悪徳の街(The city of vices)その17
食べたい、とにかく腹が減った。
何でもいい。何でもいいから食わせろ。
何でもいいんだ。
でも食い物なんか辺りには何もない。
ダメだ。腹が減って減っておかしくなっちまいそうだ。
食い物、食い物、くい物、食いモノ、クイモノ、くいものはどこ?
ぐううううう、と腹がなる。
だめだ。もうがまん出きなイ。クイモノ、くイモノ、喰いモの。
あ、なんだ。そこにある。すぐそこにあるじゃないか。
どうしてきづかなかった。すぐそこに喰いモノならあった。
やたらバタバタしていきのいいのがいい。少しひらひらしたモノがじゃまだけど、きにしない。ともかくたべろ。
ばりばり、もぐもぐ。
あーあ、すこしはましになった。でも、たりない。まだまだたべたりない。
もっとだ、もっとたくさんくわないと。
じたばたするな、おとなしくくわれろ。
どうしてだろ。いっぱいたべたはずなのに。ぜんぜんおなかがいっぱいにならなイ。
まだまだたくさんたべなきャ。ああ、ああああああああああああああ。
おれがおれでなくなってしまうよ。
あ、れ?
お、れだれだっけ?
あー、おなかすいたぁ。
◆◆◆
腕に出来た口から放たれたのは舌。
一直線に飛び出して、零二を貫かんとする。
「しゃらくせェッッ」と上半身を捻って回避。同時に回し蹴りを叩き込む。フリークは大きくよろめいて元より不安定だったバランスを崩して膝を付く。
「しゃあっっ」
畳み掛けるように左肘を無防備な鼻柱へ。次いで右フックを顎に見舞う。普通であれば間違いなく脳震盪を起こすはずの攻撃、一撃一撃の重さこそ劣るも充分に必殺と言って差し支えのない攻撃なのだが。
「あ、娃嗚娃AGYA嗚呼嗚嗚右羽卯迂兎」
よろよろとしながらも相手は立ち上がる。
「オイオイ、タフだな」
零二としては手加減したつもりはない。本気ではないにせよ倒すつもりの攻撃だった。フリークとなった以上、生かしておく理由などないのだから。
「──うおっ」
横へ飛び退く。獲物を捉え損なった舌はそのままコンクリートの地面へ突き刺さって、また戻っていく。
「ア、AGYA嗚呼吁娃嗚」
「ったく、面倒くせェぜ」
横目で舌が抜けた跡を一瞥。特に異常らしき物は無いのを確認すると即座に動き出す。
「──ッッ?」
フリークは自分の舌が戻り切っておらず、獲物の動きに対応が遅れた。
「悪ぃけど、終わりにすンぜ」
零二の白く輝く左手が舌を掴む。フリークは「ウゴッ」と呻いて動きが止まる。そこに満を持しての右拳が唸りをあげて顔面へと叩き込まれた。
「あ、gya我蛾駕がッッッ」
強烈な一撃を受けて大きくよろめくも、舌を掴んだ零二がそれを阻止。再度引きつけてそこに今度は突き刺すような膝をめり込ませる。更に駄目押しに右肘を喰らわせてそこで左手を放す。ようやく後ろへよろめくフリークに対して「ッシャッッ」と声を発し、大きく踏み込みながら白く輝く右拳を叩き込む。強烈な熱によってフリークの肉体は瞬時に気化、肉体を貫き通す。このまま全身へと熱が駆け巡り、炎上、蒸発していくかと思われたが次の瞬間。
「娃、gya蛾駕がガガガガ」
顔のある腕の周囲から無数の管が飛び出す。それらは幾重にも重なり、交わって手のようなものを形成。手は肩口を掴むと、そのまま自分の肉体を引きちぎっていく。ブチブチ、と不快感を誘う不気味な音を立てて、腕が肉体から離れた。直後、肉体は蒸発していく。
「へっ、気色悪ぃな」
最早そこにいるのは、辛うじてヒトの形をした異形。
腕だったものがメキメキと軋みをあげて、見る間に腕を生やし、足を生やしていく。
背丈こそ小さく、子供のようではあるが、例えるなら顔からそのまま手足を生やすソレは間違いなく魑魅魍魎の類だろう。
「ア、ああ、喰わせろ、喰わせろォォォォッッッ」
その姿からはおよそ考えられない程の大音声を発し、涎を垂らして喚き散らす。
「…………ったくよ」
零二は幾度かかぶりを振って、ぐぐ、と拳を握るも、唐突に相手に背を向けると、そのまま平然と歩き出した。
「あ、娃、gyaああああ喰わせろォォォォッッッ」
フリークにとってみれば、獲物が自ら背中を見せた事に一切の疑念もない。怪物にとって何よりも優先すべきは自身の欲求。彼の場合は“飢餓“。決して満たせぬ食欲にのみ突き動かされる。周囲の全てが肉であり、餌でしかない。急速にその四肢は発達していき、体躯こそ小さくとも肉食獣のような獰猛さを剥き出しに飛びかかる。
「く、わせろォォォォ」
首をへし折って喉元に食らいついて、血を啜って肉を削ぎ取る。その上で動かなくなった獲物の肉を貪って飢えを満たす。ただそれだけが彼の全てであった。さっきまでのような無駄に大きな図体など寧ろ不要。だって胃袋が大きければそれだけたくさん食べないといけないのだから。小さい方がいい。その方がきっと長持ちするに違いない。
全ては本能的で合理的な判断、生存本能の発露。
だが既に勝負は付いていた。
零二が背中を向けたのも、それを確認したから。
「火葬の第三撃」
刹那、小さな小さな火の粉がフリークの中で暴れ出す。その血中を駆け巡り、沸騰させ、そして暴れ狂う。
「グギャ嗚呼ああああああ娃」
まさしく獣のような断末魔をあげ、火だるまと化したフリークは膝を屈し、悶え苦しむ。
さっき灼かれる肉体を切り離した際に、ほんの僅かな火の粉が彼の腕に達していたのだ。それが時間を置いて一気に再燃。結果が今の惨状である。
零二の焔はただのそれではない。ほんの僅かでも体内に達すれば零二の意思によって再燃する。威力こそ減じるし、精度も高くはない。ましてやほんの僅かな火の粉であれば尚更。
「悪ぃけど、相手してられねェンだよ」
周囲を見渡せば、そこかしこに悶えて倒れ込み、そして今や物言わぬモノへ成り果てたドロップアウト達の姿。彼らがどういう経緯でこうなったのか、零二には興味はない。
今やピクリとも動かす、ただ燃え散っていくフリークにも最早何の関心もなく、倉庫にいるはずの下村老人と亘を探す事に専念する。
そしてすぐに何があったかを理解した。
「よぉ、遅かったじゃないか」
「──ッッ」
零二の表情が歪んだ。
向かった先は地下へと続く階段の先、云わば緊急避難用のパニックルーム。
その扉は開いていて、室内で争ったらしく、あちこちに割れた調度品が散らばっている。
奥にある大型ディスプレイが粉砕されていて、そこに下村は倒れていた。
「オイ、何があった?」
愚問だと分かっている。どう見ても襲撃だ。
「悪いな、嬢ちゃんを連れていかれちまった、よ」
弱々しい声でそれだけ伝えると、下村は気を失った。
「ふざけやがって」
零二はただそう呟いた。