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桜音次歌音という少女

 

(一年前)


 ザアアアアア。それはやけに雨足が強い日だった

「…………」

 空の色は灰色、年間を通して曇る事の多いこの地域では特に珍しくもない空模様だと言える。 

 忘れもしない。

 その日は雨だった。それも小雨ではなく、激しい豪雨だった。

 彼女は突然、WD九頭龍支部のトップである九条羽鳥に呼び出された。その人物と対面する為に。とは言っても彼女がその人物の顔を確認するだけであり、相手は彼女の顔を確認する事は無いのだが。

 彼女は相手が姿を見せるのを高層ビルの屋上から眺める。

 それだけの事だった。



 彼女、桜音次歌音は他のエージェントと比較して、その扱いに於いて決定的に違う点があった。

 それは彼女の氏素性が、内部にも秘匿されている、という事だ。

 その理由は彼女がどういう経緯を経てWD九頭龍支部に所属する事になったのか、という事にまで遡る必要がある。


 彼女は元々、この九頭龍という土地にて代々”防人”として地域の治安を守ってきた一族の末裔。

 この土地では古来より、所謂”怪異”と呼ばれる出来事が数多く発生。

 怪異、すなわち妖怪とも鬼とも云われる人智を凌駕した異形の前に、多くの人々が犠牲となった。

 それらの怪異に対抗する為の存在こそが防人であり、桜音次歌音の遠い先祖達であった。


 こうした自警組織は日本各地はもとより、世界中で類似の集団が古来より脈々と存続してきた。

 だがこの九頭龍、否、越前、更に遡るならばその前の越と呼ばれた頃より、この地には数多くの怪異、異形の怪物達が跋扈しており、それらが持つ権能を前に、人々は恐怖におののく日々を強いられた。

 そうした異形の怪物に対抗する人々こそが防人。

 彼らもまた、どういった事情からか怪異と同様の力を持っており、その力を持って戦い、少しずつ状況を変えていったらしい。

 そうした戦いは少なくとも数百年にも及び、やがてこの地にも朝廷の力が及ぶに至って終息を迎えた。

 そのきっかけとは、後に天皇となった人物が、この地を最後まで脅かしていた神とさえ呼ばれた異形の怪物を討伐した事であり、それによりこの地で長い歳月続いた戦いは一応の決着を見たそうだ。


 だが、神にも匹敵したと言われるその怪物を崇める者達、崇拝者がいつの頃からかこの地で暗躍を始めた事で、戦いは再開された。

 崇拝者達は”教団”と呼ばれ、幾度となく防人と戦った。

 最後に起きた戦いはおよそ十年前。

 その時に教団の中枢を壊滅させた事で、最終的に防人側は勝利を収めた。

 だが、その際の損害は防人側も甚大であり、多くの仲間を失った。その理由は教団に傾倒する人びとが増えたからである。

 その理由こそが近年、急増する異能の力を持った人々の存在。つまりはマイノリティである。

 それまではごく少数の一族の間に留まっていた異能を持つ人々の増加に伴い、犯罪は急増。教団との戦いに加え、それとは別に起きるマイノリティ犯罪への対処に苦慮。自分達の限界をハッキリと自覚した当時九頭龍の防人のリーダーであった菅原は、これ迄各地に点在していた防人等の異能者達の繋がりを強化する事を実行するに至った。その動きがやがて世界中に広がり、やがてはWGという組織の勃興に至る。そこにはこの地にいた防人もその多くが参加した。そうする事でWGの力は強くなった。

 しかし、全ての防人がWGに賛同した訳では無い。

 光差す所には必ず影がある。

 一部の防人の中には敢えてWDに協力する者も現れた。

 WGの掲げる理想論ではいつか起こるであろう、新たな戦いには勝てない、という理由で彼らはより強い力を得るべく参加したのだ。

 彼女が所属したのは、それらと異なる、中立の一派。

 WG、WDといった組織に取り込まれる事に不安を抱いた人達である。

 もっとも、そういうある種の政治的な思惑などは、子供だった彼女が知る由も無い事ではあるのだが。

 では中立派の一族出身の彼女が、結果として何故WDに身を置くことになったのか。その理由を当時の彼女は知る由もなく、今となっては知ろうとも思わない。いいや、分かってる。ただ知りたくないだけ。


 何にせよ、十歳の子供だった彼女は、ある日引き合わされた。


 ──初めまして、九条羽鳥といいます。


 彼女を見た時に感じた印象は、……怖い人。

 一見すると、穏やかそうな表情を浮かべている。

 だが、すぐにその印象は間違っている、と理解した。

 実際の所は、その表情には何も浮かんではいない。

 まるで能面のような表情。自分が勝手に穏やかそう、だと思い込んだに過ぎないのだとすぐに気付く。


 ──どうしましたか? 大丈夫ですよ。桜音次歌音さん。


 その声は心の奥底にまで入り込むかのように思え、子供ながらに、相手に何もかもを見透かされるような、そんな恐怖を感じた。



 桜音次歌音、という少女は子供の頃、周囲から孤立して育った。その理由は至極簡単で彼女が生まれつき()()()()()のマイノリティであったから。生まれつきのマイノリティ、異能者というのは同類が急増している現在に於いても稀な事らしく、そういった存在は総じて強い力を持っているのだそうだ。

 そういう理由で、彼女は家族から親愛を受けた覚えが無いまま育てられた。

 確かに家族は、彼女に力の扱い方は教えてはくれた。

 そのお陰で力に飲まれる事もなく、こうして生きてこれたのだ。

 だが、彼らは決して自分達の娘を年相応に扱ってはくれなかった。常に何処か怯える様な目で遠目で母親は見ていた。

 父親はマイノリティではあったが、何処か娘の事を疎んでいた。

 年の離れた兄はろくに口も聞いてはくれなかった。

 そうした日々で歌音は気が付けば相手の心の機微が何となく分かる様になった。相手が話す言葉の”真偽”が分かるのだ。

 周囲の、自分に近ければ近い程に自分の事を嫌う、同族嫌悪、異物への拒絶感、様々な言い方はあったろうが、一番の理解者であって然るべき家族から彼女は畏怖されて育った。


 転機になったのは五年前。

 まだ八歳の彼女は、とある事情である一家に娘として入る事になった。何でも防人の一人が直々に彼女を指名したのが理由らしい。

 その防人は幾度となく彼女に、こう教えた。


 ──いいかい、君は一人じゃない。何もかもを抱え込むな。そうするには君はまだあまりにも子供だ。困った事があれば、いつでも頼るんだよ。


 彼はとても穏やかだった。

 いつも笑みを浮かべて、歌音に優しく色々な事を教えた。

 人との接し方から始まり、社会に出る上で身に付けるべき最低限の立ち振舞いに至るまで。もっとも、生まれてからの八年間で身に染み付いてしまった、常に一人で過ごすという習慣は今に至っても抜け切れはしないのだが。

 俗にいう、三つ子の魂百までという言葉は真実なのだな、と思わず自嘲せざるを得ない。

 そんな彼女にも家族が出来た。それが今も暮らす星城家。彼女が桜音次歌音という本来の名前とは別に、”星城せいじょうりん”という名前であり存在意義を与えてくれた彼女にとっての大切な家族。例え仮初めであってもその家は、彼女には初めて出来た居場所だった。



 ◆◆◆



 雨足は強くなる一方だった。

 歌音はそんな中で不思議な光景を目にする。

 何もかもを飲み込む様な豪雨の中、ポツン、と一点だけ穴が空いていた。

 誰かが歩いて来ていた。

 彼は傘も差していなければ、雨合羽も着てはいない。


 それなのに、彼は全く濡れていない。

 雨粒が容赦なく、その身にむけて降り注いでいるはずの中で彼だけはまるで雨が避けているのかのように全く濡れていない。

(そう言えば、相手のイレギュラーは【炎熱操作】だったわね)

 九条に手渡された面通しの相手についての資料。

 たった五枚程の薄い紙の束。

 それが相手の人生の履歴書。


 たかだか十数年の履歴書と考えればそれは寧ろ多いのかも知れないが、その履歴書には問題が多い。

 とかく、多くの項目が黒く塗り潰されている。

 本名も不明。ただ、名字が”武藤”とだけ。

 生まれたのはどうやらこの九頭龍で間違いないようだが、両親と暮らす事もなく、生後すぐに極秘の研究施設に送られた。

 その研究施設は通称”白い箱庭”と呼ばれ、WDから莫大な支援を受け、あらゆる非合法な研究を行っていたらしい。


 そこで彼が一体どういう扱いを受けたのかについて表記はない。

 ただ、事実として書かれているのは、彼が言うなれば自分の生まれ育った研究施設を──文字通りに灰燼に帰したという事のみ。

 その研究施設にいた無数の被験者や研究者、警備員に、WDや他の犯罪組織の人員に至るまで表沙汰に出来ない全ての人間の生きていた痕跡を消し去ったのだ。

 一連の出来事を受けての、……WD上層部の判断はこうだ。


 被験者No.02。

 強力な力を秘めているものの、極めて不安定。制御は困難。

 よって早急なる排除を求む。


 稲光が走る。

 そんな相手を桜音次歌音は今、眼下に置いていた。


 それは一年前の出来事。二人はまだ互いを知らない。


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