悪徳の街(The city of vices)その10
「ち、どうにも面倒くせぇな」
待ち合わせ場所に向かいながら、彼が真っ先に呟いた言葉だった。
正直言って彼は今、ここに来たくはなかった。理由は簡単。周囲が五月蝿すぎるから。
彼の名は美祢。WGの一員にして情報屋でもある。
赤と青という相反する色を左右で塗り分けたモヒカン頭という否が応でも目立つ髪型をしており、耳から垂れたリングが幾重にもつながったピアスはカチャカチャと音を立てる。
おまけに半袖のGジャンにジーンズにモカシンブーツという装いは、周囲の人々からすれば過剰な自己主張でしかなく、誰の目から見てもまともには見えないのか、目があえば逸らし、進路が重なると理解した会社員は慌てて逃げ出す始末。
もっとも、下手に誰も近寄らないように彼が意識しているというのが実情だった。
(やっぱり俺様、悪目立ちしてるよな)
視線をぐるりと巡らせば、周囲の誰もが自分の事を遠巻きに、避けているのが見て取れる。
「ま、構わないんだけどよ」
口笛を吹きつつ、通りを闊歩していく。
美祢は元々はWGやWDにも所属しないフリーの情報屋。特技を用いて様々な情報を集めてはあちこちにそれらを売りさばいていたが、ある時にミスによってある犯罪者に命を狙われる事になった。
そのままでは死んでいた所を当時九頭龍におけるWDのボスだった九条羽鳥によって命を救われ、そのままなし崩し的にWDに入る事となった。
後になって考えれば、あの一件は九条による画策だったもかも知れなかったが、それも今や昔の事。絶対者として君臨した淑女はいなくなり、九頭龍内でのWDとWGの対立は日々大きくなっていく。
「俺様としちゃ、別にどっちに義理立てするって話でもないんだがな」
そもそもWDは各々が自由に生きる権利を主張している。
そうであれば別に同じ組織だからといって、助けてやる義理などない。実際、現状になってから彼はよそのファランクスから幾度か妨害こそ受けたが、助けられた事など一度もない。であれば、そんな連中を助ける理由などない。
「ま、あのガキはクソ生意気だが、義理ってのは分かってやがるんだよな。困った事に」
──でも気に入ってるんでしょ?
「ち、うっせぇよ」
──ふふ。
これは声ではなく、一種の精神感応。つまりはテレパシー。彼らは互いに言葉を発せずに会話出来る。
美祢の相棒役たる金髪のボブの女は、姿こそないものの、近くに潜んでいる。
テレパシーとは言ってもその範囲はある。彼らの場合、半径百メートル。これが互いに意思疎通を通わせる限界距離。
「それにしても、忙しそうねあの子」
上唇につけた髑髏のピアスを人差し指で触りながら金髪ボブの女は微笑む。
──全くだぜ。貧乏暇なしってやつかね。
「そうかしら。だって彼って武藤よ。お金持ちなんだから困っていないんじゃない」
──じゃあ何か。ボランティアでやってるってのかよ? 冗談じゃねぇ。
「怒らない怒らない。顧客なのは事実でしょ?」
──まぁ、そうだけどよ。金払いはいいからなあのクソガキ。それよか、問題は?
「そうね。こちらから見る限りではないわね。チンピラ崩れとか、ドロップアウトとかはちらほらいるみたい」
──じゃ、いつも通りだな。
「そうね。あの子がいた」
──了解。近寄るぜ。
金髪ボブの女の言葉を受け、美祢は息を吸う。それを契機として自分の中で意識を切り替える。すると無数の音なき声、言の葉が彼の周囲を覆い尽くしていく。
美祢はそれらを一切無視。そのまま歩き続ける。
彼の周囲に浮かんでいるのは、無数の人々の心の声。彼ら一人一人の本心であり、心に秘めた言葉。
ち、という小さな舌打ちは美祢の本音の発露。
美祢は表向きは、自分から周囲に対して己のイレギュラーについて、一方通行なテレパシーだと説明をしている。あくまでも自分から相手へと送信しか出来ない中途半端な能力である、と。
実際の能力は、自身の周囲にいる相手の読心こそが真骨頂。限られた範囲、およそ二十メートル以内であれば彼には筒抜け。
とは言え、読み取れるのはあくまでも対象者が今考えている、秘している事のみ。全てを読める訳ではない。
ふう、と一息入れて意識を更に集中させていく。
周囲の言の葉を関係ないもの、自分には必要のない相手を遮断。接触すべき相手、この場合零二以外の相手への接続、接触を断っていく。
(見つけた。ったく面倒な場所で待ち合わせなんぞしやがる)
うっかり自身の本心を伝えないようにしつつ、精一杯の悪態をつく。
零二の方も歩き出すのが確認出来た。こちらに気付いたらしい。
互いにゆっくりとした足取りで距離を詰めていく。
──おい聞こえるか?
声がかけられ、零二は一度だけ頷く。
互いの距離は十メートル。大勢の人々の行き交う大通り。本来ならば会話など成立しない状況。だが美祢にとっては何の問題もない。認識さえされれば、あとは距離が離れすぎない限り相手からの言葉は届くのだから。
──よし。女連れってのは気に食わないが、まぁいい。早速だがお前が探してる探偵だが、確かにこの数日程ここらを探っていたみたいだ。人捜しってのも本当らしい。写真を提示されたって奴も見つかった。
で、だ。どこにいるかは分からん。昨日辺りから見かけてないらしく、足取りもぷっつり切れてる。だから俺様にもこれ以上は無理だな。
モヒカン頭の情報屋からの言葉を受けるも、零二の表情は特に変わらない。
より正確には感情、心に変化がない。
──彼、最初からこうなってるかも、って思ってたわね。
「ああ、薄情なガキだ」
──そうかしら。薄情ならそもそも人捜しなんてしないんじゃない。
その会話はほんの一瞬、足を前に出して一方踏み出したかどうかの間隙。
美祢と金髪ボブの方でのテレパシーは相互通信であり、超高速で行われる。
それを他者が聴くのは極めて困難。
彼女は言葉を続ける。
──探偵さんはともかく、捜し人なら見つけた。今から言うわね。
一方の零二とすれば、亘の兄が厄介事に巻き込まれた時点で、最悪の想定は終わっていた。
薄情な考え方だと言えるかも知れないが、楽観的に構えた挙げ句に、いざ問題が起きた際に対処出来ないのではそれこそお話にならない。
亘には言えないが、確信こそなかったがこの事件はマイノリティ絡みなのでは、と思っていたからだ。だからこそ、同じくマイノリティの情報屋を頼ったのだ。態度こそデカいがその腕は折り紙付きのモヒカン頭の男を。
その男が視界に入っている。向こうも気付いたらしく、微妙に歩くタイミングをずらしてきた。互いに近付きながら、されど気付いた素振りなどは一切見せない。情報提供なら、このままで問題ない。
とうとう互いにすれ違い、そのまま通り過ぎていく。
だがここで零二に“声“が届く。
──俺からの一通だから要点だけ伝えるぞ。探偵は分からんが、探偵が探してたボンボンって野郎ならまだ街にいるみたいだぜ。場所は────。
それはほんの一瞬、数秒足らずの情報提供。ツンツン頭の不良少年と左右で色の違うモヒカン頭の男は接触を終え、そのまま離れていった。
──せいぜい気を付けるこった。無駄な心配だろうがな。
その声に、零二はただ手を上げて応えた。