魂と尊厳(Soul and dignity)その2
「…………っっ」
気が付けば俺は立っていた。ここは何処だ? 裁判所か?
まるで見せ物でも見るかのようなゴミくず共の視線を四方から感じる。
ああ、そうか。俺は逮捕されたんだな。世間様の常識的な判断により、殺人犯として報道。弁護士とか抜かす間抜けから見せられた新聞やらネットの情報により、俺の個人情報やら人生やらが晒されたらしい。
普通であれば世間的に抹殺されたも同然、残された家族が~とかなるのだろうが、生憎俺に家族なんてモノはもういない。とっくの昔にいなくなった。
ザワザワ、という声が辺りから聞こえる。
場がざわついてた。何を驚く?
「最後に何か言いたい事はあるかね?」
黒い服を纏ったじじいがそう聞いてきた。最後? は? 何を今更。
「別にない」
実際、こちらから言う事など何もない。どうだっていい。
「それでいいのかね?」
しつこいじじいだ。俺はお前らなんかに話したい事なんて何一つない。座ってる連中も同じだ。お前らにとっちゃ俺はどう見えてる? 動物園に行って、危険な肉食動物を檻越しに見ているような感覚なのか? ち、見るな。ジロジロ見るな、殺したくなっちまうだろうがよぉぉぉ。
「お前ら、今すぐこっちに来い。殺してやるからよ、おい、こいよぉっっ」
ああ、もう我慢の限界だった。うずうずしちまう。どうしようもなかった。周りにいる奴らが獲物にしか見えない。
ずっとずっと我慢してきたんだ。捕まってからずっと我慢してた。だから殺したくて殺したくて仕方がないのをずっと我慢してたってのに。
ピーピーと喚きやがって、小鳥かなんかかお前らは。いいから黙って俺の獲物になっちまいやがれ────。
そこまでだった。暴れる俺を警備員だの何だのが抑えつけ、床に倒す。そして首筋に何か注射を打たれ、そこで記憶がぷっつりと途絶えた。
それから先の事はどうだったのか、正直覚えちゃいない。
ただ裁判はあっという間に結審されたらしく、俺は死刑を宣告された。弁護士だの何だのお偉い間抜け野郎も、お手上げだとか抜かしやがって、最後の方はろくすっぽ反論すらしなかったそうだ。どうでもいい。何でも近年稀に見る残虐な連続猟奇殺人犯だとか何とか呼ばれ、色々騒がれ、最後は檻の中だ。いっそ刑務所で獲物を探すのもいいかも知れない。そんな事も思ったんだが、すぐにそれも無理だと分かった。
俺が入れられたのは特殊監房だった。要するに檻の中の更に檻の中だ。
極めて危険だという理由で、他人との接触を禁止。要するに裁判所での事を受けての措置らしい。
「くだらない」
心底そう思う。ただ飯を与えられて、寝て、起きるだけの日々が続く。
「くだらねぇ」
これじゃまさしく檻の中の動物だ。このまま外に出る事も出来ずに、死ぬのか? くだらねぇ。ああ、くそったれだ。
「くだらねぇなぁ」
来る日も来る日も何も変わらない毎日。いつしか数えるのも面倒くさくなっちまった。
食っちゃ寝て食っちゃ寝るだけ、あとは気持ち程度の運動をするだけの日々。或いは養殖、畜産動物ってのはこんなモノなのかも知れない。
生きてるだけ、ただ生きてるだけの毎日。いつしか何も考えるのも億劫になり、何もかもがどうでも良くなったある日。俺の人生は一変した。
◆◆◆
結果的に俺は外に出た。出る事が出来た。俄には信じ難いだろう。俺みたいなモノが外に出た。ある意味じゃ奇跡ってモノなのかも知れない。
ま、外に出れたとは言っても、だ。
「────ッッッ」
俺はまさしく絶体絶命の窮地に陥っている。
目の前には敵がいる。どう見てもまだガキにしか思えない奴。ツンツンした短髪にまるで獣のような獰猛そうな目をしたくそガキ。
「お前、誰だ?」
意味が分からない。俺はどうしてもこんな奴と向き合う事になっている? 俺はただいつも通りに、いつも通り? 何だそれ? いつも通りって何だ? 俺は、何で────。
「燃えちまいな」
くそガキは不敵そのものにそう吐き捨てるや否や、拳を俺に叩き込んだ。
「──ヒャギッッッ」
瞬間、俺の身体が燃えた。強烈な熱を感じて思わず身体が仰け反り、その後にドシンとした衝撃が襲い来る。
何だコレは何だよコレ?
何でこのくそガキの拳には焔が揺らめいている?
いや、それだけじゃない。良く目を凝らせば、こいつの全身がうっすらとした焔に包まれている。こいつ何なんだ?
「逃げられると思ってンのかよ」
「ぎゅば」
瞬時にくそガキが俺の懐深くまで飛び込むと、そのまま拳を突き上げる。信じられない。俺よりも小柄なのに、どうしてこうも容易く身体が浮き上がってる? 意味が分からない。
「はああっっっ」
地面へと叩き付けられ、無様にも更にもう一度弾んだ。これじゃまるで出来損ないのスーパーボールみたいだ。
「う、ぐ、お」
何とか起き上がれたものの身体が熱い。まるで焔で肉を炙っているみたいに中も外も熱い。
「あ、ああああああ」
何もかもが熱い。全部が沸騰してるかのようだ。ヤバい、やばい、ヤバイ──。くそ、くそったれだ。
「────」
なのにここでくそガキは、あろうことか俺に対して背中を向けた。まるでもう興味などない、と言わんばかりに。
「ざけるなぁ」
俺をこんな目に合わせといて、そんなのは許せるか。ああ、許せるはずもないよな。
「……俺以外は全部獲物だ」
そうだ。俺は選ばれた。選ばれた男だ。だからこそ外に、娑婆に戻れた。
このまま全部が今にも燃え上がりそうにも思えた。だが、それがどうした? あのくそガキは背中を向けて歩き始めた。俺を、見下してやがる。そんなのは絶対、ぜったいに。
「許せるものかよぉぉぉぉ」
これ以上はない。殺す。殺してやる。あいつは気付いていない。ナイフはないが関係ない。後ろから首を絞めればいい。俺の方が身体はデカい。腕を巻き付ければ一気にやれる。燃えそうな位に熱いが、なら一緒に燃やしてやる。こいつにも同じ苦痛苦悶を与えてやる。
「──へっ」
だが鼻で笑うような声がし、俺の伸ばした腕はあっさりと躱され、振り向き様に右拳が俺の鼻先へと叩き込まれた。ズシンとした鈍器で殴られたみたいな衝撃がして、ビクンと全身が震えた。
「激情の初撃」
くそガキはそう言うと拳を引く。そして真っ直ぐに俺を見た。
「ッッッ」思わず身体がおののいた。何て目をしてやがる、こいつ。単なる獣なんかじゃない、肉食獣、いや、それも似つかわしくない。
「バ、ケモノ」
そうだ。こいつはバケモノだ。は、はは。笑える。
紆余曲折あって外に出れたみたいだってのに、これが結果。もっともっと獲物に得物を突き立ててやりたかった。
「失せな」
突き刺すような視線を目の当たりとし、ああ、そうか。そういう事かと得心する。
俺にとって狩ってきた奴らが獲物だったように。
くそガキにとって俺こそが獲物だったのだ。
くそ、ああ。くそったれ。
理解した途端に、焔が身体から噴き出した。焔と共に大事なモノが損なわれていくのが分かる。もう立っている事なんて出来ない。そのまま力なく倒れ込む。燃えていく。なくなっていく。空に向けた手も、地面に付いた足も感覚が失われ、もう自分のモノだという自覚さえ薄れていく。
最期に目に映ったのは、焔。全てが覆い尽くされ……やがて何も分からなくなった。