのが彼なりのこだわりだ。
ほのかに香る醤油の匂いが二人の鼻孔を刺激する。
「おお、食うかレイジ」
「冷めねェうちに、な」
これが、彼にとってのささやかな楽しみの時間だった。
◆◆◆
一方、その頃。
「くっそ、何だよあのヤロー」
リーゼントの不良がズキズキと痛む頭を抑えながら、ふらふらした足取りで裏通りを歩いていた。
彼は、九頭龍に来てまだ間もない。だから、ここいらの地理には疎かった。彼がここに足を運んだのは、ここいらで一番強い奴を倒して名を上げようとしたから。もっとも相手の名前が予想外ではあったのだが。
(何だったんだよ、アイツは?)
確かに強かった、それも桁違いに。
自分の空手が全く通用しなかった。地元じゃ、大人の黒帯にでも五分以上に通用したはずなのに、まるで子供扱いだった。
相手は自分よりも年下のはずだ。それに身長だって一八〇近くあるし、体重も七五キロ。相手は自分よりも一回り小さかった。負ける要素等無かった、さっき呆気なく倒されるまではそう思っていた。
(チクショー、諦めねえぞ。絶対勝ってやる)
そう心に誓いながら、薄汚れたその路地を進む彼は気付いてはいなかった。
いつの間にか自分がさっきまで存在しなかった裏路地に足を踏み込んだ事を。そこが”パペット”と名乗る犯罪コーディネーターの潜む場所であり、遊び場である事を。
「おやおや、これはなかなか……面白いそうな玩具かもね」
自分の遊び場に”招かれた”その人物を興味深くビルの屋上から眺める少年の姿を取ったかの人物は、歪んだ笑みを浮かべ、新しい玩具を見下ろしていた。