悪徳の街(The city of vices)その15
「…………ん」
零二が出て行ってからおよそ二十分後。通販で購入したソファに身を沈めつつ、電子タバコを一人堪能していた下村は異変に気付き、喫煙室から廊下へと飛び出る。すぐに耳をつんざくようなアラーム音を前に手を耳で覆う亘の姿を認めた。
「なぁ、何か鳴り響いてるんだけど、何なんだよ?」
「虫除けの鈴が鳴ってるのさ、こっちに来い」
騒音と言い換えて差し支えない音の中、言葉だけでは通じない可能性を鑑みて、下村は手で亘を誘導する。
彼らが向かったのは、喫煙室から三つ離れた部屋。そこは一見すると箱ばかりが積み上げられているようにしか見えないのだが。
「ここ、防音なのか」
さっきまであれだけ鳴り響いていた音がここでは全く聞こえない。
「ああ、手伝ってくれないか」
「わかった」
亘は下村と一緒に部屋に置かれた棚を動かす。
「肩で押すんだ、多少力任せでも構わない」
「う、ん、っしょっ」
二人がかりで棚を押していく。最初こそギシギシ、と軋むような不快な音が鳴ったものの、しばらくするとさっきまでの大変さが嘘のようにスムーズに動き出す。
そうして棚を部屋の隅に寄せ、下村の招きで亘は棚があった床に敷かれていたカーペットをめくる。
「これって、地下室?」
そこにあったのは引き戸で、それを開くと地下へ続く階段が目に映る。
「ああ、いいから降りるんだ。ワシもじきに追いかける」
下村の真剣な表情を前に亘は頷くと、薄暗い階段を慎重に降りていく。
「とりあえず時間稼ぎ位はしとかないとな、」
常々持ち歩いているノートPCを取り出して、倉庫の外に設置した監視カメラの映像に目を通すと「全く、世間知らずのガキ共が騒いでるもんだ」半ば呆れ顔でため息をついた。
人数はざっと見て二十から三十人。どうやらワゴン車数台にサイドカー付きバイクでここまで来たらしい。武器の類はぱっと見で鉄パイプやら金属に木製バット等々。
「あとはせいぜい何人かがナイフってところか。典型的な街のチンピラ共だな」
下村とてこれでも裏社会で長年生き抜いてきた自負がある。荒事にも散々巻き込まれてきたし、警察の世話になった事もある。危険を察知する能力があればこそ、今日まで生きてこれた。だからこそだろうか、相手を見れば大体底が図れる。
「あいつら位じゃ、ここの壁も抜けやしない。問題ない」
外から見れば単なる老朽化したオンボロの倉庫だが、実のところは違う。壁は強化コンクリートで覆っているし、鍵も生体認証で指紋及びに網膜スキャン。間違ってもピッキングで開くような代物ではない。なので、彼らがどんなに暴れようとも突破はまず不可能。その点については一切心配はしていないのだが、気がかりな点が一つ。
(何故あんなガキ共がここを知ってた?)
ここは九頭龍の中心から離れた場所だ。他にも幾つか老朽化して放置された工場跡やら倉庫やらがあるし、時折侵入を試みる者がいるのも知ってはいる。
だが、何故ここに来たのかが分からない。
(ガキ共にバレちまうようなへまはしちゃいない。という事は……)
その時だった。
ガーンという激しい衝突音と振動が建物へと襲いかかり、下村もがくりと膝をつく。
「な、んだ?」
何事だとカメラの映像を確認してみると、そこには一体何処から持ち込んだのか、大型トラックが壁へと突き刺さる光景があった。
「冗談だろ、おいおい」
更に何台もの大型トラックが壁へと突撃。強化コンクリート製の壁ではあったが、幾度もの衝突を繰り返す数十トンもの鉄の塊を相手にしては分が悪い。徐々に亀裂を生じていき、最後には砕けた。
「くそ、あんなガキ共になんてざまだ」
舌打ちを一つ入れて、下村もまた地下へと降りていった。
◆
「よし、お前ら突っ込め」
壁をぶち破ったトラックに備え付けられたマイクから、威勢のいい声を張り上げたのは素肌に金色のバイカーベストを着込んだモヒカン頭の男。つまりは亘にのされたあのドロップアウトのリーダー。
子分達が一斉に中に入っていくにを見届けた後、ゆっくりとドアを開くと倉庫に入る。
「しかし、すげぇな」
トラックに視線を送ると車体は大きく凹んでいた。車体の先端にはまるで建設現場で用いるような巨大なシャベルがあったはずだが、それがいつの間にか外れて外に落ちている事から見ても、ここの壁が尋常ではなく堅かったのは明白だろう。
「こんな寂れた場所に大した物があるとは思えなかったが、」
考え直しだな、と頷く。
「まぁ、金が貰えるなら何でも構わねぇ」
そもそも子分の一人がいい儲け話がある、といって持ってきた話だった。半ば半信半疑で待ち合わせ場所に向かったモヒカン頭のリーダーだったが、結果的に話を受けたのは正解だったと今は思っている。
「てめぇら、何をもたついてやがる。さっさとジジイ一人くらいとっつかまえろ」
たった一人のジジイを捕まえるだけで、三百万もの金が貰えるのだ。こんな美味しい話はそうそうあるものではない。
「だが、なんなんだここは?」
見た目に反した堅牢な壁に、様々な機材が置かれている。その大半は彼にはさっぱり見当もつかない物ばかり。
「金目の品も多そうだ」
売り払えばそれなりの金になりそうだな、と皮算用をして奥へと進んでいくと、不意に倉庫の照明が落ちた。
「誰だ、ブレーカーでもぶっ壊したのか?」
いきなり視界を失い、怒声をあげるリーダーに対し、「いや、こっちも何が何だか」「何も見えないっす」「電源なんてないぜ」という具合に口々に釈明する。
「くそ、とにかくジジイ一人相手なんだ絶対逃がすんじゃねぇ」
苛立ちを隠す事もなく、怒鳴り散らす。
しばらくして徐々に暗闇にも目が慣れてきた時だった。
「う、わっっ」
突然誰かが叫び声をあげ、周囲がにわかにざわめく。
「おい、何だ今のは?」
リーダーが訊ねるも、誰からも要領を得た話は聞こえず。
「ぎゃっ」
直後にまた別の誰かが叫び、カランという鉄パイプが床に落ちた音が鳴り響く。
「くそ、何でもいいから光をつけろ」
ポケットからスマホを取り出し、電源を押してか細い光にて周囲を照らし出すが、自分達以外の何者かの姿は見当たらない。
「くそ、ジジイ一人相手になんてザマだ」
そうボヤく間にも手下達のうめき声やら何やらだけが周囲に響き渡り、残った全員が不安を募らせていく。
「そうだ、トラック」
トラックにまで辿り着けばライトで周囲を照らし出せる事に思い至り、モヒカン頭のリーダーが慌てて戻ろうと試みるのだが。
「悪いね」
「へ?」
声が聞こえたか否か、その意識は刈り取られ、為す術もなく崩れ落ちた。
「お、照明が戻った──!」
そうして視界が戻り、ほっとしたドロップアウトの男達が目の当たりにしたのは、周囲に転がっている仲間達と、トラックの近くにて倒れている自分達のリーダーの姿に、その背中に足を乗せている、デニムジャケットを羽織り、同じくデニムの短パンの下は黒いタイツ。足元はレザーブーツ。それに加えて赤みがかったショートヘアの勝ち気そうな少女=亘。
「あんたらのボスはまたもこうなってるけど?」
「ふざけるな、女一人位全員で囲めば──ううっ」
威勢良く啖呵を切ろうとした男は瞬時に組み伏せられ、男達が振り返るとそこには暗視ゴーグルをぶら下げた下村。自分達の標的がそこにいた事で彼らの意識が完全に切り替わったその時。
「おうガキ共、こんな真似さらしたからにゃぁ、落とし前はどうつけるんだ、あぁ?」とドスの利いた脅し文句を飛ばして牽制。膝を肩に落とし、掴んだ肩を捻り上げる。
「ぎゃあああっっ」という悲痛な叫びと表情を目の当たりとして、男達は戦意喪失。あっさりと降伏したのだが。
一部始終を眺める人影が一つ。
「何だ何だ、もう諦めてしまうのか? もう少し気合いだとか根性だとか見せてくれるかと思ったんだがな」
とは言っても所詮は落伍者の集まり。どんなにいきがっていようが、自分よりも弱い相手にしか襲いかかれないような連中。現にあの無様な有り様がそれを証明している。
「数を頼みに襲いかかれば勝てるだろうに、自分可愛さで動けず、といった所か」
そもそも彼らに期待など抱いてはいなかった。ただ一つだけ、目的を達してくれればそれで充分だったし、それは達成している。
「まぁいいさ。なら、次の段階へ進めればいい」
男はくっくと嗤いつつ、腕時計を眺める。カチ、カチ、カチ、と秒を刻んでいく針。
「さぁ、ショータイムだ」
「おい、爺さん。こいつら一体──」
「冗談じゃない、まさか──」
亘と下村の眼前で、ドロップアウトの男達が身悶えし、その場にて狂ったように暴れ出した。