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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 17
582/613

魂と尊厳(Soul and dignity)その12

 

 何処とも知れぬ、一面の闇。周囲には何もない。文字通り暗黒の世界。

 世界から隔絶された、騒々しさとは無縁の静寂に満ち満ちた世界。

 そこはおよそ他の生き物、命の揺らめきなど存在せず、ただただ在るだけの場所。

 その闇の中、ぬう、と影が動く。いや、目を凝らせばそれは影ではなく、生き物である事が分かる。それはまるでこの世界に溶け込むような黒。この世界の唯一の住人であり管理人。彼女の忠実なる僕たる彼。

「宜しかったのですか?」

 シャドウは思わずそう訊ねてしまい、即座に後悔の念に駆られた。

 何という事だ。あのお方の考える事に疑念を抱くとは、と。

「申し訳ありません」

 すぐさま己が非礼を詫びる。許されないのであれば、自死も厭わぬつもりで。

「問題ありません。頭を上げなさい」

 あの方、つまりは九条羽鳥はいつものように、淡々と、抑揚のない言葉を紡ぐ。

 影という名を持つ男にとって彼女こそ全て。

 シャドウには家族がいない。こうして生きている以上、生みの親はいるのだろうが、それが誰なのかは分からない。物心付いた時、最初の記憶はこの闇の世界にいた、という事。それ以外、以前の事は何一つとして分からない。

 闇の中、他者であれば恐怖を絶望を感じるであろうこの世界、空間が何なのかも分からない。空間そのものがイレギュラーなのか、或いはこの空間に繋がれるという事こそがイレギュラーなのか。鶏が先か卵が先か、のような話だと思うし、考えるだけ無駄だ、と彼は結論付けた。

 ただ一つだけ確かなのは、彼女が己を見出してくれなければ、誰にも気付かれないままに命を落としていた、という事実のみ。

 誰も来れないはずのあの空間、世界にどうやって辿り着いたのかは分からない。ただ彼女がいなければ、自分は永遠に一人だったのだけは間違いない。

 九条羽鳥は謎の多い人だ。拾われて以来、常に付き従うシャドウにしても未だ分からない事だらけ。

 一体いつ眠るのか、そもそも休んでいるのかさえ分からない。扱うイレギュラー自体も不明だ。マイノリティであっても間違いなく死ぬであろう、そんな致命傷を受けても彼女は平然とそこに在る。

 七月のWG九頭龍支部でのクーデター騒ぎに連動する形で起きたあの一件。九条羽鳥はWDより去る事を選択した。あの一件にしても、彼女であれば事前にどうにでも出来たはず、だと影は思う。椚剛(くぬぎごう)、あの裏切り者に対しても彼女はこう言った「殺すな」と。あのようなゲスを何故殺さずに置くのか、今でも分からない。

 確かに結果を見ればあの男はクリムゾンゼロと衝突して敗北、その後、紆余曲折の末に惨めな最期を遂げた。裏切り者に相応しい最期であったと言える。

 彼女はあれ以来、姿が変わった。それまでは淑女であったのに、どういう理由なのか今はせいぜい十歳程度の少女になっている。今までも幾度か致命傷からの復活を遂げていたが、何かが違うという事なのだろうか。

 そしてWDから離れ、かれこれ三ヶ月が経過。その間、九条羽鳥は動きを見せなかったのだ。こんな事は彼が傍に仕えるようになって以来、一度もない。はっきり言って異常事態だとすら言える。しかも、だ。

(私は、あの方に……)

 シャドウにとって九条羽鳥とは絶対者。何もかもを拒絶するイレギュラーを持つ自分のようなモノを受け入れてくれた恩人であり、こんな事を思うのは失礼だと分かってはいるが、親のような存在。彼女が望むであろうありとあらゆる事に一切の疑念を抱かず、確実に遂行する事こそ己にとっての誇りであったはず。

 それが、あろうことか。

(……疑念を抱いてしまった)

 あってはならない事だ。そんな事は断じてあってはならない。考えるだけでも万死に値する。もしもあの方に気付かれでもすれば──。

(何という事を、思ったのだ)

 許せるものか。自分というモノを許せない。自分にとって唯一のあのお方に対して、何という無礼か。シャドウは恐怖を抱いた。あの方にもしも、いや、聡明なあの方が気付かないはずがない。見抜かれている。とっくに見抜かれているに違いない。

(何故こうなった?)

 そうだ。何故だ、と思考を巡らせる。考えるまでもない、すぐに答えには思い至る。

 そうだ。あの小僧だ。

(クリムゾンゼロ──)

 前々から分かっていたが、あの方はあの生意気な小僧を強く買っている節がある。確かに腕は立つ。焔を使うイレギュラーも強力。おまけに遠縁の、分家とは言えあの藤原一族の末席となるであろう存在。確かに利用価値はあるだろうとは思える。だから二年前にあの小僧を拾ったのだろう、とずっとそう思っていた。いや、思おうとしてきた。

 だが違う。九条羽鳥という人物はそのような俗物ではない。物事を常に読み、時流を予測し、気付かば最終的な勝者となっている。そのような方だ。どのような状況であろうとも、有利不利諸々あらゆる要素を加味した上でだ。

(何を()()()()()?)

 単に藤原一族との関係の為ではない。そも彼女は藤原の長老たる藤原曹元(ふじわらそうげん)と知己を得ている。一番影響力を持った人物との繋がりがある以上、それ以下の木っ端など問題ないはずだ。となると、理由は自ずと明らか。武藤零二そのものに何らかの意味、価値があるという事となる。

 業腹な事だが、確かに敵に回すと手強いのは事実だ。それはあの絶対防御( 椚剛 )を打破した事で明らか。だがそれでも自分には及ばない。

 暗殺、いや、排除など自分のイレギュラーであれば実に容易い。ただ自分の世界、この空間に飲み込めばいい。ここでは自分がルール。認めない者など瞬時に塵となる。文字通りの暗黒空間。戦いにすらならない。一瞬で事足りる。

(あの方の盾であり矛であるのは私だけだ)

 如何なる時もそのつもりだし、死ねと言われれば喜んで命も捧げよう。それ程に、あの方への忠義を抱いているという自負がある。

 なのに、それなのに。疑念を抱いた。何という事だ。

 ふと気付かば、あの方は自分へと視線を巡らせている。その双眸からはあらゆるモノ、それこそ神の企みですら見抜くかのような鋭さが漂っていて、自分のような小人など恐れ多くて目を合わせる事すら憚られる。

 それを見てか否か、「私がクリムゾンゼロに気を回しすぎだと思っていますね」と沈黙を保っていた九条羽鳥が言葉をかけた。

「い、いえ。え、……はい」

 歯切れの悪い返事に嫌悪感すらこみ上げる。嘘偽りなどあってはならない。

「確かに彼には期待をかけています」

「──はい」

 愕然とした気持ちを抱いてしまう。もしかしたら、あの方はあの小僧を自分の位置へと引き上げるのではないか、と。

「何故なのです?」

 気付けばそう訊ねていた。本来ならば決して許されるはずのない反論の言葉。だが、どうしても聞きたかった。あの方の口から直接。

「何故、あのような無頼漢などにそれ程期待をかけられるのです」

 無礼は百も承知。死罪になってもおかしくはない。だがどうしても、直接聞きたいのだ。

「倒すべき相手が、打破すべきモノがいるのであればどうか私をお使い下さい。どのような相手、例え神や悪魔であろうとも倒してみせます。どうか──」

 心からの言葉だった。彼女がそう指示を出しさえすれば。ただそれだけで充分。例え生きて帰れぬ、死ねという命令であろうとも構うものか。

 自分にとってのあの方は絶対。その言の葉全てが絶対なのだから。

「いずれ現れるであろう、彼以外では倒す事が困難な相手が現れた時の為です」

 淡々とそう答える彼女の目は虚空を見つめている。

 いつも感情の浮き沈みなどないはず、感じ取れないはずなのに何故だろう。シャドウには九条羽鳥が何故かとても悲しそうに見えた。

「人にはそれぞれ役回りという物があるのです。クリムゾンゼロしかり。シャドウ、あなたにも。あなたには来るべき時まで私の傍にいてもらいます。それでは不充分ですか?」

「あ、ああ」

 何という事だ。シャドウは感動に身を震わせる。あの方からこのような言葉をかけられる等とは思いもよらなかった。

 不充分なものか。これ以上ない勿体ない言葉だ。

「いえ。そのような事は」

 頭を垂れ、膝を付く。まだ年端もいかぬ少女とも言えない子供に跪くダークスーツの男という姿は、傍目から見ればさぞや異様な光景だろう。

 しかしそれがどうかしたか? シャドウにとって九条羽鳥こそが神のような存在。他の神などは有象無象でしかない。それ以外が自分をどう見ようと、どう噂しようとも知った事ではない。

「全てはいずれ明らかになるでしょう」

 九条羽鳥の目はおよそ生者とは思えぬ、この空間のような虚ろな光を称えていた。


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