悪徳の街(The city of vices)その13
「手応えのないヤツだったな」
「いや、あんたがおかしいだけだと思う」
亘は呆れて物も言えない。
お目当てのボンボンを肩に担いだ後、零二が電話を入れるとすぐに一台のワゴン車が到着。そのまま運び出した。そのテキパキとした手際はまさしく。
「あれじゃこっちこそ犯罪者みたいじゃないか」
ワゴン車を走らせる事およそ二十分。繁華街から街中、そこから川沿いを走って気付けば景色はのどかな田畑ばかりの田園風景。とは言っても夜遅くの事。外に街灯などあるわけもなく、ワゴン車のライトだけが照らし出しか細い光と、朧気な月明かりが頼み。
「いや、犯罪者みたいじゃなくて、犯罪者そのものだし」
「は?」
「いや、だからよ。オレは立派な犯罪者なのだぜ」
「意味わかんないんですけど」
不満げな顔を隠さない助手席の亘を、後部座席に座る零二は小馬鹿にするように笑う。
「もしかしてお前、オレのコトを正義の味方とか思ってた? うわ、マジか」
「ふざけんなよ」
「オイオイ、何で怒ってるワケ? オレらはあくまでも仕事を受注した側と請け負った側って関係なのだぜ。請け負った仕事はキッチリこなす。なら、何も問題ねェと思うがね」
「うるさい」
「オレらは友達とかじゃねェワケ。打算で成立する関係なのだぜ。そこのトコお分かり?」
「うるっさいんだよ」
怒鳴りつけると同時にワゴン車は停車。亘はそのままバタンと乱暴にドアを開けると外へ飛び出していく。
運転席にて二人の言い合いを見ていた下村老人が咎める。
「ったく、あんまり言いたかないがな。お前言い過ぎなんじゃないか?」
「いいンだよ」
「まぁ、お前さんの気持ちも分からんではないがな」
良くも悪くも裏社会で人生の大半を過ごしてきた下村には、零二が何を考えていたなどお見通しだった。
「あのお嬢さんを巻き込みたかないんだろ? そりゃ分かるがなぁ」
言い方ってもんがあるだろうに、と苦笑する。
零二もまた、下村の考えていた事など丸わかり。わざわざ聞いてやる義理はないとばかりに、ドアを開くと亘よろしく飛び出していく。
「やれやれ。これじゃ子守だわな」
不良少年の後ろ姿を見ながら、老人はかぶりを振るのだった。
「ったく、このお荷物一人で運べっつうのか、ガキんちょが」
◆
一時間後、部屋を出て来た下村老人に壁に寄りかかっていた零二が話しかけた。
「で、何か分かったのか?」
「あ?」
元々幾つもの傷が彫られた顔、それが明らかに不機嫌そうに歪めば、それはそれは迫力満点。この一時間何もせずに任せっきりにしていた後ろめたさから、ツンツン頭の不良少年も目を逸らす。
「い、いえその、……スンマセンした」
「ったく、大した成果はなかったよ。どうにも世間知らずなボンボンだ」
下村は手をひらひらさせてお手上げだとアピールしてみせる。
「で、ヤーサンの方は?」
「ああ、連中は山陰から九頭龍に出張ってきたここいらじゃ新参の組織だな。
一つ聞いてもいいかな嬢ちゃん?」
「何だよ爺さん」
「お前さん、どうも連中とやり合うのに及び腰だったそうじゃないか。どうしてだ?」
下村の目が鋭く細められる。零二もまた、同じく疑問だった。何故ドロップアウトにはあれだけ強気だった彼女があそこまで消極的だったのか。
亘は沈黙を貫き、下村もまた黙して語らず。
だが年季の差だろうか、「わかった」と先に音を上げたのは赤みがたったショートヘアの少女だった。
「話すよ。あのヤクザ達はアタイら兄妹にとっちゃ家族の仇みたいなもんでな」
彼女が語ったのは、極々普通の話だった。
ある建設会社の社長一家が、ヤクザに騙されて土地を奪われ、挙げ句に火事や事故で会社まで倒産。残された膨大な借金を苦にして無理心中を図ったが、兄妹が生き残った。ただそれだけのありふれた悲劇だった。
「アタイはさ、葬式で連中を見てさ、怖くて漏らしたんだよ。みっともないよな、親の仇だってのは薄々分かってたんだ。だけど、どうしようもなかった。証拠がないから警察は動かない。だから泣き寝入りするしかなかった」
ふるふると拳を震わせ、唇を噛み締め、血が滲む。
如何に今を取り繕ってみても、過去の、ましてや子供の頃に刻み込まれた心的外傷は消えはしない。零二自身もまた、藤原新敷という存在に対してそうだった。理性では分かってる、だが本能にまで植え付けられたモノは容易く払拭出来るものではない。
「兄貴を救いたいって言ってたのに、このざまだ。笑えよ、口先だけだってさ」
「バァーカ、笑わねェよ。笑うワケねェよ」
同情ではない。どの道本人以外には決して完全に理解など不可能なのだ。
気付けば零二は亘の肩に手を置いていた。
「誰でもイヤなコトってのは有るもンだ。ソイツは気付けばテメェのナカに居座っちまう。面倒なのは、消し去りたくても消えやしねェってこった。
ひょっとしたら死ぬまで怯えるかも知れねェし、はたまた乗り越えるコトだってあるかも知れねェ。正直どうしたらいいなンつぅ都合のいい解決策なンざないのかもな」
「あんたにもあるのか、そういうの」
「ああ、あるぜ。突っ張ってみちゃいるけど、今でもたまに思い出しちまうよ」
零二の脳裏に浮かぶのは、白い箱庭での日々。
藤原新敷による訓練という名目の虐待。そして、自分が殺めた数多くの仲間になれたかも知れない少年少女達。未だに思い出し、その都度心が乱れる。
何よりも恐ろしいのは、自分の中にある焔。ようやくコントロール出来るようになった今でもあれが暴走したらどうなるのか、考えるだけで身震いしそうになってしまうし、夜中にあの頃の事を夢に見て目を覚ます事だってある。
「だからさ、怖いモノを忘れろなンて言う気はねェよ。忘れろって言われて、はいそうですか、って出来るようなら、ソイツは大したコトじゃないってこった。忘れる必要はないし、かといって拘るのもよせ。きっと拘ったトコロで何もないと思うからよ」
それは自分自身の経験からの言葉。あれだけ憎かった藤原新敷を倒しても、結局何も変わらない自分への言葉。
「一応言っとくけども、オレらは間違っても正義の味方とかじゃねェ。金になるなら人にゃ言えねェような小汚いマネだってするだろうよ。あくまでも金を貰えるっつう前提でしか仕事はしないし、必要以上に関わろうとも思わねェ」
言うだけいったとばかりに、零二はその場から離れていく。その足は気のせいだろうか、どこか重そうに見える。
「ま、そういうこったな」
下村は懐からシガーケースを取り出すと、電子タバコを口にくわえる。喫煙歴が長い為だろうか、ただそれだけの所作が堂には入っている。
「お嬢さん。そこの馬鹿の言う通りでな、ワシらは間違っても善人じゃない。この見た目通りにな」
そう言って顔に刻まれた傷を示す。
「少なくともワシはこんな傷を貰っちまう程度には狡い真似もしたし、傷を刻んだ相手にゃ相応のお返しもした。そいつは表の世界じゃ決して許されやしない事だ。分かるよな?」
ふう、と息を吐きながら亘へ視線を向ける。
「うん、分かる」
「だからな、あんまりワシらには関わるな。あんたみたいな普通の娘にはこっち側は似合わないって、あの口の足りない馬鹿は言いたいのさ。あれでもあいつは根は悪くない。むしろそこいらの常識人よりもある意味じゃまともですらある」
「それは、分かるよ。何となくだけど」
「だな。じゃなければそもそもお嬢さんに関わるはずがねぇんだ。あの馬鹿は本当に無鉄砲で常識が足りない。いつも自分からトラブルへと突っ込むようなどうしようもない奴だが。どうにも自分の目の前で起きる理不尽って奴を見逃せない。関わる必要だってないのに、自分から関わっちまう、まさに自己矛盾。考えなしの大馬鹿野郎だよ。
ま、だからだよ。ワシみたいな悪人の爺がついつい手を貸しちまうのはな。他の連中も似たようなもんだろうな。あんな馬鹿を放っておけばいつ野垂れ死にするか危なっかしくて分かったもんじゃないからなぁ」
「そうかもね」
正直彼女には、零二や下村のいる側という物が分からない。既にドロップアウトと揉め、その上ヤクザとも悶着を起こした。それで充分過ぎる程に危ない橋を渡っているはずなのに、まるで更に何かあるかのような物言いが引っかかる。
ただ一つだけ分かっている事がある。それは…………。
「でも、アタイは兄貴を助けるまで何処にも行かないから」
自分の兄は、零二達の云う所の向こう側に関わっているのだろうと。
ならば、そこに自分が行かずしてどうするのか。
「全く、……強情っぱりだなお嬢さんも」
下村はハァ、と息を吐いた。