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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 17
581/613

魂と尊厳(Soul and dignity)その11

 

「あーーーー」

 零二から事情を聞いてからおよそ一時間後。

 歩の姿はWG九頭龍支部の自室に備え付けられているソファーにあった。

 支部長室とは言っても、以前とはその様相は随分変わっている。

 最初こそ様々な書類に最新型のパソコンがあったのだが、それらは副支部長である家門恵美の下へ。

 今やここにある物と言えば、壁に掛けられたキャラクター物の時計にそこいらのホームセンター等でも売ってるような引き出しもない簡素な机と椅子。

 そして唯一以前と同じなのは、彼が身を沈めているこのソファーとその前に置かれているテーブルだけ。

 今の支部長という役職に就く以前は、日本中を時に気ままに、時に日本支部長である菅原からの依頼により、駆け回る日々。一所に長い間留まらず、まるで風来坊のように生きてきた彼にとって、今の生活は正直言って窮屈そのもの。出来るのであれば今すぐにでも何もかもを放り出して、バイクに跨って何処へ行くとも分からない日々に戻りたかった。それを我慢しているのだから、せめてこれ位の我が儘は通したっていいはずだ、というのが歩が直属の上司である菅原とこの支部の実質的な責任者でもある家門に出した条件であった。

「…………」

 歩はボーっと天井を眺めていた。

 傍らには読みかけの小説らしき物が無造作に置かれ、近くにはこれまた飲みかけのコーヒー。一体いつからそこにあったのか、もう湯気は出ていない。

「ふあーあ」

 何よりも廊下から見たこの部屋のドアには“お仕事中“という掛け札がかかっているが、どう見ても仕事をしているようには見えない。

 そんな中、音もなくドアが開かれる。

「随分と派手な欠伸ですね。廊下にまで聞こえます」

 絶賛業務のサボリ中の上司に対し、冷ややかな言葉をかけたのは副支部長の家門恵美。以前から真面目で有能だとは周囲からも思われてはいたが、歩が支部長に就任して以降、周囲からの評価はまさしくうなぎ登り。就任直後から言われていた事なのだが、彼女こそ実質的な支部長なのでは? という話がいよいよまことしやかに囁かれて始めていた。

「ごめんごめん」

「少しは気を付けてください」

「でも大丈夫だよ」

「何がでしょう?」

「俺、そもそも不真面目キャラって事で認識されてるでしょ?」

「……………………はぁ」

 全くやる気のない上司に、家門は心からのため息をついた。


(数分後)


 ソファーに寝そべっていた歩は、テーブルの上で正座させられていた。

 その前には直立不動の家門。別に何かあったわけではない。少なくとも彼女からすれば。

 ただほんの少しの注意と、それに伴う反論に対し、ぐうの音も出なくなるような見事なまでのピッチャー返しをしただけの事。そしたらいつの間にか支部長がおずおずと正座をし始めたのだ。正直意味が分からない。

「ん、」

「はい」


 ここへ来て歩は若干だが後悔を覚えつつあった。

 確かに細々とした雑務とか関わりたくない、これは偽らざる本心だ。

 何せ自分という人間には、書類チェックだの何だのといったそういう細かい仕事などどうにも我慢出来ないのだ。かつて外人部隊にいた頃はしょうがないから、と割り切った上である程度の事はこなしたが、それは戦場という空間での事。もしもやらなければ、怠れば死、という事実がやってくるのだ。だからそれは例外。WGの一員となって全国各地を巡ってきたが、制限こそあれども、それなりに気に入っていたし、確かに不自由な部分もあったが、根無し草な自分にとってはそれでも性にあっていた。

 それが一体何の因果か。あろうことか今や支部長などという大層な役回りを演じる羽目になっているではないか。零二()の事が気になっているのは事実だし、関わってしまった以上、知らぬ顔など出来ない。結局の所、自分自身がここにいる事を選んだのだ。

 思えばずっとあちこちをさすらったのも、引け目を感じていたから。

 武藤の家から、自分自身から逃げ出した、という事実に心の奥底でずっと負い目を感じていたからだろう。云わば零二は、本来なれば長男として自分が継ぐはずの武藤の家の当主という座を押し付けられた格好なのだから。

 零二からすれば恨み言の一つや二つ位、一ダース位あったっておかしくはないはずだろう。

 それなのに、だ。


「聞いていますか?」

「はいっっ」

 歩が大袈裟に返事を返す。どうにも目の前の相手はご立腹らしい。その理由はすぐに知れた。

 目の前にバン、と大きな音を立てて置かれた大量のハンコ待ちの書類の束のせいだ。

「ともかくとりあえず最低限の仕事はしてください」

「はい」

 今時、こういうの全部パソコンでやりゃいいじゃない、という言葉を抑え込み、歩は家門の見ている中で、渡されたハンコをペタペタと押し始めたのだった。


(さらに数十分後)


 歩は山のように積まれた書類のハンコ押しからようやく解放されると、だらしなく足を投げ出し、「はぁー、もう疲れた。手が腱鞘炎になっちゃうわー」と声をあげた。

「はいはいお疲れ様です」

 家門は淡々とした様子で書類をまとめていく。だらしなさ全開の支部長とは対照的にてきぱきとしたその所作はなる程、どこから見ても有能としか思われないだろう。

 彼女はふと、とんとん、と書類の端を合わせながら訊ねる。

「それで、何か分かったんですか?」

「何かって何さ?」

 歩がちらりと相手の方へ視線を巡らすと、彼女は自分には一切目もくれてないのが分かった。あくまでも()()ですよ、という体裁なのだろう。生真面目な彼女らしい。

 そう。歩が零二と会っている事は基本的に秘密なのだ。

 いくら兄弟であっても、WGとWDという敵対関係にある組織の一員同士。ましてや支部長がそういった相手と秘密裏に顔を合わせる事自体、本来ならば疑念を抱かれてもしょうがない。内務監査でもあれば一発アウトという事すらあり得る。その位に危険な行為なのだ。

 とは言え、それはあくまでもよその地域、支部での事。

 ここ九頭龍ではWDに九条羽鳥という存在があった為だろう、よそに比べると規律はそこまで固くはない。彼女が消えて以来、徐々にWDとの関係が悪化しつつあるのは紛れもない事実なのだが、武藤零二、という一個人に対する印象は不思議と悪くはない。

 零二は九条羽鳥のお抱えの殺し屋、始末人だというのが九頭龍支部内での元々の評価であり、要警戒人物だとされていた。

 しかし九条羽鳥がいなくなると、上司を失った不良少年は自身のファランクス(チーム)を結成。それに伴い、色々と動き出した事が契機となり、評価が変化し始めた。

 そもそも九頭龍学園、それも同クラスにエージェントを潜り込ませたのも、零二の脅威度判定の一環。情報収集活動だったのだ。

 後見人がいなくなり、これまでわからなかった、表沙汰になってなかった情報が広まっていく。


 一つ、お世辞にも品性方正とは言えないものの、かといって反社会的適性はそこまで高くはない事。いざとなれば荒事も辞さないが、不必要な能力的の行使、特に一般人を攻撃する事はまずない。

 二つ、ああ見えてスイーツ大好き。おまけにその姿は業務用スーパーやら閉店間近のスーパーの食材売り場でよく見かけられている。お買い得品やら値下がり品をどか買いしている様子からかなりの大食漢らしい。

 三つ、どう見ても不良少年なのだが、近所付き合いはきちんとしており、同じマンションの住人にちょくちょく料理をおすそ分けをしている。それが意外にも美味いらしく、たまにリクエストが入るらしい。

 四つ、学園生活だが、一部の教職員や問題のある生徒からは嫌われているものの、これまた一部の生徒からは頼りにされている。どうも困っている相手を見るとついつい助けてしまうらしい。


 等々と、四つ目自体は以前からあったが、続々と同様の報告が集まっていった結果、支部内で「あれ、こいつ意外とマトモじゃないの?」という認識が広がっていき、今では要注意人物ではあるものの、でも必要以上に警戒しなくても良いのでは? という空気が醸し出されつつある。正直言って歩としては助かる話だ。いくら敵対関係にある組織同士とは言え、自分の弟とわざわざ戦いたくなくなどない。零二、つまり地域の名士である武藤の家は九頭龍におけるWGのスポンサーの一つでもあり、組織としてそうそう敵対行動に走るような事にはならないとだろうとも、万が一は有り得るのだ。


 だからこそ歩は()()()()()()。柄じゃなくても、時折どうしようもなく不満を抱いても。ここ数年で染み付いた根無し草から、一つの場所に根を下ろすつもりで。

(ああ、そうだ。どのみち、)

 そう。どのみち()()()()()()()()()()()()()

 零二、いや、武藤、藤原一族にまつわる()()()()()()()()()()に。

 その為の準備はしてきた。覚悟だってある。だから、重要なのは味方を一人でも多く作る事。目の前にいる彼女は生真面目過ぎるし、融通も利かないが、信頼出来る。まず、彼女から。

 だから、いずれ歩は話をしなければならない。自分が抱えている問題について。自分が九頭龍を、武藤の家から逃げ出した出来事を。

(でもまずは、目下の問題だよな)

 だがまだ早い。目の前には早急に対処しなければならない問題が山積している。

 何故零二があのマイノリティを倒したのか? 何故、このタイミングでなのか? その事について家門と話し合う必要がある。

(嫌な予感がするぜ)

 歩のこういう予感は外れた試しがなかったのだから。



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