悪徳の街(The city of vices)その43
アタイは視た。
決着までのその瞬間を。
さっきまでの攻防がまるで嘘みたいに、あっさりと終わった。
でもそれって当たり前の事なんだろうと思う。
人生万事が常にクライマックスなんて事は有り得ないのだから。
だからこそ、だ。
アタイは決着する瞬間に起きた事全部を目に焼き付けておかないといけない。それがこの場に居合わせたアタイに出来る唯一無二の役割なんじゃないかと思ったから。
◆
「────ッッ」
痛烈な頭突きを受け、大きくよろめいた耐里の頭部を零二は無理矢理引き寄せる。
頭部を掴んだまま、左右の手にボオッ、とした焔を発現させると、何の迷いもなく耳を通じて流し込む。
「ク、ギャ、ガアアアアアアッッッッッ」
耐里がさっきまでとは明らかに異なる叫びをあげた。
無理もない、何故って焔が体内へと入ったのだ。生きたまま、自分の体内が灼かれる感覚を今、まさに実感しているのだから。
「あ、あに──」
このままじゃ兄が、耐里が死んでしまう。そう思った亘だが、すぐに様子が変だと気付く。
零二の焔がどれだけの猛威なのかは、彼女には明確に推し量れない。
だがそれでもついさっき、駆留を跡形もなく燃やし尽くした様なら目の当たりとしている。少なくとも優に数百度は超えていたはず。下手をすればもっと出ていた可能性すらある。
であれば、だ。
本当ならば、あの焔を体内へと流し込まれた段階で終わりなのだろう。耐里は瞬時に燃え盛る松明と化すはずなのに。そうはなっていない。
苦しみ悶えてはいたが、生きている。少なくとも彼女、亘の目にはそう視えた。
それは拍子抜けする程にアッサリとした終わり方。
恐らくはものの数秒、正確には五秒にも満たない時間。
まるで生き物のように焔がうねりを上げて耐里へと入り込んだかと思えば、突然まるで糸の切れた人形のように崩れ落ちる。
手を放し、「ふぅ、」と溜め息をつく零二だが、その顔色はまるで病人のように真っ青であり、汗びっしょり。くらりとよろめくと、身体を支え切れないのか、膝を付く。
「おい、大丈夫かよ?」と心配しながら近寄る亘を零二は手で制すると、「心配する相手が違ェだろ?」と真っ青な顔色のままで不敵に笑ってみせる。
「でも、兄貴は、もう」
焔を流し込まれたのは分かってる。それでは生きてるはずがない。
なのに。
「う、あ、ああ」
聞き覚えのある声がした。
日頃からは考えられないような、か細くて小さくて、弱々しい声だった。
でも、生きてる。
「ひ、ろ?」
今度は目が合った。間違いなく認識した上での言葉。
信じられない、と思った。もう駄目だと思っていたのに。
「ウソだ。何だよ、……もう」
涙が浮かぶのが分かる。多分、当分止まらないのも分かる。きっと酷い顔をしているに違いない。
でもそんなの構うものか。
「バカ、ばかっ……」
言葉にならない。ただ嬉しさがこみ上げて、爆発する。
もう二度とないと思っていた。耐里がそこにいる。それだけで充分、他には何もいらない。必要ない。
耐里へと飛び込むように抱き付く亘を尻目に、零二は場を後にする。
「依頼は完了したからな」
微かに、本当に微かに笑みを浮かべながら。
◆
零二が亘と耐里を残して建物を出た後、不意に言葉を投げかける。
「で、いつまで隠れてるンだ?」
一見すると周囲には誰の姿もなく、ただの独り言。下手をすれば被害妄想とも思える言葉だが、ツンツン頭の不良少年には確信があった。
そして沈黙する事およそ数秒。
「あら、見つかってたのね」
そう声を上げて、別の建物の屋根に姿を見せたのは、チャイナドレスを着た女。月明かりにより、姿はハッキリとは分からない。だが零二の熱探知眼にかかればこんな暗闇など何の問題もない。相手が熱を発している限り、程度の差こそあれど姿形はくっきりしている。
「よく言うぜ」
やれやれ、とばかりに大袈裟に肩をすくめる。
「そうかしらね」
「ああ。殺意はなくても、見てるってのをわざわざアピってたらな」
零二の言葉にチャイナドレスの女は笑って返す。
そう。彼女は見ていた。
零二が敷地内に入ったのを。
そこで待ち受けていたマイノリティ犯罪者を一蹴するのを。
「思ってた以上に勘が働くのね。へぇ……」
驚いたわ、と呟きながらも、その視線は零二を見据えたまま動かない。
「何故だか分からないけど、どうにも他人様に恨みを買いやすいモンでよ。視線にもいつの間にか敏感になってたってヤツさ」
「それで、何か用事があるのではないかしら?」
「どうしてそう思うよ?」
「あのお爺さん、あなたの仲間なのでしょう?」
「ああ、ソレか」
俄かに零二の目が細められた。彼女には相手が何を考えているのかまでは推し量れない。
「特に何もねェな」
「そうなの?」
あっさりとした物言いに、チャイナドレスの女の方が意表を突かれた。
てっきり今すぐ飛びかかってくるかと思っていたのだ。少なくとも、彼女の知っている武藤零二とはそういったマイノリティだったはずだから。
「アンタ、下村の爺さんを殺れたのに、そうしなかっただろ?」
「あら、生きてたの」
「よく言うぜ。わざとだろ」
「どうしてそう思えるのかしら?」
「だってよ。そうじゃなきゃわざわざ致命傷を避けたりゃしねェ」
「それはお爺さんの運が良いのか。或いは身のこなしが良かったのではないかしら」
「いンや。爺さんが言ってた。外してもらったってよ。あの爺さんはそういった細かいコトを見逃さねェ」
「彼の言うことを信じるという事かしら?」
「ああ」
その言葉、表情には一切の感情の揺れもない。それを見て、チャイナドレスの女は僅かに表情を緩めた。
「調子が狂ったわ。行きなさい、もうすぐ怖い人達が来るかしら」
「だろうな。オレみたいな悪党がいたら即座に捕まっちまう」
おどけるように笑うと、零二はそのまま無防備な背中を見せたまま、場を離れていく。
「まるで悪戯をして逃げる悪ガキ。拍子抜けかしら」
チャイナドレスの女は、半ば呆れたように空を仰いで呟いた。