気分転換(for recreation) その3
警察官に騒ぎのあらましを説明した後、美影は特にお咎めもなく解放された。何でもあの男は同じ手口で何件も窃盗を起こしていた常習犯だったらしい。巫女については、ひょっとしたら危険な事態になっていたのだから、と注意を受けていた。何にせよ、これで休日に戻れる、はずだった。
「ねぇねぇ美影さん」
「…………」
美影のすぐ横に巫女がいなければ。
「ちょっと聞いてる?」
「…………」
美影は正直この少女の事は苦手だった。
そもそも彼女はあの武藤零二と同居人である。
いくら表立ってWGと対立していないとは言えど、WDの一員、それも下っ端の雑魚ではない、あの九条羽鳥の懐刀であり、強力なマイノリティであるかの不良少年が後ろ盾になっている、という時点で彼女もまた要注意人物なのだ。出来ればWGで保護すべきだと思う。
実際、何度かそうして説得交渉も行われたらしい。
だがその都度、答えは同じ。
「レイジの傍がいい」
信じられない。確かにあのバカは強い。恐れてる連中だって多いだろう。おまけに武藤、という肩書きもある。この街で武藤を敵に回すのがとんでもないリスクを抱えるとも聞く。
だが、武藤零二はそもそもWD内で賞金首なのだ。その首には多額の懸賞金が未だかかっており、いつ刺客が来ても全くおかしくない立場である。
つまりは、武藤零二というのは諸刃の剣なのだ。
敵にとっても恐ろしい存在だが、味方、身内にもその余波がいつ及いでもおかしくない。
ましてや横にいる少女は、WDの一員ではない。マイノリティでこそあれ、敵対関係などない。
そう思った美影が意を決して巫女へ声をかけた。
「あのね、」
「あ、あの店、ワッフルが美味しいんだよー」
「ん?」
美影は甘いモノが大好きだ。普段は色々抑えているのだが、大好きだ。出来れば九頭龍中にある全てのスィーツを制覇してみたい。
折角の休日。折角の自由な時間。リフレッシュしなければならない。そうだそうに決まってる。
「ストロベリーがオススメだけど、ベリーもいいんだよね」
しかもこのピンク色のパーカーを着た店に彼女は詳しそうだ。
なら、もしかして。
「あのさ、この辺りのスィーツってドコがオススメなの?」
そうだこれはリサーチだ。今後の参考だ。
そもそも今日は休日。自分はWGの活動を休んでいるんだった。
説得するなら今日じゃなくたっていいじゃない。
「オッケー」
かくして美影はあっさりと陥落した。
だって美味しいスィーツ食べたいもの。
◆
結果からすれば巫女は詳しかった。
彼女の薦めた店はすべからく大当たり。時間に換算すれば二時間と少しで、次々と美影の頬は綻んでいき、最初こそ何処か警戒心もあったのが嘘のように仲良くなる。
そうしていつしか足羽川沿いの河川敷を歩きながら、話題は巫女の将来の話になっていた。
「へぇ、じゃあ巫女ちゃんはミュージシャンになりたいんだ」
「うん」
美影は巫女がどういった経緯でこの街に来たのか知っていた。それは当然だろう。彼女はマイノリティなのだ。WGにとっては注意を怠ってはならない存在なのだから。だから。
「巫女ちゃんならなれるよ」
そう言う自分の言葉が軽いのは分かっていた。だが他にどう言えばいい?
夢を見るな、現実だけを見ろ。お前にはそんな資格などない、とでも言えばいいのか?
「ありがとう」
巫女は明るく笑った。だが、その言の葉は違う。さっきまでのような天真爛漫さは鳴りを潜め、影のようなモノが漂う。
「でもさ、……怖いんだ」
何が怖いのか、それも美影はおおよそは分かっている。だが安易に言葉を返そうとは思わない。何故なら。
「ディーヴァ事件って知ってるでしょ? 私の声を使っての大勢の人への強制的な洗脳実験。レイジのおかげで何も起きなかったけど」
ディーヴァ、そういう名前のマイノリティの制御プログラムによる事件。確かにもしも実行されでもしたら被害は甚大だったに違いない。
巫女はゆっくりと周囲を指差す。
「でね、今歩いてるここらにさ、スピーカーが置かれてたんだ」
「──」
「この河川敷に大勢の人を集めて、……洗脳してたかも知れないんだ」
「巫女ちゃん」
「うん。分かってる。そうなっていないって。レイジもそう言ったし、歌音ちゃんもそう言ってくれたよ。お前は悪くない。何も起きてないんだからってさ。でも──」
巫女の頬を涙が流れ落ちる。不安からだろう、今や声だけではなく、その顔色も青ざめており、かたかたと身を震わせる。
「レイジには言ってないんだけどさ、怖いんだ。
少しでも何か一つでも間違ってたら、多くの人に大変な事をしてた。
この前だけど、ちょっと嫌なモノを聴いたんだ。
ある人が自分の言葉で他の人に暗示をかけてた。たくさんの人を思いのままに使ってたし、それを止めようとした歌音ちゃんも襲おうとしてた」
「────」
その話はいつの事だろうと美影は考えを巡らす。
恐らくWD内での争い。内部抗争に違いない。
「歌音ちゃんはそうなる事を予想してて、それでわたしに助けて欲しいって頼んできたんだ。わたし、そんな感じで頼られたのって初めてで、嬉しくって。
いつも皆から離れてた。こっちには来るなって、レイジに言われてた。
わたしだって役に立てるんだって、それを証明したくて。それで」
ゴクリと唾を飲むのが分かった。
「最初は単純に頼られたのが嬉しかったんだ。でも、相手の人の音を聴いてて、寒気がした。とても怖い音で人の心を不安にさせるような音で。違うんだけど、同じで」
「…………」
ここで美影には巫女の言っている事に違和感を抱く。
確かに音、というのが感情を揺さぶるというのは分かる。その典型的な例がクラシックなどの歌曲だろう。ある時は人の心を高揚させ、ある時は悲しませもする。そういう意味で音を聴く事で様々な感情を抱くのも分かるつもりだった。
だが、巫女の言っているのはそういう意味とは別のように見えた。
「……あの男の人の音は血塗れだった。たくさんの人の生き死にを愉しんでいるのが丸分かりで、…………物凄く気持ち悪かった。ああ大勢の人に何もなくって良かった」
「大丈夫だったの?」
「全然。だってすぐに倒れちゃったから。気付けば病院のベッド。先生は特に身体に問題はない。精神的なストレスが問題だろうから、まずは休むのが一番だって。だからさ、レイジも歌音も気を遣ってる」
さっきからの巫女の話は切れ切れで、どうにも文脈が繋がっていない。時系列がバラバラなのだろう。本人も気付いていないのかも、いいや気付いてはいないのだ。ディーヴァ事件と別の話が混同しているらしい。どうすべきなのか、気付けば行動していた。
「大丈夫だよ。巫女ちゃん」と美影は優しく言葉をかける事にした。不安なのは伝わる。下手に取り繕えるような口の上手さは自分にはない。なら、出来るだけ態度で示そうと、震える少女の頭を撫でた。
「大丈夫」
重ねて同じ言葉をかけながら、思う。彼女もまた同じなのだ、と。
より正確には、マイノリティとなった誰もが通るであろう通過点に、岐路に今まさしくいるのだろう。
選択肢は多くない。
マイノリティである事を受け入れるか、そうでないか。
大部分は前者を選ぶ。後者はつまりはそういう事なのだから。
自分に備わった異能をどう認識するか。どう付き合っていくか。
美影の場合、誘拐されて実験体のままだったら、その内フリークになっていたかも知れない。WGに救出されなければ、きっとまともに生きていけなかっただろう。
彼女とは状況は違うし、そんな事を言うのはお門違いなのかも知れない。
「巫女ちゃんは一人じゃないよ」
こんなのは偽善だろう。誰にでも言える軽い言葉だろう。
きっと目の前の少女には分かってしまう。こんなのは何の助けにもならない。
「だって」
こんな言葉を吐くのは心外だった。
「困ったら、あのバカが助けてくれるでしょ」
よりにもよって武藤零二の事を認めるような発言をするのが。
「あんなのでも、一応巫女ちゃんのコトは守ってくれるんでしょうし」
認めるのは癪だが、事実として武藤零二、クリムゾンゼロは彼女を救った。しかも九条羽鳥と、武藤の家のサポートありきとは言えど、その身元を引き受けもした。
「あれでもアイツは自分の言ったコトは守る、はず。巫女ちゃんを守るのなら、絶対守り通すわ」
認めるのは癪だが、零二は守るだろう。
WD、社会の敵の一員のくせに。
どうして悪事を行わないのだろう。いっそそうすれば……。
「ありがとう」
巫女は笑顔を浮かべた。元気溌剌とした太陽のような明るさとはまた違う、強がっているのが丸分かりな笑み。
「でも、あのバカだけじゃ頼りないか。じゃあ、アタシにも頼るといいわ」
バカなのはアタシもだな、美影もまた笑った。