悪徳の街(The city of vices)その36
「ば、馬鹿な──」
唖然とするつなぎの男に現実が、零二が迫る。
「さて、覚悟は出来てンだよなぁ?」
拳を閉じて開いて、ボキボキと骨を鳴らして威嚇する。
「黙って聞いてりゃ随分と言いたい放題だったな。えーっと、確かオレは低能、……いンや低脳だったっけ?」
ニコリと不自然な程の笑顔を見せ、不意に左足を思い切り踏み込む。ミシ、と地面のコンクリートに亀裂が生じ、足を上げると靴の形に小さくめり込んだような跡がくっきりと出来上がっている。
ゴキン、と首を鳴らして「──で、コケにされたとあっちゃ、落とし前をつけねェといけないよな」と言う否や、だった。
零二はふらりと身体を前に傾けたかと思えば一気に前進。間合いを潰すと、腰を捻って、駆留の鳩尾へと突き刺すようなボディアッパーを叩き込んだ。まるでその軌道を示すかのようにチリッ、と火花が舞う。
「く、ぐがはッッッッ」
直撃を受けた駆留の身体はいとも容易く浮き上がり、次いで車と衝突したかのような衝撃が駆け巡る。胃の中の物、内臓まで飛び出すかのような一撃を受け、つなぎの男はベチャリと地面に崩れ落ち、「か、はぁ」と今にも息絶えそうな程にか細い吐息を付く。
「くっだらね。マジにな」
零二の目はまるで虫を見ているかのように冷徹だった。
「テメェみたいなヤツなら良く知ってるよ」
そう。武藤零二は知っている。
生まれてからずっと、あの箱庭の中で生きてきた彼は知っている。
「どいつもこいつも同じコトばっかり言いやがる」
白い白衣を纏った彼らがどういった連中なのかを。
「くっだらねェ。ウンザリだ」
わざわざ思い出すまでもない。あいつらと同じ事を言わせる必要などない。
「いいから、失せろ」
余裕からだろうか、唐突に指をパチンと鳴らすと、背中を向けて歩き出した。
◆
「く、が、はっ」
その去っていく姿を駆留は地に伏し、見上げながら思う。
(ば、馬鹿にしやがって)
確かに自分はマイノリティとしては弱い。いや、脆弱だ。
折角、常人とは違う存在に、超人になったはずなのに。
未だ常人にすら及ばない、貧弱なまま。
かと言って頭脳がより明晰になった訳でもない。
出来る事と言えば、薬品の効能を少々変化させる事位のもの。
だからこそ、選べる選択肢などは最初からほぼ決まっていた。
(そうだ、私には最初からなかったのだ)
可能性などなかった。
武藤零二にように、他者を圧倒出来るような強さが欲しかった。
自分の拳のみを、力のみを頼みとし、生きてみたかった。
(そうだ、私はお前が羨ましい)
自分には可能性はない、だから。
より強いマイノリティを作り出そうと思った。自身のイレギュラーに何が出来るのか、から始まり、数数え切れない回数のそれこそ気の遠くなるような実験、検証を行った。
(望みなどない、だからこそ造るのだ)
ただ強いモノを造り出す。それのみを考え、追求してきた。
そんな日々の中でEP製薬にて開発されたのが“楽園“だった。これまでせいぜい特定のマイノリティによる、特定のイレギュラーでしか作り出せないとされた、覚醒を促す薬。
これによりEP製薬、及びに潜入していた駆留は研究を促進出来るようになった。
気付けばEP製薬の代表、神門に自分の素性を明かしていた。是非とも協力させて欲しいと頼み込んだ。
──好きにするといい。
驚く程に、あっさりと了承されたのには些か拍子抜けすらしたが、そんな事などどうだっていい。研究出来るのだ。それもスポンサー付きで。場所も予算も提供された上でだ。
実験を行うべく、街の住人にも協力してもらった。
顔のない男を雇い、サンプルデータを取った。実に貴重なデータだった。神門も満足したはずだ。
だが足りない。
まだまだ楽園の効果は限定的だ。
より確実に間違いなくマイノリティへと覚醒させる為には、もっと薬の効能を高める必要がある。そして、それを行えるのは自分だけだ。
薬の効能を変化出来るというイレギュラーを用いての実験を繰り返した。
ミミックの一件で、九条羽鳥にも睨まれた以上、街中での投薬実験は難しくなった。神門の協力で、サンプル用のモルモットを用意してもらった。
何でも身元確認の必要ない、いなくなっても困らない連中だとか。
──君の望むように検証を続けてくれ。こちらにはその成果データを提供してくれれば問題ない。
神門は本当に理想的なスポンサーだ。彼がいなければ研究はここまで進まなかっただろう。仮に進んだのだとしても同様の結果が出たのはずっと後になったに違いない。
検証を重ね、ようやく望む効能を得た改良型を完成させた。
楽園に必要だったのは、ただ一つ。
確実な覚醒を促す因子だ。そもそも効能さえ発揮すればまず間違いなくマイノリティとなるのだ。要はそれをより確実に促せればいい。そしてその為の改良にこそ自分のイレギュラーは最適だった。これまで大した事のない、そう思っていた自分の異能。それがここに至り役に立つ。思わず笑ってしまった。最高の気分だった。
◆
「──かにするな」
駆留はゆっくりと立ち上がり、自分に背中を向ける小生意気な小僧へと敵意を込めた視線と言葉を発する。
「わたしを、……馬鹿にするなぁっっっ」
隠し持っていた小型拳銃を抜き出して、銃口を向ける。
小型とは言え、込められた弾は対マイノリティ仕様。命中すればただでは済まない。
それをいち早く認めた亘が「レイジッッッッ」と叫びを上げた。
「──心配いらねェよ」
零二はただそう応え、亘へと近付く。
そして、銃口を向けたにもかかわらず、振り向きもしない零二の姿に駆留の怒りは沸点を超えた。
「小僧ォォォォォ」
最早絶叫しながら、引き金に指をかけ、そのまま引き絞ろうとして。
「──もうアイツは終わりだ」
全身から焔を噴き出し、つなぎの男は火だるまとなる。
「ば、ば、か、なぁぁ、ッッッッッ」
有り得ない、どうして燃えているのかが分からない。
一体いつの間にこんな事に?
(そうか、あの一撃──)
ボディアッパーを喰らった瞬間、微かな違和感があった。ほんの一瞬熱を感じた。あの時に焔を流し込まれたとしか思えない。
目の前で起きる光景に、亘は口をパクパクさせつつ、何とか言葉を紡ぐ。
「な、何なんだよあれ?」
「火葬の第三撃。オレは自分の意志で相手に焔を流し込める。ソイツが時間をおいて全身から噴き出す。要するにあのオッサン自体を燃料にして燃えてるってこった」
「……信じらんない」
「だよな。あんま見るなよ、お前はコッチ側じゃないンだからよ」
そうこうしている間にも駆留の全身は焔によって灼かれていく。
「ア、アアアアアアアアアア」
リカバーを使って回復を試みるも、焼け石に水。回復したその傍から噴き出す焔によって再度皮膚が灼かれ、ただれて、崩れていく。
「いや、だ、いやだ、いやだああああああ」
絶叫して、苦しみ悶える。拳銃はとうに溶解。もう原形を留めていない。
(馬鹿な馬鹿なッッッ)
何故こうなった? こんなはすじゃなかった。
(わたしは、何もかも、順調だったは、ずだ)
EP製薬から、神門から更なる支援を受けて、研究の規模も大きくなるはずだった。マイノリティを自在に覚醒させて、そいつらをコントロール。やがてかつて自分を見下した連中、低脳共に報いを与える予定だった。
(お、わっていく。おわってしまう)
これから、が終わってしまう。そんな事、許せるのか、許せるはずがない。
「……ま、て」
もう死んでしまう。それは避けられない。ならば、せめて。
「その探偵は、てお、くれだ──」
呪いの言葉を、呪詛を吐いてくれよう。どうしようもない事実を前に苦痛を味わえばいい。
「おま、えに、たにん……はすく、えな────」
途端、焔が一気に噴き上がり、駆留はどう、と崩れ落ちると、二度と動く事なくそのまま燃え尽きた。




