魂と尊厳(Soul and dignity)その27
最初に作品を完成させた時、彼は生まれて初めて満たされた、と実感する事が出来た。それまで脳内でずっと思い描いていた自分だけの芸術。
中にある臓物を何の痕跡も残さずに抜き取る。様々な器具に方法を考え、試行錯誤してみたものの、どうやっても実現せず、日々苛立ちを感じていた。医学書を読み漁り、鹿だの猪だのを解体。だが満たされない。何かが決定的に違う、そこらに転がっている様な獣では美しさが、何よりも感動がない。
この芸術の素晴らしさとは、対象が自分に起きた事を知った際、または自分がもう死ぬのだ、と認識した際に見せる表情だと認識している。出来上がったモノをではなく、出来上がる寸前、即ち命が損なわれる寸前、灯火が切れる刹那の芸術。敢えて例えるならば、花火の様なモノだろうか。あっちよりも優れている点は、作品を留めておける、という事。一番いい所は自分が堪能し、あとそこにあるのは抜け殻ではあるが。
誰かが言っていた。イレギュラーとかいう異能は当人の潜在意識、精神構造に起因するのだ、と。であればまさしく自分のコレはその為にこそ使われるべきだ。
もっとだ。もっと素晴らしい作品を作り出したい。自分を強者だと自覚している相手がいい。自分が死ぬ等とは思ってもいない様な強者が望ましい。ソイツが自分の死に際して絶望する様を、最前列から眺めていたい。ただそれだけ。そんなささやかな望みが背外一政、解体者と呼ばれるモノが生きる意味だった。あの日、までは。
◆◆◆
くく、ははは、と笑い出した継ぎ接ぎだらけの男に、零二は嫌悪感に満ちた表情で応える。
「ああ、よく分かったよ」
「何がだね?」
「アンタの芸術ってのがどういうモノかってな」
「ほう。興味深い。何が分かるというのだね? 私の作品も目にした事もないのに」
継ぎ接ぎだらけの男は好奇心に満ちた笑みを浮かべ、相手に回答を促す。
対する零二からの返答は、「ンなモノ見なくても充分だって」というもの。その小馬鹿にするような物言いに芸術家は微かに不快感を覚える。
「気に入らんね」
そういい放つと、まるで水の中に潜り込むような自然さで継ぎ接ぎだらけの男が地面、地中へ消え失せる。
そしてほんの一秒にも満たない間に零二の背後へ浮上。そのまま背中へ手を下から上へ、水をかくような動きで振り抜く。
「ちっ」と舌打ちしつつ、零二もまた瞬時に前方に飛び込むような勢いにで踏み込む事で攻撃を回避。さらに一歩踏み出し、即座に反転。反撃態勢を整えると逆襲の左飛び膝を見舞わんとする。だが、膝を受ける前に相手の身体はまたも地面へ。一撃は空を切る。
「面倒くせェな」
《おや、苛立っているのかな?》
声から位置を割り出そうと試みるも、声は地面のあちこちから聞こえる。そもそも自分は相棒役の少女ではない。彼女の様に音を聴く事は不可能だ。
「るせェよ」と怒鳴りつつ、上へ飛ぶ。ほぼ同時に地面から手が生えるように飛び出し、今まで足首があった場所を握り潰すように手を閉じる。
「すばしっこいな」
敢えて音を付けるのなら、ボコボコ、といった所か。継ぎ接ぎだらけの男はまるで何事もなかったかのように姿を見せる。
「どうしたんだね? さっきまでの勢いがまるで見る影もないようだが」
「へっ」
「そうやって強がるのも君が食えない相手だと言う証左だな。ハッタリというのも、時には有効であるのは認めよう────」
だがね、と続けると同時にまたも突き出した手を零二が叩く、いや叩こうとして、手刀がすり抜けた。そのまま継ぎ接ぎだらけの手は真っ直ぐに。
そして。
「生憎、この間合いは私のモノだ」
「ぐ、うっっ」
小さな呻き声と共にまたしても零二の腹部へ突き通った。
◆
ぴちゃぴちゃ、という水滴の音。
「う、うっ」
小さな呻き声をあげ、歌音が目を覚ますと、そこは真っ暗な空間だった。
水滴らしき音と、鼻をつくのは消毒液のような薬品臭。
「いつ、っ」
軽い痛みを感じ、思わず腹部に手を添えると、何か布の様な物が巻き付いている。目を凝らすとそれが包帯だとすぐに理解出来た。
(どういう事? 確か、私は)
くらくらして上手く考えが巡らない。誰が手当てしたのか? と考えたその時だった。
「気が付いたようだ。もう大丈夫」
そう声がかけられて、歌音はようやくすぐ傍に自分以外の存在があったのだと認識。信じ難い事だが気付かなかった。
「心配はいらない」と声をかける相手を睨み付けるも、その当人はどこ吹く風、といった様子で不気味に笑う。
「私は医者だからね」
郭清増悪はさも当然とばかりに胸を張って見せた。
「今すぐ、私を……」と歌音が言う前に闇医者はシー、と言いながら自身の人差し指を口の前に運んだ。
「君は怪我人だ。それにまだ身体が思うように動かない筈。悪い事は言わないからもう少し休んでいくといい」
自分の方が余程病人に見えるような、青白い顔と不気味な雰囲気からはおよそ似つかわしくない、優しい言葉。それこそ、普通ならば信用してしまう場面なのかも知れない。
「ッッッ」
だが、桜音次歌音という少女は今の言葉を受け、より一層警戒心を強める。
まだ上手く身体は動かないし、思考も巡っていない。だが、それでも。
「うーむ。どうやら酷く嫌われてしまったようだ。実に残念だよ」
郭清増悪はやれやれとばかりにかぶりを振って、心底から残念そうなため息をつくも、「その様子だと、単純に嫌われている、のではないね。君のイレギュラーに起因するモノか」とその声音からは喜色の色が伺える。
「それもかなり強力なイレギュラーだね。でなければ、私の投薬を受けた上でここまで耐える事など出来はしない」そう言うと、目を爛々と輝かせ、最新の患者を興味深そうにまじまじと眺める。
「っっ、気持ち悪い」
端的かつこれ以上ない、歌音の本音だった。
正直本調子には程遠い状態だった。音を聴いている筈の自分がこんな奴の存在を認識出来なかった。まず間違いなく、こちらの聴力を狂わされている。
「そうかね。私の治療を受けた患者は皆気分がいい、と言ってくれるのだがね」
不思議そうにまじまじと眺めるその視線からは、好奇心が滲み出ている。まるで子供のような純粋さで。その断言めいた物言いが歌音には気になり、言葉を返す。
「気分がいい、って?」
なんて事のない言葉のようにも思えた。だが歌音は、その耳は聴き逃さない。調子は悪い。今、戦えるか、と問われれば遠慮したい。身体を動かすのも、思考するのすらも億劫だ。
イレギュラーを使える程に集中するのですら怪しいもの。こんなぐちゃぐちゃな今の状態を一言で断じるならば絶不調だろう。
それでも、だ。
イレギュラー云々以前の問題だ。この病的な闇医者から伝わる鼓動、それだけで分かってしまう。こいつは狂っていると。
本人からすれば、善意のつもりなのかも知れない。
確かに、傷の手当てはきちんとされているようだし、打算はないのかも知れない。
だが、どうしてだろうか。
「私のアオフヴァッヘンによって患者は皆、幸せになれるのだ。それは実に素晴らしい事だとは思わないかね?」
そう誇らしげに語るこの男の言葉からは、気持ちの悪さしか聴き取れないのは。
「そうだとも。私はその為にこそ医師を続けているのだからね」
そう恍惚とした様子で語る男を見て、歌音は気付く。この気持ちの悪さの原因に。
だからだろう。普段は使わないような、言の葉を紡いだのは。
「煩い、黙れ」
普段であれば、決して出ないような強い口調でそう言い切ったのは。