悪徳の街(The city of vices)その16
「変異状況は、悪くない。拒否反応を起こしている人数は七割か。こちらも悪くはない、上々だな」
倉庫で起きている異変を眺めて、古在はくっくと嗤う。
「期待してたよりもずっといいじゃないか」
ドロップアウトの男達に起きた出来事は、彼にとっては単なる実験サンプルでしかない。生きようが死のうが、どうなろうとも知った事ではない。
「クリムゾンゼロの方は…………こちらは今ひとつといった所か」
こちらは近くに飛ばしてあるドローンからの上空映像。多少画質が悪いのは安物を使ったからだろう。
「まぁ、最低限の仕事はしなくてはいけないな」
これはあくまで仕事。それ以上でもそれ以下でもない。もっともその緩んだ口元を見れば彼がこの状況を楽しんでいるであろう事は容易に分かるだろう。
古在は悪意に満ちた笑みと言葉を口にした。「さ、行け愚か者共」と。
◆
「ったく、何だテメェ」
電話を切った零二は不敵に笑った。
相手が目の前で変異していく。見る間に肉体を変化させていく。骨格、筋肉、ありとあらゆる自身を構築するパーツが変わっていく。
「最初からそう来いっつうの」
攻撃するならまさに今なのだが、敢えて何も手出しをせずに変異を待っている。
「アぎゃ、ああア、具アぎゃああああああ」
背丈の高い殺し屋だったモノは苦痛に満ちた叫び声をあげている。
「何か妙だな?」
そのあまりの悲痛な叫びを耳として、疑念を抱く。肉体変異とはつまるところ細胞単位での破壊と変成。普通の人間からマイノリティへと変化する際にはそれが全身で起こる。その際の感覚は個々人で違うらしく、ある者は特に何も感じる事なく変化を終わらす場合もあれば、痛みなどを感じて苦しむ場合もあるのだそう。もっとも零二のように生まれながらのマイノリティには理解出来ない感覚だろうが。
「──」
だが今、目の前で起きている事態は明らかにおかしい。痛みどころか全身より出血している上にあの叫び声は尋常ではない。まだ零二は何もしてはいないのに、まるで今にも絶命してしまいそうですらある。
それなのに背丈の高い殺し屋だったモノは、必死で標的へと迫っていく。
まだ変異中なのか、半身のみ異形と化し、残った半身は人間の名残を辛うじて残している。
「アググギャアアアアアアア」
目から口から、鼻から、耳から、全身から血を噴き出しつつ、絶叫しながらズリズリと擦るように進んでいる。お世辞にも素早いとは云えない緩慢な動作は零二に一つの結論を抱かせるには充分。
「お前、変異をミスったな」
人間からマイノリティへの変異変成は当人に多大な負荷を強いる。細胞単位での変化もそうだし、また自身が怪物になっていくという心因性のストレスもある。自分が自分ではなくなる、という事実を認めきれず、受け入れられない場合、起きる事態として一番多いのが理性を喪失しての怪物化である。
それでもフリークになるという事は肉体自体は変化を受け入れている。少なくとも細胞レベルでの変異は完了しているのだ。
だがそれすらも上手くいかない場合もある。それが細胞レベルでの変異への拒絶反応である。
細胞が異常な変異変成に適応出来ずに、結果として死んでしまう場合もあれば、今目の前でおきているように歪な形での半端な変異を起こす場合もある。
「ぐ、グギャ嗚呼アアaaAAAa」
聞くに耐えないおぞましくも、物悲しい叫び声をあげ、それでも背丈の高い殺し屋だったモノが零二へと向かっていくのは本能によるものか、或いは────。
「ちェ、分かったよ、……終わりにしてやる」
零二は小さく呟くと同時に前へと進み出る。まるで散歩にでも興じるかのような歩みで相手の攻撃を難なく躱すと変異していない足を蹴り払ってバランスを崩した。
「──しゃっ」
小さく息を切るように吐きつつ、膝を踏み台にして駆け上ると体を捻って左肘を顔面へと叩き込む。グシャという嫌な音と感触は相手の鼻を潰した証左だろう、凹んだ鼻から血が滲み出る。そこに右手を添えた。
「灼けろ」
意識を右手に集中。瞬時に白い輝きを生じさせ、さらに橙色の焔を発現させ男を灼く。
「亜、Aa、AaアAaグギャ嗚呼AaAa」
絶叫をあげつつ、背丈の高い殺し屋だったモノが炎上していく。そもそもマイノリティとしては不完全な肉体だからか、文字通り瞬時に全身が焔によって灼かれ、崩れていく。
「悪いな、終わりだ」
そこへ白く輝く拳=シャインナックルによる一撃が貫通。それがトドメとなり、男は粉々に砕け散った。
「…………ったく、気分わりぃ」
それは決して手向けの言葉などではない。だが、名前も知らない殺し屋の哀れな末路には零二も同情を禁じ得なかった。
「それよか、下村のじいさんのトコに行かなきゃな──」
死んだ者より今生きている者の方が大事だ、と自身に言い聞かせ、ツンツン頭の不良少年は倉庫へ向けて走り出した。
◆
「オイオイ、何だコレ?」
零二がアジトの一つとして使っていた倉庫が見るも無残な有り様だった。
強化コンクリートの壁はトラックで突っ込んだのか砕けてまるで口でも開いたかのようにポッカリとした入り口になっている。
それのみならず中に入らば、そこには大勢の男達の姿。
「ドロップアウトの連中か?」
何人かには見覚えがあり、男達が何者なのかにはすぐに思い至る。問題は彼らの現状だ。
「あ、あ、ああああああ」「くぐ、う、ううっっっ」
呻き声が場を覆い尽くし、誰も彼もが倒れている。
辺り一面には大量の、大量の血飛沫らしきモノが飛び散っており、さながら殺人事件の現場のよう。
「ヒ、ヒヒヒヒ、イヒヒッッ」
不気味な笑い声をあげて一人がふらりと辺りを歩き回っていて、その目から生気らしき光は見受けられず、口元からは血が滲み出ていた。その足下には三人の男達が血の海に沈んでいて、笑い声をあげる男の全身及びに口元から血が滲み出ている。
「ころ、こ……す」
言葉を発する事自体が難しいらしく、どう見ても理性があるとは思えない。そして何よりも決定的なのが、男の片腕に見て取れる。
それはまるで獣だった。いや、だった、ではなく見間違えようがない程に獣でしかない。
腕、だったはずの部位全体がパックリと裂けていて、そこから大量の血が流れており、しきりに震えている。
クッチャクッチャ、ムシャムシャ。
咀嚼するような音がする。何かを食べているような音だ。
だが周囲には誰もそんな行為を行ってはいない。
クッチャクッチャ、ムシャムシャ。
咀嚼音は続く。
ブチャ、ベチャ。
不意に何かが落ちて、視線を向ければそこにあるは最早原形をとどめていないナニカ。赤黒い液体塗れで、白く突きだしているモノがちらほら見える。
ナニカからねっとりとした液体が伸びており、その終点は、腕。
見ればパックリと裂けていた腕はさっきとは比較にならない程の血がべったりと付着している。
「亜、AaAaAa」
避けていたのは傷ではなく、巨大な口。うなり声が轟き、ぱっくりと開かれた口には無数の血にまみれた歯が覗き、思わず零二も「へっ、気持ちわりぃぜ」と不快感を露わとする。
「や、やめて、ギャアアアアアア」
断末魔をあげ、仲間を襲う姿はおぞましく、その後そこで起きる事態は凄惨極まりない。どう見ても完全に理性のたがは外れており、フリーク化しているのは明々白々。
とは言え、零二には関係のない話だ。今優先すべきは連絡を入れてきた下村老人の救援。倉庫がこうなってしまったからにはなおのことそうだ。
「…………」
だが零二は目の前で繰り広げられる光景を前にして、無視する事など出来なかった。
そこで死んでいくのは自分には無関係の、それも一般人等ではなく、襲撃をかけてきた敵。本来ならそんな相手にかける情など必要ない。そんな事は重々承知している。しているのだが。
「ち、クソが」
気付かば足を動かしていた。
「オイ、ザコとばっか遊んでンじゃねェよッッッ」
「──プギィッッッ」
腕に口を備えたドロップアウトであったモノへと飛び蹴りを見舞って突き飛ばす。
不意を突かれたフリークは大きくのけぞるも、倒れる事は拒絶。見れば口から飛び出した無数の歯がコンクリートに突き刺さっている。
「ホント気味わりぃな」
「阿、AaAaハハHAHAaaAA」
フリークはターゲットを完全に零二へと定めたらしく突っ込んで来た。
だがその速度は正直遅い。理由は単純で、異形化した腕と他の全身とのバランスが取れていないから。
「遅ェよ」
とても待っている気にはなれないと、零二はフリークの側面に回り込む。相手の無防備な足を蹴りつけてバランスを崩し、そこに右掌底を顎へと放つ。衝撃が走って脳を揺らす一撃を受け、フリークは動きを止め────ない。
「ア、AGYA嗚呼吁娃嗚」
異形化した腕が叫び声をあげてその口を開く。緩慢な動作一つ一つが怖気を誘うもので誰もが嫌悪感を抱かずにはいられない。
だが零二は考える。こうも動きが悪い相手がかくも多くの獲物をどうやって確保したのか、と。
そしてその疑問はすぐに解消された。
「──が、嗚娃嗚アアアアアアアアアッッッッッッ」
目の前に巨大な口が開かれ、そこから何かが放たれたのだから。