魂と尊厳(Soul and dignity)その20
零二が西東からの依頼を受けたのとほぼ同時刻。
高速道路を走る車中にて神門は一本の電話を受けていた。
「成程。クリムゾンゼロは病院に。分かった、情報提供に感謝する。謝礼はいつもの口座に送っておくよ。では、また」
言葉でこそ感謝を述べた神門だが、表情にこそ出さないものの、「くだらん奴だ。金の為なら何でも売り買いとはな」と吐き捨てた。
「相手は情報屋?」と問いかける縁起だが、基本的には何の興味もない。神門はマイノリティでこそないものの、かなりの権力者。となればそれなりの伝手などを持っていて当然だろう。この場合、普段であれば感情を表に出さない筈の彼が不快感を隠さなかったのが、目に付いただけの事。
「ああ、相手は誰だと思う?」神門としては珍しい事に質問を返してきた。
とは言え、彼女にとっては別にどうでもいい事。
「さぁ、誰なんです?」と切り返すのは至極当然だった。
「くだらん小物だ。あれこれと金ばかり求めるが使い勝手はいい。それだけだよ」
「……そう」
最初こそ神門の事を弟を助けてくれる善意の人だと思った。いや、この世に真実の意味で善意の人などいるのだろうか。
「いずれにせよあの様な輩との付き合いは早めになくしておきたいものだ」
そう語る恩人の言葉に嘘偽りがないのが分かる程度には付き合いがある。ただそれだけの関係。今の縁起祀はそう思っている。
「これでクリムゾンゼロの動向は分かった。であれば、我々はWGの方々を出迎えようじゃないか」
「本当に来るの?」
「間違いなくね。彼らとて無能じゃない。ある程度の情報さえ伝えれば望む通りの行動はしてくれるさ」
まるで悪戯でもしたように笑うが、相手からすれば悪戯などでは済まない。何せこれから行われるのは──。
何も考えないようにしてはみたが、そう思うと余計に考えてしまう。その様子を見て取ったか、「君は私の言う通りに動いただけさ。弟を人質に取られてね」と神門が言って聞かせる。
「殺しは嫌い」
最早人ではない、フリーク相手の時でさえ、気分が悪い。あの断末魔、正確には死に際の顔が脳裏に焼き付いて離れない。まるで部屋の電気のオンオフを切り替えるかのような、フッ、と光が途絶える瞬間が目に焼き付いて離れない。
「ああ知ってるよ」
この数ヶ月、幾度か外に出て幾つかの仕事をしてもらい、改めて再認識した。縁起祀という人物が命を奪うという行為そのものを嫌っている事を。例えそれがどんな屑のような輩であっても、その行為に罪悪感を抱いてしまうのだと。
(確かに至極真っ当だよ君は。突っ張ってはいるが本当は心根が優しいのだろうさ。ああ、だからこそ、だ)
それからどの位の時間が経過したか、高速道路を降りて、国道に入り、更に県道へ入る。
いつしか車窓から見える景色は寂しくなっていき、周囲は木々ばかり。目的地までそう遠くない地点に至り、変化が起きた。突如として、車が減速した。がたん、と身体が揺れ、シートベルトが食い込んだ事から急ブレーキを踏んだのは間違いない。神門が運転手に訊ねる。
「どうした?」
「社長、前に妙な奴らが」
運転手は明らかに怯えた声をあげ、縁起祀が前方に視線を送ると、どうやら誰かがいるようだ。それも一人や二人などではない。十人以上はいるだろうか。人里離れたこんな場所にいるのは明らかにおかしい。
不穏な気配を感じたその次の瞬間、事態は動いた。
パラララ、という軽い音と火花が飛び散り、運転手の身体を揺らした。運転席と後部座席の間に張られた強化ガラスをキャンバスに真っ赤な花を咲かせる。
「襲撃?」
事切れたであろう運転手の身体が前に崩れた拍子にアクセルを踏み込んだのか、加速。同時にハンドルが狂い、車がスピン。そのまま道を外れて樹木に激突。
「大丈夫?」
激突するすんでのところでドアを蹴破って、車内より飛び出した縁起祀は、連れ出した神門に確認、同時に襲撃者を一瞥。全員がサブマシンガンらしきモノを携えている。それから恐らくは暗視装置らしきモノを装着。そこいらにいるようなチンピラ連中ではないのは明白だ。
「ここから動かないで」
「祀さん」
短いやり取りだったが、神門は愚か者ではない。車の運転手が絶命、煙を上げている事から車は中破ないし大破。逃げるのが困難なこの状況で、荒事向きではない自分には何も出来ない事は分かっている。草陰で出来るだけ身を縮め、流れ弾が飛んでこない事を祈るのみだ。
(どうする?)
草木を踏み締める音が出ないよう、静かに動きつつ、縁起祀は考える。
分かっているのは二点。相手は素人ではない。それから、狙いは神門だろうという事。
(神門さんを殺す意図はないはず、だったらもっと銃撃してきた)
運転手だけを狙い撃ったのは、目的が殺害ではなく、確保である証左。実際、彼らはサブマシンガンを構え、じりじりと距離を詰めては来るものの、不用意な発砲はしてこない。
(制圧は出来る)
確信はある。何故なら、自分の今までの動きに連中はついていけていない。であれば、自分一人でも問題ない。いや問題はある。
(上手く加減できるだろうか)
この数ヶ月で能力は向上した。だが同時に手加減が上手く出来なくなった。自身の速度が速くなりすぎて、まだまだ使いこなせていない。
実験であれば関係ない。殺るか殺られるか、殺らなければ殺られるのは自分。
だがあの連中は実験相手ではない。
(何を考えてる? ワタシは大丈夫でも神門さんは違うだろ)
余計な事を考えると集中出来ない。何にせよ、連中をどうにかしなければいけないのだ。
と、周囲でガサガサと物音。それに呼応するように銃撃が浴びせられる。
(見つかった? いや)
今のは違う。目を細めて確認すると、倒れ伏した猪がいた。まだ小さい、恐らくは子供だろう。見れば傍には大きな猪も倒れていた。
ガサガサと草木を踏み締める音。一人、いや二人。今度は襲撃者達が近付いてくる。
「おい、何なんだ?」
「いや、猪だった」
「何だよ、無駄弾使わせやがる」
「全く。撃つにしたって確認しろよ。例の社長は生け捕りだぞ」
「つまらねぇ。じゃあそれ以外はいいんだよな?」
「ああ、生かしとく理由はない。精一杯苦しませて殺そうぜ。いや、女は楽しませてもらうってのもアリかもな」
「お、そりゃそうだな。どうせなら悶え殺してやるってのも面白いよな」
二人組の会話を聞き、縁起祀は小さく息を吐く。そうか。そんなモノか。
(なら、いいや)
カサ、と小さな音が後ろを歩いていた一人の耳に届く。動きを止め、振り向こうとして、伸びてきた手により顎を一撃。不自然な角度に首を傾け、倒れた。
「何だ──」
前方を歩いていた襲撃者も異常に気付き、銃口を向けるも彼女には無駄な事。既に背後に回り込んでいて、膝裏を蹴りつけて身体を崩し、左腕を首にかけてそのまま一気に締め上げる。それら全てが一瞬の内に行われ、相手はものの数秒足らずでだらりと力なく崩れ落ちる。
「そうだ。なら、確実に殺さないと」
今更だ。今更分かった。分かっているつもりで全然分かっちゃいなかった。
すう、と息を小さく吐く。そして、足を前に、身体を前に傾ける。
ただそれだけで全てが変わる。変わっていく。
目の前全てが遅い。襲撃者達の目の前に飛び出し、まずは一人。その顔へハイキック一閃。ごきん、という音と感触。蹴り飛ばされ、地面を転がり、ようやく止まった所で、首があらぬ方角を向いた仲間の無残な姿を目の当たりとして、他の連中もようやく何が起きたのかを知覚。驚いているのが分かる。そうこうしている間に二人目の背後を取ると腕を巻き付け、一気に締め上げる。普通であれば落とすまで何十秒もかかるはずの行為だが、縁起祀の速度を以てすれば文字通り秒殺。無防備の呼吸器を圧迫ではなく潰す。腕を外し、前へ押し出すと相手はぱくぱくと口を動かして、音が、息が出来ない事を理解してそのまま死んでいく。襲撃者達は何が起きているのか分からないままに、死んでいく。
「ええ、それでいい」
神門は目の前で見える景色を満足げに眺める。
「あなたに必要なのはそれだ」
パラララとサブマシンガンが火を噴いた。だが彼女には無駄だ。当たるはずもない。見えない相手にどうやって当てるというのか。たまたま当たるのを待つとでも? 銃弾よりも速い相手に?
「哀れだな」
スーツに付着した土を払い、車を一瞥。
「君には悪い事をした。だが気にするな」
運転手の家族には見舞金を送る手筈だ。彼が普通に務めて何十年かかる金額を父母へ送る。彼らが生活に困窮する事はない。
「私は間違いなく地獄に落ちるだろう。そんな物があるのならな」
だが、必要な事だった。それだけは確信がある。縁起祀、ロケットスターターと呼ばれるマイノリティが躊躇っていた、自身の全てを引き出す為の最小限の犠牲なのだから。
空を、月を眺めながら、神門は薄く嗤った。