魂と尊厳(Soul and dignity)その19
カチャカチャと水切り置き場に置かれた皿同士のぶつかる音。
その横では、零二が今まで使っていたステーキ皿を洗っている。
ぱしゃぱしゃとした水滴が飛び散って手を濡らすも、その都度一瞬で蒸発していく。
意外に見えるだろうが、零二は洗い物が割と好きだった。今の今まで汚れていた食器を洗って綺麗にする。当たり前の事ではあるのだが、自分の手で洗い、ピカピカになるのが気持ちいい。おまけに、二年間熱操作に特化してきたせいだろう、今では特に意識せずとも体温を調節。容器に注いだ冷水であっても瞬時にお湯になってしまう程度の事は造作もない。おかげで普通であればしつこい油汚れであっても簡単に、コスト安で出来る。
“食器洗い機なんていらないよな、レイジってば便利だなー“とは妹分であり、同居人でもある神宮寺巫女の言。最初こそムッとしたものの、よくよく思えば、洗ったお皿にしたって、自分が手にした段階である程度の水気は蒸発しているのだ、確かに他の者が同じ事をするよりは色々と短縮出来ているという意味でならそれはそれで便利だと思うのだ。
時刻は間もなく二十時。零二の姿は自宅である九頭龍中心部、足羽川沿いにあるマンションの最上階の一室ではなく、かといってバーのマスターこと進藤の所でもなく、自身のファランクスのアジトとして用いているいくつかの倉庫の一つにあった。
ちなみに先日敵に襲撃を受けた倉庫は売却済み。下村老人は随分と惜しんではいたが、一回敵にバレた場所ではもう安全は保てない、というのが全員で話し合った結果そうなった。
いざという時の為に周囲に民家がないのは当然として、ここが倉庫が前と違うのは、敷地面積の大きさ。理由として今の倉庫になる前は、前世紀の戦時下における兵器工場だったとの事。組み立てた兵器の稼働試験なども行っていたとの事らしく、結果として小さな集落位ならすっぽり収まるような面積となったらしく、「おい見ろ零二。こいつぁとっときの基地になるぞ」とこの物件を見た時の下村老人のはしゃぎっぷりは凄かった。難点としては、周囲に公共交通機関が皆無という事で、スクーターを運転出来る零二は別として、中学生であり、免許などまだ当分先になる巫女と零二の相棒役の桜音次歌音はここに来る為に下村に送迎してもらう必要がある。そのデメリットを鑑みても、この倉庫は使える、というのがファランクスメンバー全員の認識なので交通の不便さに文句を言う者はいない。
その分、この倉庫には暇を持て余さないように、と各種ゲームハードが置かれ、ゲーミングパソコンが置かれ、図書スペースがあり、トレーニング機器が置かれ、汗を流す為のシャワー室に挙げ句には仮眠室まで備え付けられており、至れり尽くせりとなっている。もっとも、その仕入れ等により、リーダーであるツンツン頭の不良少年の財布が瀕死になってしまった訳ではあるのだけど。
◆◆◆
「それで、何か分かったワケ?」
電話の相手は西東夲。昨晩の出来事から、もうすぐ丸一日経とうとしていたついぞさっき、ようやく向こうから電話が入ったのだ。
零二は基本的に仲間に隠し事をしないように心掛けている為、この通話もアジトにいる全員にスピーカー越しに聞こえている。その旨は向こうにも通達しているので、少なくとも無礼だとは思っていない。西東も別に気にしてはいないらしく、話を切り出す。
──ああ。今回の件だが、大事になるぞ。
「へェ、……大事ね」
不敵な笑みを浮かべ、ようやく洗い物を終えた零二は濡れた手を軽く払う。その手が振り終わる前に水滴共々水気は蒸発。その様をいつも目の当たりにしている巫女はともかく、歌音は「便利ね」と素直な感想を漏らし、下村老人は「色々経費削減出来ていいなお前さんは」と冗談めかしながら、スパナ片手に車の整備をしている。
──お前が昨日出会った奴だが、身元確認が出来なかった。
「ン? 大物ってコトか?」零二は訝しむ。
「話を聞く限りじゃザコだって思ったけどなー」巫女は淹れたてのコーヒーを口にする。
歌音は手にしていた本を閉じ、「情報を隠すだけの価値のある存在って事なんでしょうね」と呟く。
「まぁまぁ、西東の話はまだ途中だ。最後まで聞いてやらんとな」と話を促す辺り、くだけた口調ながらも下村は見た目はともかく年長者らしく相手を立てるのが上手いな、と歌音は思った。学校の成績の良い悪いでなら、周りよりも良いとは自覚しているが、そういった単なる知識では人付き合いは上手くいかない。零二がいい例だろう。
ぱっと見はどう見たって不良少年。一応学校の成績は優秀ではあるが、周囲の生徒からすれば浮いた存在なのは間違いない。なのに、不思議と人に嫌われていない。信じがたい事ながらむしろ人気があるらしい。ファランクスを設立するって言って、こうして自分達が参加したのもそうだ。いや、自分はそもそも相棒役を務めていたからおかしくはない。だけど下村老人は違う。面識はあるとは言っても彼はあくまで一般人。別に零二に手を貸してやる義理はない。巫女はまぁともかくとして、WGの支部長とも接触があり、おまけに三重スパイとは言え、警察官ともこうして協力関係を築いている。無論他にも情報源はあるのだが、客観的に見て、少なくとも無能という事はないだろう、と思える。
「何も分からないンじゃどうしようもないじゃねェか」
──ああ。奴個人が誰なのかは不明だ。歯の治療記録等の医療記録を参考にしようにも奴さん、跡形もないからな。文字通りに塵になったから。
「う…………」
流石に零二が分が悪い。確かに身元確認しようにも、当人はもう姿形もないのだ。
──周辺を探ってはみたが、特に何も落ちてはいなかったしな。
「それじゃお手上げじゃねェか」
「まぁ待て。あくまでも奴さんについては何も分からないってだけだぜ零二。他に何かあるんじゃないのかお巡りさん?」
下村のもっともな指摘を受け、西東は話を続ける。
──忘れてやしないか。あの場には他に誰かいただろ?
その問いかけで浮かぶのは、自分と「あ、そっか」そして気絶していた女性。
──ああ。彼女から重要な証拠を得る事が出来た。
「一般人じゃねェのかよ?」
──彼女からは何の証言も得られなかった。何せ記憶が曖昧でな。フィールドによる効能かも知れない。
「じゃあよ、何が……」
──薬品を採取した。彼女の傷からな。思い出せ、奴はナイフを持っていただろ? それに付着していたモノだ。どうやら鎮静剤らしい。要するに。
「エモノを逃がす気なんかこれっぽちもねェ、っつうコトかよ。クソったれ」
「だがな西東よ。鎮静剤ってだけじゃそれ程大した情報だとは思わんぞ?」
下村は車の整備を終えたらしく、いつの間にかわざわざ海外から取り寄せた椅子に腰掛けている。手にはさっき巫女が淹れていたコーヒーを注いだマグカップ。ほのかに香ばしい匂いが鼻を刺激してくる。
──ええ。普通のモノであれば、です。
「となると、それを処方する場所も分かってるって事か」
零二と西東の会話を受け、我関せずとばかりに読書をしていた歌音も視線を向ける。
──ああ。だから調査をして欲しい。
「つまりは、依頼って認識でいいのか西東?」下村が確認を取ろうと訊ねた。
──そう受け取ってもらって構いません。
「だそうだ。まぁ、お前さんがリーダーだ。どうするのか決めろ零二」
「当然受けるぜ。いいよな、皆?」
零二が視線を巡らすと、「おうよ」と下村が口火を切った。
次いで「取り分はいつも通りでいい?」歌音が続く。
最後に「おれもやれる事はするからな」と巫女が真っ直ぐに零二を見た。妹分の少女と目が合ったツンツン頭の不良少年はいつものように不敵な笑みを浮かべ、「ってなワケだ。その依頼受けるぜ」と言葉を返す。
──分かった。では今から調査依頼をしたい病院についての情報を送る。
かくして、零二を含めたファランクス一同の憩いの時間は幕を閉じるのだった。