魂と尊厳(Soul and dignity)その25
それは有り得ないモノだった。
腕が腹から出ていた。まるで、最初からそこにあった、とでも言うかのように、さも当然とばかりに。
「く、……」零二は無理矢理に身体を前へと傾けると、「ガ、アッッ」と歪なオブジェのように突き刺さっている手を抜く。大きく穴を穿かれた腹部からは血が噴き出し、ゴホ、と咳き込めば同じく血を吐き出す。普通であれば、最早戦う事など到底叶わぬような重傷。如何にマイノリティであっても痛みそのものは常人と同じ。
「く、う、おおおおオッッッッ」
文字通りの意味で死ぬ程の激痛に悶え苦しみそうなのを、吠える事で上書き。尚且つ激痛の元となっている穴を一気に塞いでいく。ボタボタと滴り落ちた筈の血を気化させ、蒸気にし、それを体内へと取り込んでいく様は傍目からは怪物以外の何物でもないだろう。
「ったくよぉ、やってくれるじゃねェか」
零二は姿を見せない敵に対して笑う。
「へっ、テメェが有利だと思ってンならよ、ソイツはちょいとばっかし甘ェよ」
ああ、だってよ、と獰猛に歯を剥いて言い放つ。
「テメェがいる場所ならよ、もう分かってンだからなぁッッッッ」
左足を地面を震脚の如くに振り下ろす。そうして生じた勢いを全身に伝えて右拳に乗せて放った先は────。
◆
背外一政という男は一度死んだ。社会的に抹殺されたのというのではなく、肉体的な、文字通りの意味で死を迎えた、………筈だった。
数ヶ月、季節は初夏だったか、まだ本格的な暑さを迎える前に起きたささやかな事件にて事の顛末を見る事もなく、殺されたのだ。
彼を一言で言い表すならば、芸術家だ。
画家が筆とキャンパスで自分の感性を表現するように、建築家が自らの設計した建物で自分の内面を見せるように、彼もまた自分の作品を表現する為にこそこの表現手段を得たのだと思って様々な人間に自分の作品を創作してきた。
殺し屋という見方は一方的な物だったものの、自分の作品が万人受けする物ではないとも理解していたので、そういう偏った見識は無視を決め込んできた。
だからこそ彼にとって、郭清増悪という医者の存在は貴重な物だった。
闇医者は言った。
「価値観など万人それぞれ。だから君が創作活動をするのも、したくなるのも仕方のない事。私も命を救う為なら何だってしてきた。余人がどう言おうとも関係ない」
初めて自分を認められた、そう感じた。芸術家である自分を単なる人殺しとして見ている愚人共とは異なり、この男は価値観を含めて認めた。
いつの頃からか、金には困らなかった。最初こそあちこちを転々として細々と営んでいた活動に目を付けられ、スポンサーも付き、趣味と実益を兼ねてじっくりと腰を据えて活動する事が出来るようにもなった。
九頭龍に居着いた格好になったのも、ここには複数のスポンサーがいたから。
WD絡みの連中に、人形遣い。それから、街の支配者階層と思しき存在。彼らの隠蔽により、思う存分に芸術活動に勤しめた。充実した日々だった。
だがその全てが狂った。
発端はWD及びにWGで起きた権力闘争、とでも言うべき事件。
背外一政はその黒幕の一人に雇われ、そして死んだ。
そう、確かに死んだ、筈だった。
◆
「ギャアアッッッ」
零二の白く輝く右拳が直撃したのは、ナイフを手にした警備員の男だった。完全に錯乱状態だった男は顔面へと拳を叩き付けられ、地面へと這いつくばる。何とか立ち上がろうと試みるも、膝に来ているのか、ぐらりと揺れてそのまま地面へ落ちる。
「…………」
零二はそんな相手を油断する事なく睨み付けている。
「あ、ががあああああああ」
じゅうう、と肉を灼く嫌な音と臭い。警備員の男の苦悶に満ちた絶叫がその全てを雄弁に物語る。普段の零二であれば、今の一撃で敵を灼き尽くす所狭しとなのだが、敢えて手加減したのには理由がある。
「オイ」
誰に言うでもなく、いや、違う。零二の視線は真っ直ぐに警備員の男へ注がれている。
「聞いてるだろ?」
チリチリと燃え、呻き苦しむだけの相手にも関わらず、目を細め、油断なく身構える。
「くっだらねェお遊びに付き合うつもりはねェ。さっさと来い」
傍目から見れば両者の間に会話は成立などしておらず、実際、会話になどなっていない。警備員の男はそれどころではないのだ。今も徐々に肌を、肉を灼かれているのだ。ジリジリ、ジュウジュウと爛れ、このままでは黒こげどころか、燃え尽きかねない。こここの状況に至り、警備員の男に一体何が出来ると言うのか。それは目の前にいる零二自身が一番よく分かっているのだ。だが、それでも。
「そのままだと死ぬぜ。それでいいなら構いやしねェけど」
そう言いつつ、更に右拳に熱を集約。蒸気を発しながら白く輝かせる。
「念の為にダメ押し入れるぜ。悪いけどよ」
足をじり、と前へ動かし、トドメとなる一撃を放てるように準備した時だった。
「あ、あ、あああああぎゃあああああああ」
突如として警備員の男が起き上がり、絶叫とも雄叫びともつかぬ大音声をあげながら零二へと突っ込んでくる。
「燃えな」
零二が意識を集中させるや否や、拳を叩き付けた頬を中心とした焔は一気に全身へと広がり、瞬く間に火だるまに。警備員の男はその場にて硬直、そのまま倒れ伏した。
「…………」
それでも零二は警戒を解かない。どう見たって相手は既に絶命しているのに。自分の焔で全てを灼き尽くしたというのに。ツンツン頭の不良少年は感じていた。この場にいる何者かの存在を。
そしてそれはすぐに証明される。
いきなり零二の足元、地面から手が伸びた。
「──チッ」
舌打ちしながら後ろへ飛び退き、即座に態勢を立て直すも、既に敵の手はそこにはおらず──次の瞬間、零二の背後から何かが飛び出す。
「面倒くせェッッッッ」
躊躇なく前へ飛び込む。ぶうん、と空を切る音は手刀だろうか。すぐさま確認しようにも相手の姿はない。
「かくれんぼかよ、くっだらねェ」
地面を睨み付け、吐き捨てた。
「何処の誰だか知らねェけど、怖いのかよ」
安い挑発だとは分かっていた。この程度の煽りに引っかかるとは思っていなかったのだが。
「怖い、だと?」
いいだろう、という言葉と共に地面から生える植物かのように音もなく姿を見せたのは。
「へェ。ようやく姿を拝見ってワケか」
全身継ぎ接ぎのような傷だらけの男だった。