悪徳の街(The city of vices)その46
結局の所、コレは賭けだ。
こうするのが正しいのか、それは分からない。
妙なクスリを打たれたけど、オレには効果がなかったから。なら、って漠然と出来ると思った。だからやってみた。
焔を流し込む。口から水を注ぐってワケにゃいかねェ。耳から、ってのは自分でもキモいたぁ思うけれども、コレが一番いいって思った。
いつもなら焔を流し込む、与えた段階で終わり。後は相手の体内で炸裂させるだけなのを、意図して、操作していく。
行き当たりばったり、一発勝負。それもこれまで一回とて行ったコトもない超精密操作だ。こンなの失敗して当然。オレには全く向いてないはずだ。
だのに。
焔が相手の体内を巡ってくのが分かる。目で視てるのではなく、感覚として理解できちまう。
だから。
オレはただやるだけだ。
この焔で。
不思議な感覚だ。
初めてするってのに、何でか分かる。分かっちまう。
今、オレの焔があっちでどうなってるのかが分かっちまう。
相手の体内、血中内、内側にあるモノを感じる。クスリ、いや、そうじゃねェ。もっとロクでもねェナニカ。例えるなら、ヘドロみたいなモノが溜まってて、それが体内へと流れてく。
コレを灼けばいい、何故だかそう確信出来た。
だからソレを灼き尽くす。オレの焔が跡形もなく消していく。
そこにあるモノだけを殺していく。
閉じ込めて、逃げ場を奪って、一瞬にして。
何だろ、何なんだろう。
妙にしっくりとくる。まるで、…………。
◆◆◆
「──じ、」
「ン、」
「ちょ──いてるの?」
「あ、ン?」
「さっさと起きろ馬鹿」
「ブゴフッ」
強烈な痛みで零二が目を覚ますと、何やら堅いモノ、テーブルにキスをしていた。
「っつぅ」
後頭部から生じる痛みに半ば涙目となりつつ、寝ぼけ眼で辺りを見渡せば、そこはいつものマンション。
当然ながらそこにいるのは同居人であり、妹分でもある巫女の姿。
「やっと起きたか寝坊助」
「お前なぁ、もうちょっとは優しく起こせなかったワケ?」
「いいえ、巫女は何度も起こそうとしたわ。それでも起きなかったから私が代わりに起こした」
「──あン、って何でお前がいるンだよッ」
声の主は、歌音。そう言えばど突かれたにしちゃ、妙にジンジンと痛む、と考え至り、「お前ッ、なんつう起こし方しやがるッッ」と反論を試みたが、返ってきたのは言葉ではなく、ゴツンという衝撃。
「朝から怒鳴らないでくれる。近所迷惑だから」
「────ッッッッ」
後頭部に続き、顔面にも駆け巡る音の一撃を受け、零二は座っていたカウチから転げ落ちて悶絶。手足をバタバタと動かす。
「五月蝿い」
吐き捨てるような歌音の圧力に、零二は刃向かう意欲を喪失。すごすごとカウチへ腰を落とす。
「だから夜更かしはダメっつったじゃん」
バカだねーといいながら、巫女はコーヒーを差し出す。
零二はムスッとした表情を隠す事なく、それを受け取ると一口。
「うっせ」
と返すだけに留めた。何故って、歌音が怖いから。それに、時計を見て思い出したが、今日は来客があるのだから。
(一時間後)
「で、どうなったンだ。その、兄貴は?」
「ああ、病院にいるよ。しばらくは入院だって」
「そか、悪かったな」
「いいや。お前のお陰で助かったんだ。アタイじゃ無理だったよ」
零二と対面する形で反対側のソファーにいたのは亘。彼女がここに来たのは、今の現状を話す為だった。
「あれから一週間か。落ち着いたかよ?」
「ああ。大丈夫だよ。意外だなぁ」
「ン、何がだよ?」
「アンタそんなに優しい奴だったっけ?」
「ぷふっ」「そうね」
「────オイ」
同居人と相棒の容赦のない一言に、ガラス細工のようなハートは傷付くのを感じつつ、どうしてくれんだよ、と零二は亘に目で訴えかける。
「で、兄貴の意識は戻ったのか?」
「ああ、まだ長い時間起きてるのは無理みたいだけど」
「そっか。良かったな」
「アンタのおかげだよ」
「そうかよ」
「そうさ」
それからしばらく話が続く。
分かったのは耐里の状態が良くなり次第、九頭龍から東京の病院へ転院する事。彼女もまた、それに付いていくのだそう。
「そろそろ戻るよ。WGってのとWDってのは一応敵みたいなもんなんだろ?」
「そうだな。間違っても向こうで仲良くしようなんざ思うなよな」
「アンタみたいな変わり者はそうそういないだろ。問題ないよ」
そこで呼び鈴が鳴った。どうやら時間が来たらしい。
「そろそろ終われってさ。せっかちだよなWGも」
じゃ、と言いながら亘は立ち上がる。そのまま立ち去るかと思いきや、不意に零二の傍に踏み込むと、そのまま頬へ唇を合わせた。
それを目の当たりにした巫女は凍り付き、歌音は目をしばたかせる。
亘は「これは個人的なお礼だぜ」と笑う。
「ば、ば、バッカ。バカ」
「何だよお前。照れてんの?」
「うっせ。帰れよ」
「ああ、帰るぜ」
勝った、とばかりに胸を張り、自信満々で去っていく依頼人を、零二は顔を真っ赤に染め、巫女はシッシッと手を払い、歌音は咳払いをして見送る。バタンとドアが閉められ、ようやく零二はふぅ、と息を吐く。
「ったく、何だよアイツ。…………バカ」
まるで少女のようなその言い方に、本物の少女二人は互いの顔を見合わせて、首を振った。
零二はそんな二人の何とも言えない視線を背中に受けつつ、窓の外の景色へ視線を向ける。
澄み切った真っ青な空が何処までも広がっていて、「あー、今日も」と言葉を切って笑う。良い一日になりそうだ。少なくとも今だけはそう確信出来た。
◆◆◆
「ふぅん。じゃあフリークにはならなかったのね」
薄暗い部屋の中、彼女は満足そうに嗤う。
その紫色の髪は毒の花を思わせ、瞳の色は銀色。まるで人形のように整った
可憐な少女の姿とは、不釣り合いな低い声音。
暗闇を想起させる漆黒のドレスは、この室内の中でまさしく闇を想起させる。
「興味深いわ。本当にね。そうは思わない?」
銀色の視線の先にいたのは、壁に背を預ける、一見すると美少年にも美少女にも思える整った顔立ちの人物。
その銀色の髪は心なしかか室内で輝いているようですらあり、異様なまでの妖艶さを漂わせる。
「心底から楽しそうだというのは伝わってくるよ」
「そうね。考えてみて、フリーク化寸前、もう手遅れのはずの状態から戻ったの? こんな事例聞いた事がないわ」
「そうですね。少なくとも僕は知らない」
「本当に本当に驚いたわ。あの子、いいわね」
「手出しは遠慮して欲しいです」
「…………そうだったわね。あの子は貴方にとって大事だものね、カナメ」
「はい、彼は僕の物です」
「まぁ、暫くは様子見としましょう。それでいいのね?」
「助かります。ミラーカ」
「でも覚えておいて。ワタシはワタシのしたい事だけをする。今はあの子にそこまで興味はないだけ。理解しておく事ね」
それだけ言うと、ミラーカはその場で霧のように四散してかき消えた。
一人残された格好の少年、即ち士藤要は誰に言うでもなく呟く。
「そうさ。彼は僕が助ける」
武藤零二がフリーク化しかけたマイノリティを助けた。
この事実は瞬く間に各組織へと広まっていく事だろう。
今までは動かなかった者も、その手を伸ばすに違いない。
九条羽鳥という保護者がいない今、零二の守りはお世辞にも万全とは言い難い。
「ミラーカは当面は静観する」
その中で一番厄介だった彼女が手を引いたのは大きい。
未だに謎の多い彼女とは正面切って戦うには、リスクが大きい。
「充分だ」
ならば、この機会は活かすべきだろう。
「──ッッ」
ガタンと音がし、見返すと、旅行用のキャリングケースが動いていた。
「ああ、目を覚ましたのか密告者」
そう言えばそうだ、と要はキャリングケースへと近付くと蹴り飛ばす。
あのミラーカがあれに気付かなかったとは思えない。つまりは価値などない、と判断されたのだろう。
「、っぎゃっっ」
蹴り飛ばされたキャリングケースから悲鳴があがり、壁にぶつかった弾みでガチャ、とロックが外れ、中から転げ出たのは緑髪が特徴的なあのトーチャー。全身傷だらけで、服もボロボロなのは歌音による攻撃の余波である。
リカバーでも回復しきれない程の重傷なのは明白だった。
「ま、ってくれ」
拷問趣向者は息も絶え絶えに懇願する。
「何を待つんだ、今更。余計な密告で下手を打った以上、君は必要ない」
要はまさしく氷のような視線で相手を見下ろす。
「ち、……チャンスをくれ」
「何故?」
「まだ役に立て、る。何なら──」
言い終わる前にシュオン、と風を切る音。同時に腕が地面へと落ちた。
一体いつ手にしたのか、その右手には刀が握られている。
「ぎ、ぎいいいいいいいいやああああああ」
「五月蝿いな。せめて静かに苦しめ」
虫を見るような視線を受け、トーチャーは自らの運命を悟らざるを得ない。間違いなく死ぬ。ここで殺されるのだと。
「待って、助けて」
だがトーチャーは諦めない。まだ打てる手はある。
「お願いします。殺さないでください」
みっともなく見えようとも構うものか。
「何だってします。助けて」
見下したければ見下せばいい。
「絶対に裏切りませんから」
そうやって下に見ろ。こっちを侮れ。一つ一つの言葉は弱くても、繰り返し繰り返し耳に入れば効く。
「…………」
どうだ。銀髪野郎。無言でどうした?
もう一歩。もう一歩で──。
「────は?」
急に視界がずれていく。何故だろう、右と左で視界が不自然に変わっていく。まるで、身体が真っ二つに────。
そこまでだった。
拷問趣向者は文字通りに身体を二つに分かたれ、そのまま死んだ。
おかしいのは本来であれば血を噴き出さねばならないのに、一滴たりとも流れていない点。
その妖しく輝く銀刃から滴り落ちるのは、透明の水滴のみ。斬ったはずなのに、刀身にも血は全く付いていない。
「フゥ」
刀を一振り。
すると突然、真っ二つになったモノから血が噴き出す。今まで一滴も出なかったのが嘘のように、見る間に赤い池のように周囲へと広がっていく。
「五月蝿い、と言ったろ」
銀髪の青年、士藤要は最早何一つとて物言わぬモノへ冷たく言い放った。