悪徳の街(The city of vices)その33
(何故だ?)
それが駆留が最初に抱いた疑問だった。
頭陀袋を被った男が死んだ事にではない。あの男は所詮は都合のいい手駒。実験の為に手を加えたモノでしかない。死んだ事自体には多少の驚きはあったが、殺した相手は間違いなくあの探偵。分かっている事には関心はない。
(何故、拘束が外れている?)
駆留の疑問はどうして亘が動いているのか、だった。
耐里の場合はマイノリティである以上、イレギュラーを使ったのだと容易に分かる。だが彼女の場合は何故なのかが分からない。椅子の脚は地面に一体化するように固定していたのだ。多少の事ではビクともしないはずなのだ。
(それがどうだ?)
地面には無数の亀裂が生じている。その理由が分からない。それを知りたい。
(この状況、どう利用すべきかな)
駆留は内心ほくそ笑みつつ、黙して事の推移を観察する事にした。
◆
「な、にぃ?」
腹部から血が噴き出すに至り、ようやく零二は自分が攻撃された事を理解した。
傷口を手で押さえ、リカバーと自身の代謝の合わせ技により回復を試みる。
即座に出血は治まり、傷口も塞がった事からダメージはそれ程ではない。
ならば、と椅子ごと倒れかけた亘を助けるのが先だと判断。
「ちょいと熱くなるけど勘弁な」手足の拘束を高熱により溶解し、解放する。
「オイ、……大丈夫か?」
「あ? ああ、問題ねェよ」
「…………」
何て事ないかのように返事を返す零二を、亘は険しい表情で見つめる。
「…………お前もなのかよ?」
「ン?」
「お前もマイノリティってヤツなのかよ!」
「ああ」
短い肯定の言葉には一切の迷いもなく、訊ねた亘の方が驚く。
「そっか。知っちまったのか」
「…………ああ」
ほんの一言二言の短い会話。だがこれ以上なく重い言葉のやり取り。
「亘から離れろ──」
闇の中から声がし、同時に何かが空気を切り裂く音がする。
「──」
零二は亘を突き飛ばすと、後ろへ飛び退かんと試みるも間に合わない。今度は腕を貫かれた。
「ったく、誰だよ。敵意剥き出しでバレねェとでも思ってンのかよ?」
とは言え、焦ったりはしない。淡々と相手へと問いかける。
「亘から離れろ」と姿を見せたのは当然の事ながら耐里。敵意どころか殺意を剥き出しの視線を向けつつ、ゆっくりと自分にとっての敵へと向かう。
「…………なるほどな。亘のお兄様か」
「亘に近付く奴は殺す」
「コミュ障か何かか?」
「殺すッッッ」
耐里が問答無用とばかりに蹴りを放つ。鋭く突き刺すような一撃を零二は身体を半回転して躱すと、即座にカウンターの右を相手の脇腹に。対する耐里は直撃の寸前で自分の身体を後ろへ倒れ込ませる事で躱してみせた。
「やるなアンタ」
零二は不敵に笑った。
「殺す」
耐里はただ殺意を剥き出しに凝視する。
「やめろよ、」
そんな二人の様子に、亘は今にも泣き出しそうな声を漏らす。
「アタイは無事なんだ。だからもう戦わなくていいんだよ」
だがその言葉は二人には届かない。
「────」
「フウウウウウウウ」
既に当人達は互いを敵として認識していた。
「行くぜ──」
今度は零二から仕掛けた。前へと踏み込みつつ右のジャブを見舞う。耐里は気にもしないとばかりに前へ踏み出して一撃を受けるも、自分から前へ踏み出した為にダメージは低い。そのまま敵に向かい左ストレートを叩き込む。
「う、ぎっ」
零二もまた顔を後ろへ引く事で直撃こそ逃れるも、ジャブとストレートでは威力が違う。衝撃を受けて身体がよろめき、たたらを踏む。そこへ耐里はさっき同様の蹴りを放ち、敵を突き飛ばす。ごろごろと二度、三度と地面を転がって間合いを外す零二。そこに追い打ちとばかりに顔面を踏みつけんと足を下ろす耐里。ツンツン頭の不良少年は、右の鉄槌で顔面すれすれに振り下ろされた足を弾いて起動をずらす。同時にその右手で相手のズボンの裾を掴むとそのまま大きく外へ引っ張って、態勢を崩させる。
「ッシャアッッ」
その上で気合い充分のかけ声と同時に背中から焔を噴出。勢いを付けて身体を浮き上がらせると、蹴りを無防備な首筋へとぶち込む。態勢を崩されていた耐里に抗う術などなく、大きく前へと倒れて転がっていく。
「──すごい」
亘が思わず息を呑んだ。まさしく圧巻の一言だった。ほんの数秒足らずの攻防。少し目を閉じれば見逃してしまうようなそんなあっという間のやり取り。
「あいつ、あんなに強いのか」
彼女自身、零二が強いのは理解していた。
だがまさか耐里とああも渡り合えるとは思いもよらなかった。
(それに、さっき火を噴いたよな)
瞬間的に急加速していた。倒れていた身体が一瞬で持ち上がり、反撃に転じる事など身体能力云々以前の事。傷口も完全塞がっていたし、やはりあのツンツン頭の不良少年もまた、耐里と同様の存在なのだと認識せざるを得ない。
「へっ、どうやらオレの方が接近戦は強いみたいだな」
「──亘」
「上の空、……つうか興味なしってトコか」
零二はここでふう、と一息つくと、目の前の相手の様子を改めて観察する。ここも薄暗い空間のようだが、サーモアイを持ったツンツン頭の不良少年には無意味。周囲の熱を目で視れる為、夜陰に乗じての奇襲の類は通じないのだ。
「倒れてるヤツぁ、つい今し死ンじまったってトコみてェだな」
サーモアイはあくまでも熱の痕跡を視るもの。なので零二の目にはそこで死んでいると思しき相手が頭陀袋を被っている事など知らず、ましてやどうやって死んだのかなどは理解しようもない。
(ってか、さっき腹をブチ抜かれたのは何だってンだ?)
弾丸のようなモノであろうとは分かった。不意打ちだったとは言え、威力もなかなかのものだった。
(ま、あっちでくたばってる誰かもオレをブチ抜いたのと同じエモノでやったのは間違いねェわな。あとは、──)
零二は不意に亘へと視線を向ける。
その途端に「ひろを見るんじゃないっっっっ」と耐里は激高。一目散に敵へと向かっていく。
「やっぱし」
得心した、と零二は一度頷く。そして自身も前へ。突進をかける耐里とただ一歩前へ出ただけの零二では勢いが違う。普通に考えればどう見ても当たり負けするのはツンツン頭の不良少年なのだが。
「く、ぬっっ」
倒れ込んだのは耐里の方。零二は何事もなかったかのように立っている。
「何だよアイツ」
亘は一部始終を見ていた。
耐里がぶつかっていく寸前。零二は半身になると左手をすう、と前へ。身体を回して、差し出した手をそのまま突っ込んで来る相手の背中へ伸ばすと押し出した。これに加えて左足を右足で払った。柔道でいう出足払いのような感じだろうか、ともかく前へ押し出され、バランスを狂わされた所で出足を払った。
「何なんだよ」
口で言うのは簡単だし、理屈も分かる。だがそれを意図も容易く実行出来るというのは普通ではない。ましてやこれは殺し合いなのだ。練習ではないのだ。
「なーる。やっぱし妹がトリガーってトコだな。何かしたのかアンタ?」
零二の視線は部屋の奥で状況を観察していた駆留へと向けられる。
「思っていた以上にクレバーなのだね君は」
用意していた椅子に腰かけ、首を左右に振りながら、つなぎの男は愉快そうにクルクルと回ると「そうだ。私の投薬によって彼は変わった」あっさりと自分の所行であると認める。
「ンなこた簡単な理屈だぜ。アンタが妙ちくりんな実験をしてるってのは調べがついてたからよ」
零二の目が獰猛に輝いた。