魂と尊厳(Soul and dignity)その29
それは何とも気味の悪い光景だった。
手が自分の腹に突き刺さる、刺さったはずなのに。
なのに、……痛みがない。いや痛みがないどころか、手がそこにある、という感覚すらない。まるで手品の様な、悪い冗談の様ですらある。
「どうしたね?」と継ぎ接ぎだらけの男は余裕の笑みを浮かべる。
それもそうだろう。主導権は自分にあるのだ。
「ちっ」零二は舌打ちした。間違いなく、この男の手は自分の中に入り込んでいる。なのに、だ。未だに何のダメージも感じないのだ。
「どうした? 随分戸惑っているな。分かるか? お前の命はこの手の中にあるのだ」
ズルズル、と腹の中を手が蠢く。身体の中で、異物が臓物をかき回す。なのに、痛みがない。本来であれば激痛を通り越して、ショック死してもおかしくないような状態だと言うのに。
「どれだけ強くても、私にかかればこうだ」
継ぎ接ぎだらけの男はニコリ、と清々しささえ感じさせる満面の笑みと共に、手を引き抜く。その瞬間。
「ぐ、あ、ッッッッ」
零二は自分の体内が爆ぜるような感覚を覚える。
まるで体内に爆薬を仕掛けて、それが炸裂したような痛み。
よく炙った焼きごて、いや、よく炙った鉄串を何十本も刺し込まれたような感覚か。それらが刺さった状態で、中身をかき回したような激痛を前に、ガクリ、と膝から崩れ落ちる。
「ん、クッッッッ」
思わず零二は視線を腹部へ巡らすも、そこに目立つ傷は一切ない。
これだけのダメージなのにもかかわらず、少なくとも外から見れば無傷だった。血の一滴、ほんの僅かの傷すらない。
「どうした? もっと呻くといい。叫べばいい。苦しみ悶えるといい」
目の前の光景に満足したのか、継ぎ接ぎだらけの男は優しさすら感じる声音と共に嗤う。
殺してはいない。郭清増悪からは殺さずに生け捕りにして欲しいと頼まれた。一応、あの闇医者は命の恩人だ。本来なればここから如何に素晴らしい芸術作品を作り上げるか、と考える場面ではあるが、今回は見逃してやるべきだろう。
「君の中身はズタズタのメチャクチャだ。ショック死してもおかしくないような状態だ。マイノリティという奴は本当に便利だよ。死ぬ程痛めつけても、そう簡単には死ねないんだからな」
さぁ、もっと苦しめ、と眺めていた獲物だが、ここで違和感に気付く。
膝をつき、苦しんでいる。それは確かだ、間違いない。マイノリティにはリカバーという超回復能力が備わっている。その能力自体は個人差があるので一概には断じる事は出来ないが、武藤零二というマイノリティはかなりの戦闘能力を持っていると聞く。であればその回復能力もそれ相応に高いはずだと想像する。してはいたのだが。
(だが、何故だ?)
だとしても、だ。目の前の相手はどうして。
(何故、その表情に、目に、もっと苦悶の色が強く出ない?)
何故、武藤零二はゆっくりと立ち上がり、こちらを睨み付けてくるのか?
「ふぅ、…………いってェ」
まるで蚊にでも刺されたかのような口調で、嗤えるのか。
ここまでの展開で、自分の方が押されているというのに。
その視線、目にあれだけの強いぎらついた光を宿しているのだろうか?
「お前、一体何なんだ?」
「あ? ンなの分かってンだろ?」
「何故だ?」
「何がだよ?」
「何故平然としていられる?」
「……意味分からねェな」
ここで継ぎ接ぎだらけの男は気付いた。いつの間にかじりじりと自身の足が下がっている事に。そんなのは有り得ないはずだ。
何故なら、この場を支配しているのは。
「お前が怯えなければおかしいだろうが────」
感情が高ぶったからだろう、絶叫しながら地面へとその姿を潜ませ、攻撃態勢に入る。
「…………またか。芸のないこった」
零二はまたしても目の前から消え失せた敵に対し、思わずため息を漏らす。
「ああ。確かに消えちまったな」
こうなると攻撃の主導権は向こうの物だ。何せ仕掛けるタイミングは相手次第なのだ。
(長時間使えるようなイレギュラーだったら、まぁ厄介だよな)
それはない、と零二は考える。根拠はない。ただの勘だ。だが間違ってはいないと思える。
目を閉じ、耳を澄ますも、歌音のような聴覚などない身では相手の居場所など分かりようもない。だからこそ、最初に相棒役の少女が狙われた、と考えるべきだろう。
「じゃ、しゃあねェわな」
取るべき手段はただ一つ。零二は身構えるのを止め、棒立ちとなる。
そうして待つ事数秒後。
背後に何かが姿を見せたのを察知。
「っしゃあッッッ」
全身の熱を爆発させ、振り向きざまの一撃を放った。
その結果は。
「ぐばは、らっっっ」
確かな手応えと共に呻き声をあげ、後ろへと倒れ込む相手の姿がそこにあった。
「ば、何だと?」
予想だにしなかった反撃を受けたからだろう、動揺を隠せない継ぎ接ぎだらけの男。
その様子を目の当たりとした零二は得心がいった、とばかりに頷き、「さぁ、来なよ」とその目に獰猛な光をぎらつかせると、零二は相手を手招きした。