魂と尊厳(Soul and dignity)その18
「やぁ、お待たせしたかな?」
「いいえ全然」
「あらまつれないなぁ」
怒羅美影は相も変わらない支部長こと春日歩からの呼び出しを受け、WG九頭龍支部の支部長室に来ていた。何回来てもこういう場所は慣れない。緊張してしまう訳ではないが、どうにも場違いな感じがしてしまうのだ。
「いいから話を進めてください」
「ちぇ、君ってあれだな。無愛想って言われない?」
「…………」
「はいはい、了解ですぅ」
歩はそう言うと、自分のデスクから一枚の写真を手に取ると、美影の座っているソファーの目の前のテーブルにそれを置いた。写真はどうやら火災現場らしい。だがどうにも妙だと思った。何故なら──。
「何故軍用機が来ているんですか?」
写っているそれは災害救助用ではなく、軍仕様だった。その証拠にヘリには機関銃らしきものが傍らに取り付けられているから。こんな物騒なモノを装備したヘリがたまたま火災現場に近かったから、と救助活動をするようには思えない。
歩は美影の問いかけに満足したのか、ニヤリと不敵な笑顔を浮かべてみせる。兄弟だからだろうか、彼女にはその悪そうな笑みが武藤零二とダブって見える。
「そう。これは単なる火災現場じゃない。九頭龍郊外の山奥にある、前は学校だった場所で起きた事故さ」
「事故、ですか?」
「どうもそこは相当にヤバイ場所だったんだろうね。少し前に凄い爆発音がしたらしいから。幸いにも周辺には人家はないから被害もなければ、下手したら気付かれてすらいなかったのだろうけども」
「WDですか?」
「いいや。調べた所、所有者はEP製薬。君は任務で関わった筈だろ、どうにも胡散臭い製薬会社だよな。実際これで真っ黒だと証明したんだけどもね」
美影は思い出していた。EP製薬がマイノリティ用の生物兵器を開発した、という誤報に始まった騒動を。美影はその調査に向かい、現地で同じく誤報によって赴いた零二とやり合った。そうこうしている間にフリーの運び屋だった腹部に蛇のタトゥーを入れた女とも衝突。確かあの女の名前は──。
「縁起祀。その際に君と零二の前に立ちふさがった女性の名前だ」
空気を読んだ、というよりは読心術でも用いたのか、歩は縁起祀の写真を置いた。
「いやー、何て言うか垢抜けてるって言うべきか、……セクシーな感じだな」
「そういうのってセクハラだと思います」
「──何も言い返せぬ。ま、冗談はそれ位にしとくとして、だ」
ははは、と軽薄な笑い声から一転、歩は目を細め、美影の目を真っ直ぐに見据えた。
「彼女が何か関係してるんですか」
「多分ね。何せ彼女だけど、例の一件以来、行方知れずだそうだから」
「調べた結果、何が分かったんです?」
「流石に察しがいい。無駄なお喋りしなくていいのって助かるよ」
「支部長がしなければいいだけだと思いますけど」
「ぐうの音も出ない容赦のないツッコミありがと。えー、縁起祀について調べてみたんだ。するとどうだ、彼女は家族と絶縁状態らしい、まぁ、落伍者の一団のリーダーをしてたなら、無理もないかもね」
チラリと美影へと視線を巡らす。歩は、知った情報を少しずつ提示していく癖がある。そうする事により、相手に考える余地を残し、話の理解を進めていくのだ。
「ちなみに君が白い箱庭跡地に拉致された際にもどうも彼女が関わっている。覚えているかな? 君が気絶させられたっていう話のくだり。あれは彼女の仕業らしい」
「──」
自分でも不思議な程に美影は冷静だった。腑に落ちた、というのが一番の理由だろう。あの時の、自分が気絶してしまった前後の事はよく思い出せなかった。それでいい、という事だったので、報告書にはあくまでも客観的な事実に基づいた事だけを載せた。何故、どのようにして自分が捕まったのか、それがずっと気にはなっていた。思い出せるのは混乱していた事、そして不意に襲った強烈な衝撃。ただそれだけ。
「どうだい? もし出会ったらお返ししたいかい?」
「…………いえ」
「どうして? 無事に戻れたからいいものの、下手したら取り返しの付かない事態にだってなってたんだ。恨んでも仕方がないと思うけど」
「アタシ、いえ。私にそういう権利はないと思います」
「どうして?」
「私も大勢の人を殺したから。自分が生き残る為だったけど、でも殺してしまったのは事実です」
「自分がそういう事をしてきた以上、他人から恨まれるのは仕方がない、そう思ってる?」
「はい。でも、後悔はしていません」
「それはどうして?」
「後悔したら、今の自分を否定してしまう事になってしまうから、です」
「続けて」
「私は大勢の人を手にかけた。それは自慢すべきコトではないとは分かっています。だけど、だからこそ私は今日を生きていかないといけない。明日も明後日も、ずっと先まで死んでしまった人の分まで生きていかないといけないんです。それで精一杯なので、他人への恨みなんて抱いている時間なんてありません」
美影はそう断じ、歩は今の今まで目の前の少女をまだまだ過小評価していたのだと理解する。恨み恨まれる、という意味で言うなら世界中を傭兵として暗躍した自分こそまさしくそうであろう、と歩は思う。確かに表沙汰に出来ないような汚れ仕事ばかりだった。だが、それでも名分はあった。第三国への兵器の密輸を止める為。自国の政情不安を煽る為の暗殺の阻止。国際的な人身売買組織の壊滅。常に理由はあった。自慢出来る話ではない。多くの命も奪ったが、それ以上に守った命の方はずっと多い。他人に誇れはしないが、後悔はない。と、そう割り切るのにはそれなりの年月が必要だった。
「……君は凄いな」
歩の本心からの言葉だった。自分が何年もかけてようやく割り切れた境地に自分よりも年下の少女はもう既に辿り着いているのだから。
「いいえ、凄いって自慢出来る話ではないです」
そう、WGに所属している、という段階で個々の差はあれど誰しも通る道だろう。だが、それでもそれは建前では皆理解していても、自分が理不尽に遭遇してしまったらどうだろう? 果たしてそういう風に割り切れる物だろうか。普段であれば、第三者としてならいくらでも綺麗事は言えるだろう。だがいざ、自分がその理不尽な事態に対処するとなればどうだ? しかもその対処を断れない、となればどうだ? 何が正解なのかは分からない。他人じゃなく、自分自身で答えを見つけねばならない。見つけたとして、受け入れなければならない。どれだけの人がその境地に至れるだろうか。だからこそ、彼女は優秀なのだろう。信頼に値する人物なのだろう。
「安心したよ。では、君にやってもらいたい任務がある。お願い出来るかな?」
「はい。私はその為にここにいます」
問いかけに即答で応じた美影に満足した歩は、彼女の正面に置かれたソファーに腰を落とし、話の本題を切り出すのだった。




