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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 16
554/613

悪徳の街(The city of vices)その35

 

「は、く、はっっ」

 ズキズキとした痛み。顔が腹部が、地面を転がった際に皮膚を擦り向いたのか、とにかく全身が痛い。

(信じられん)

 それが駆留の偽らざる胸中だった。

(何故だ? 何故なのだ?)

 こちらは努めて丁寧に接したはずだった。直接敵対する意思などないのだと示したはずだ。不幸にしてこういった形での顔合わせとなりはしたものの、あの少女に危害は加えてはいないし、こうして返還にだって応じたもした。

 その上でどうしてこうなったのかについても説明したはずだ。

 あの少女の兄は自分達WDにとって不倶戴天の敵であるWGの協力者なのだ。であればそもそも生かしておく理由など何処にもない。

 少女、妹に会えただけでも僥倖とすべきなのだ。目の前の、クリムゾンゼロにしても敵なのだ。生かしておいても何の益もない存在のはずだ。なのに。

「なぜ、助けようと言うのだ?」

 精一杯の反論、反発の言葉。理解出来ない、理解出来ようはずもない、何処をどう考えれば、引き渡せなどという言葉が口を付くのか。そんなの理屈に合わないではないか。


「何故って、ンなモン決まってンだろが」

 零二はさも当然といった口調で、「オレがそう決めたからだ」溜め息すら出すように平然と言ってのける。

「そんな勝手が許されると思っ──」「──ああ思うね」

「──っっっ」

 自身の反論の言葉をすら認めないとでも言うのか、零二の被せるような即答に眉間に青筋を立て、唇を噛み締める。じわ、と生温かい血の味が口の中に広がっていく。

 そんな明らかに苛立ちを隠せなくなった相手の都合など、ツンツン頭の不良少年には関係ない。

 だって、何故なら。

「アンタさぁ、勘違いしてるみてェだな」

 零二はこほん、とわざとらしい咳払いを一つ入れる。

「オレは別にそちらの都合を否定してるワケじゃねェンだぜ。自分がしてェコトがあるっつなら、どんどんやればいいと思うね」

「なら、何故だ?」

 駆留には零二の言っている事が理解出来ない。彼の理屈なら、自分の望みだって何の問題もないはずだ。

 己の望みを叶える、それこそWDという組織に所属する目的なのだから。

 それに対して零二は今度はハァ、とこれまた大袈裟な溜め息をつく。その上で幾度も首を横に振ってみせる。

「アンタ本当に頭悪いな」

 それはさっきまでとは違う、明確な侮蔑の言葉。

「な、っ……」

 ガタガタ、と全身が震えた。怯えからではなく、怒りに身を震わせる。

「今、何と言ったのかな?」

 有り得ない言葉だ。よりにもよって頭が悪いだと?

 聞き間違いだ、そうに決まっている。そのような言葉は自分には最も縁遠いはずなのだから。

「私が、私の知性が低いと言ったのか?」

 こんな問いかけをする事自体、有り得ない事。

「そんな筈ないだろう」

 何故なら、自分は有能なのだ。有能だからこそ、一流大学にも入れた。

「私は優秀だ」

 在学中の研究論文は同級生、いや、当時在学していた誰よりも優れていたという自負がある。

 もっとも学部内の()()な教授連中には理解出来なかったらしく、論文は一笑に付され、嘲笑された。

「お前も、所詮は」

 低脳な連中にとって自分達よりも優秀な学生は気に食わなかったのだろう、次第に学部内での居場所がなくなっていき、孤立を深めていった日々。

「所詮は──」

 屈辱的だった。何故自分だけが不利益を被らねばならないのか。何故連中の都合に合わせねばならぬのか。そんなのはおかしい。低脳連中の為にどうして自分が苦労せねばいけないのか。

 論文を見た九条羽鳥に声をかけられなかったら、何よりも彼女の命令でEP製薬に潜入する事になっていなければ、こんなにも充実した日々は送れなかったに違いない。

「お前も、低脳連中と同じだな」

 あの九条羽鳥に見出されたのであれば、有能なのだろうと思っていたが。

「単なる鉄砲玉だった訳だ」

 だというのなら、もう何も気を使ってやる必要などない。友好的な関係を築こうと歩み寄ったのを、差し出した手を払いのけたのは向こうなのだ。

 駆留はポケットに隠していたスマホの画面を親指で押した。

「もういい。なら──」

「──ン?」

 零二は首筋にチクリとした痛みを感じ、視線を巡らす。

 そこには昆虫がいた。より正確には大きめの蚊を模したドローンだ。ポタリ、と針からは何やら液体が滴っているのが見て取れる。

「これで君はもう終わりだ」

 怒りの表情から一転。つなぎの男は下から舐めるような視線をツンツン頭の不良少年へと向ける。

「今のは君へのプレゼントだ」

「何をした?」

「もう君は私には逆らえないよ」

 駆留は自らの優位を確信したからだろう、さっきまでとは異なり、目の前の不良少年を見下すような不気味な笑顔を見せる。

「今、君の血管内を私の作品が循環している。程なく効力を発揮するよ」

「────」

「どうしたね? ショックで何も言えないのかな?

 心配ない。君は最高のサンプルになる。そこらにいる低脳のような粗雑な扱いはしないさ」

 こうして話している間にも薬の効力が作用していく。

 すぐに精神の均衡が崩れ出す。そしてイレギュラーの強制的強化、何よりも依存性の強さから、自分には決して刃向かえなくなる。感情的である事もこの場合実に都合がいい。

「さぁさぁ、君の本性をさらけ出してくれっっっ」

 期待に胸を膨らませ、大仰に両手を掲げ、その瞬間を見んとする。

 だがその期待は「──くっだらね」という零二の言葉であえなく消えた。

「何かとんでもねェ仕掛けでもあるのかって思えば、こンなのかよ」

 期待はずれもいいとこだ、と言って肩を回し、首をゴキゴキと鳴らす。まるで何事もなかったかのように平然と。

「ば、ば、馬鹿な?」

 駆留にとってその様は有り得ないものだった。

 自分の作った作品の効能は万全だ。それこそモルモットで試した。間違いなく効力を発揮して、理性など軽く吹っ飛ぶはずだ。吹っ飛ばないとおかしい。

「信じられねェってツラだな。一応答え合わせしとくとよ、そのクスリだったら()()()ぜ」

「────な」

「言い直した方がいいか、オレの体内で()()()()()って言うのが正しい表現だな」

「……何だと?」

「テメェの言う通り、あのクソったれな研究所でオレは散々っぱら色々クスリやら何やら打たれたからだろうなぁ。ちょっとやそっとのクスリは身体が勝手に対応しちまうのさ。ほら何だ、免疫系ってヤツか。ソレと同じでよ」

「────」

 有り得ない。つまりは武藤零二はこう言った。お前の作品はそこらの病原菌と同じだと。本人が自覚する以前に、分解、消え去ったのだと。

「というワケでよ。テメェの作品ってヤツはオレにゃムダってワケだ。もう諦めな」

 その言葉は駆留の自尊心を粉々に打ち砕いた。

 これまでかけた時間も何もかもをただの病原菌扱いされた。

 許せない。そんな事など絶対に許せない。許してなるものか。

「なら、死んでしまえ」

 激高したつなぎの男が青筋を浮かばせ、口から泡を噴くような勢いで耐里へ向けて「あの低脳を殺せッッッッ」と怒鳴り散らす。

「何をしている、さっさと殺せっっっ」

 だが耐里は微動だにしない。ブツブツとうわごとのように「亘、亘」と呟くのみ。

「私の、お前の主人の言葉が聞けないというのか!」

 駆留の叫びが虚しく響く。

「お前には散々投薬したはずだ。楽園(パラダイス)に手を加えた新作をだ。あれを投与された以上、もう正常な思考など不可能。フリークと化してただ私に忠実な僕となるのだ。いいか、もう一度言うぞ。クリムゾンゼロを殺せ、武藤零二を始末しろっっ」

 だがそれでも耐里は動かない。それどころか駆留の方にすら向き直る事もせず、妹たる少女の前に佇んでいるだけ。

 目に見えて動揺する駆留へ、「テメェのクスリってのはその程度の代物ってこったよ、低脳」と零二が駄目押しの一言を浴びせた。


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