悪徳の街(The city of vices)その24
「あーあー、無駄なのに頑張るねー」
余裕からだろう、トーチャーは目の前で苦しむ歌音の姿を倒れた机の引き出しから取り出したカメラで撮影し始めた。
「お、まえっ」
手を出して、カメラを奪い去ろうと試みるもトーチャーは椅子ごとクルリと回ってそれを回避。お返しとばかりに耳元で「【諦めなよ】」と囁いてみせる。
「ウ、アッッ」
「はは、どうしたのカノン? 顔色が悪いよ? ねぇねぇ?」
文字通り嘲笑いながら、拷問趣向者は心底から愉しいのだろう、満面の笑みを浮かべた。
ガラガラ、ガラガラと椅子で今や何も出来ない少女の苦悶する様をレンズ越しに眺め、舌なめずりをする様は中性的で一目をひく顔立ちを台無しとするには充分。動けなくなった蛙を蛇がひと飲みにしようとしているかのよう。
「ずうっと、こうしてみたかったんだよー」
けらけらと嗤って、顔を近付ける。
「僕が何でトーチャーって呼ばれてると思う?」
「し、るか」
「はは、簡単だよ。僕には人のコトが分からなくてさ、生まれついての人格破綻ってヤツ。
昔っから他人に興味がなくて、閉じこもってた。
ある日のコトさ。外で生き物が死んでゆく様を眺めてたら、今まで感じたコトのないモヤモヤしたモノが浮かんだ。コレって何だろう? そう思って僕はとりあえずそこいらにいた生き物を片っ端から殺した。切り裂き、踏み潰して、食いちぎって、殺してみた。
すると、どうだよ。僕は人生で初めて興奮したんだ。なら、もっとしたくなるだろ?」
拷問趣向者は心底から愉しそうに話を続ける。歌音にとってそんな話などどうでもいい。だが彼はなおも話を続ける。
「でさ、その内に気付いたんだ。犬とか猫なんかよりずっと面白そうな獲物が周囲に一杯あるぞ、ってさ。やたらめったら数だけは多くてくだらない動物がいるぞ、って。
最初は近所に住んでた年上のお姉さんだったなー。僕がちょっと甘えたら簡単に殺せたよ。
ああ、良かった。何せ人生で初めてイったんだ。最高に気分が良かったよ。パンツは汚れたけど、そんなの問題じゃなかった。もっともっと殺さなきゃ、ってさ。
でもさー、いつも同じ殺し方じゃつまらないだろ? そもそも人間を殺す方法なんてそれこそ無数にある。わざわざ皆と同じ方法をするんじゃ芸がない。だから色々と趣向を凝らすコトにしたんだ。それが僕が拷問に出会ったキッカケだ。どうだい、君なら分かるだろ?」
「し、るか」
「つまらないなー、君だってWDに所属する前は殺し屋だったんだろ。だったらさ、少しは僕の気持ちだってわかってると思ったのだけど。ま、いいや。
ともかく、僕は何人か殺していく間に気付いた。ただ殺すよりも、じっくりと苦痛を与える方が長く愉しめる。どんなに強気な相手だって最初こそ僕を見下していても、やがて苦痛の前に心が折れる。分かるのさ、ポッキリという音がさ。あ、コイツ今、諦めたぞ。声の調子だとか、表情だとか、そういった諸々でさーー。本当に興奮するんだ、その瞬間を目にするのが。ただ殺すだけじゃ決して味わえないこの快感を僕はずっと味わっていきたいんだよー」
そう語る拷問趣向者の爛々とした目には欲望の光が宿っており、彼がどれだけ壊れているのかを示すには充分に過ぎる。
「カノン、心配はいらないよ。君は殺さないから。これから心を少しずつ壊していく、いや、歪めていこうと思う。君の苦悶と苦痛に満ちた喘ぎ声をずっとずっと聴かせてもらう為に、さ」
肩を掴もうと手を差し出されたトーチャーの手。それを突如として「うるせぇよ、変態野郎」と嫌悪感を露わに歌音は払いのける。
「────?」
そして。
「────」
声にならない声がその場を駆け巡り、トーチャーの身体は嘘のように軽々と宙を舞って天井に叩き付けられる。
「え、? カハッ」吐血して、トーチャーは何起きたのか分からずにあ然としていた。
ズキンとした鈍い痛みでようやく自分が吹き飛ばされた挙げ句、天井へと叩き付けられたのだと理解。
ベチャと天井から床へと落ちて「ぐ、がっ」と呻く間も考え続ける。何故こうなったのか、と。
全く意味が分からなかった。何故って、この状況自体が有り得ない。
今日ここに来るのまでは予測してはいなかった。だがいつでも問題ないように準備は整えた。それこそ九条羽鳥がいなくなる前から準備していたのだ。決して最近からの仕込みなどではないいし、手抜かりなどない。
桜音次歌音を獲物にしよう、そう思ったのは彼女と初めて顔を合わせた時、いいや違う。
彼女の“声“を耳にした瞬間からそう考えた。
顔形などどうでも良かった。耳によく馴染む心地のいい“音“だった。自分と同じく音を武器としたイレギュラー。
ただし音によって対象の精神に訴える自分と、音によって周囲に影響を及ぼす彼女。イレギュラーは担い手自身の元々の素養によって扱える異能は大きく異なると言う。
「ク、カッッ、な、」
分からない。この室内にいる限りに於いて、彼女よりも自身のイレギュラーの方が優位だったはずだ。砲弾とでも云うべき彼女の音は部屋を通過していくだけだが、自身の声音は部屋の壁や天井、床などで反響。結果、幾度も幾度も発した言葉が耳朶を通過、確実に影響を及ぼせる、そのはずだった。
「カ、ノン?」
ずず、と這いずりながら、ゆっくりと顔を上げて相手の少女を見上げる。
「あんたは最初から負けてた」
歌音の声には憐れみの音があった。
「ばかな」
トーチャーには何を言ってるのかが分からない。最初から、とはどういう意味だ。最初から有利だったのは自分のはずだ。それがどうしてこうなった。負ける要素など皆無のはずなのに、どうしてこうなる?
すると、考えが纏まらない緑髪の少年にトドメを刺す言葉がかけられた。
「悪いけど、こっちは最初から二人だったんだよ」
その声は目の前の歌音とは逆方向。部屋の外から届けられた。
「お、まえ?」
激痛に耐えつつ振り向いた拷問趣向者の目に映ったのは、ピンク色の派手なパーカーを着たもう一人の少女、つまり神宮寺巫女の姿。
「悪いね」巫女の姿を見て安心したのか、不意に歌音はふらつく。様子を見て「歌音、無事か?」巫女が差し出した手を歌音は掴むと「ええ」と答えて笑った。