魂と尊厳(Soul and dignity)その14
神門が暗躍を見せた午前四時より時刻は経過し、今は昼を少し過ぎた午後二時。
零二は歩との話し合いを終え、何となく街をぶらついていた。
今日は平日という事もあってか、通行人の数もまだいつもよりは少ない。
「うーん。かったりぃな」
昨晩は夜遅くに帰宅した事もあり、睡眠時間は三時間弱。
「やっぱし、ガラじゃねェコトしたよなぁ」
思い返すのは、ナイフを振りかざして襲いかかってきたマイノリティを容易く返り討ちにした後の事。すぐにその場を立ち去っても良かったのだが、気を失った一般人の保護の為に手回しをした自分について。
「でもよケガしてたンだからよぉ」
西東夲へと真っ先に電話を入れたのは間違いではない。被害者である女性は生きてはいたものの、怪我の程度によっては深刻な事態を招いてしまったかも知れないのだ。一応表向きは九頭龍学園の生徒、一介の高校生でしかない少年がその場にいてはそれこそ職質の対象になるだけだろう。かといってファランクスの他のメンバーに電話を入れたとしても下村老人はその傷だらけの顔付きからやはり職質だろうし、歌音は中学生だから論外。巫女はあれはそもそも仮メンバーだから、ね。武藤の家だと大袈裟になってしまう。という訳で零二の乏しい人間関係からの電話相手は一択だった。
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とは言え、呼び出された当人とすれば迷惑極まりない話なのも事実だろう。
「全く。お前は俺を便利屋か何かと勘違いしてやしないか?」
西東からすると、折角の非番だったにも関わらず、久々にお気に入りの店で見目麗しい女性といい雰囲気になっていて、このまま夜を、と楽しみにしていた所を零二からの電話一本で諦めざるを得なくなったのだ。
「悪いって思ってるよ」
「はぁ、……まぁしょうがないか」
電話では一応聞いていたが、こうして現場に足を運ぶと、確かに厄介な事態なのは間違いない。被害者であろう女性は、木の幹に寄りかかるような格好で気を失っていた。全身に無数の傷があり、特に足裏が血だらけなのは、この暗い森のような場所を素足で逃げ回ったからだろう。同様の理由で全身にも無数の傷がついたのだろう。これらはまぁ、問題はないだろう。近くにあった何かが燃えた跡とそばに転がっていたナイフが彼女を狩ろうとしていた何者かの痕跡なのも明白だろう。
「でよ、どうなンだよ?」
零二は不安そうな声音で訊ねる。
それはそうだろう。何せ彼女は一向に目覚めないのだ。最初こそ単に恐怖の余りに気を失ったのだろうと思っていたのだが、どうにも様子がおかしいのだ。
「これは、…………恐らく何らかのクスリだな」
詳しくは調べなければ何とも言えないが、恐らくはナイフに塗っていたのだろう。最早消し炭になり、どんな敵がそこにいたのかは不明だが、零二の説明を聞く限り、敵は彼女を狩りの獲物のように狙っていた。であれば一番嫌がるのは獲物が無事に逃げおおせる事だろう。その為の予防策を講じていたとしても何もおかしくはない。
(問題なのはそのクスリと思しきモノが単なる医薬品の類なのか、イレギュラーによるものなのか、という点か)
それによってこの一件が単なる単独犯なのか、それとも、と考えを巡らせている間に、声が聞こえる。どうやら応援が来たらしい。
「誰だ?」と零二が咄嗟に反応する。腰を低くし、いつでも飛びかかれるとうにする様は正しく野生動物、それも肉食獣が獲物へと襲いかかろうとしているかのようにも見える。
「俺の同僚だ。仮にも俺は刑事だからな。こうした場合、単独行動は取らないようにしている」
「つまりは敵じゃねェってこったな」
「ああ。だがお前さんはここから立ち去った方がいい」
「……だな。分かった」
警戒を解くとツンツン頭の不良少年はすす、と奥へと姿をくらます。日頃あれだけ好戦的で、野卑そのものでしかない相手とは思えない。まるで気配を感じさせない姿の消し方に西東は思わず大袈裟に肩をすくめてみせると、軽く手を振る。
そうして姿を消した零二の代わりに近付いてくる同僚の足音を聞きながら、煙草に火を付けると口に咥える。
(全く、お前が敵じゃなくて良かったよ)
もっともそんな讃辞など送るつもりなど毛頭ないのだが。
(逆に言えばそれ位は出来なければ、って事なんだろうしな)
煙を吐き出しながら、もしも自分が同じ境遇であったら、と考える。
正直ゾッとした。あの頃の自分と言えばまだまだ甘ったれのガキだった。代々警官の家系だったから、そうなるのが当然とばかりに育てられた。そして、日々大きくなる家族からのプレッシャーに負けて……自殺を試みた結果がこのざま。
フーと大きく紫煙を吐く。
「要するに俺は死に損なったって事だな」
「先輩、一体何なんです。こんな時間にこんな場所に呼び出すなんて」
いかにも面倒くさそうな物言いの後輩の声。さて、どう説明すればいいだろうか、と思いつつ、西東は向き直った。