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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 16
525/613

悪徳の街(The city of vices)その6

 


「で、何でここに来るんだ?」

 営業時間前なんだかな、と進藤は第一声を発した。

 屋台の撤収を終え、バーに戻ってきてみたら、零二と見知らぬ誰かが店にいたのだ。

 それはそれは渋い顔をしているのも仕方がない。

「いいじゃねェか、だって客なンかまだ来ねェし」

「おま、そりゃウチの店の客が来るのはもう少し暗くなってからだが……」

「じゃいいじゃンか。とりあえず軽食でいいから出してくれよぉ」

「ったく、ステーキ行くんじゃなかったかお前さん」

「う゛、じゃあないだろ」

 余分な金もないし、席もないンだぜ。と物悲しそうな顔をしたツンツン頭の不良少年を進藤は横目で見ながら、「しょうがねえな」と苦笑を浮かべつつ、リズミカルに包丁を落としていく。


 一方で亘と言えば「うっわぁ、いいなぁ」と感嘆の声を隠す事なく、店内の様々な物をしげしげと眺めている。

「こンな古臭い店のドコがいいンだが」

 呆れ気味で眺める零二に対して、奥から「悪かったな」と進藤からの返答が浴びせかけられ、「お前さん飯抜きな」と返す刀で切りつける。

 それに対しての零二の第一声は「スンマセンっした」という全力の謝罪。

「うわ、ダッサー」

 亘から更なる追い打ちも入る。

「るせェよ」

「だって、ヘタレじゃんアンタ」

「ヘタレじゃねェ」

「飯抜きって言われた瞬間、速攻でひよったじゃない」

「バッカ。いいか、マスターのメシは旨いンだぞ。ソレが食えなくなっちまったら、」

「なっちまったら、何?」

「オレは一体日々の何を楽しみに生きればいいってンだよッ」

「知るかッッ」

 という極めて低レベルな言い争いがしばらく続く内に、「はいよ。とりあえずこれでも食っとけ」と出したのは、大皿にこれでもか、と盛られた無数のサンドイッチ。

 そしてそれを目にした零二が「待ってました」と喜び勇んで席に着くと左右両手を物凄い勢いで動かして、次々と口に放り込んでいく。

 亘は最初こそ「何だよ、変な奴」と冷ややかな視線を向けていたのだが、零二が勢いは全く衰えず「ンまい、うまっ」と満面の笑みで食べ続ける様に次第に興味を惹かれる。

 それでも大皿に盛られたサンドイッチになかなか手を伸ばさない亘の下に、「ほらよ、食べな」と進藤が別の皿を彼女の前に差し出す。

「い、いらないよ」

「まぁまぁ、我慢すんな。腹減ってるんだろ。食べるって事はな大事なんだ。生きるって事なんだぞ」

 それは傭兵として世界中を巡った歴戦の兵にとっての人生訓。

「食べれるって事は、お前さんが今、きちんと生きてるって事なんだ」



 ◆



 彼は数々の戦地で食うものに瀕する大勢の人々を見た。

 国を、故郷を追われ、ただその身一つで逃げ出してきた人々。生き延びた、という安堵もほんの一時の事で、彼らはすぐに次の問題に直面する。

 逃げた先に充分な物質があれば問題はない。だが大抵の場合、逃げた先で起きるのは深刻な物質不足。キャンプに都市機能などあるはずもなく、インフラは脆弱。衛生環境も悪い事などざらで、ましてや食料の不足は当たり前。

 その上で、支援物質が届くかと云えばそれは場合によりけり。キャンプを支援しているスポンサー次第である。先進国のバックアップを受けていればある程度の支援は望めよう。彼らにとって難民という存在は良くも悪くも宣伝材料になる。難民を出した政権の責任を問い、メリットがあれば武力介入を行ったり、経済制裁を行う。

 傭兵たる進藤の役割は、先進国の介入までの間のキャンプの警備であり、そこではあらゆる非人道的な行為が横行する。

 決して報道などされてはいけない場面を多く見た。

 政権側の兵士が人々を虐殺するのも目にした。

 また捕らえた兵士が難民の手で無残な最期を遂げるのも目にした。

 だが、そんなのはまだましなのかも知れない。

 餓え、というのは人の理性を容易く壊してしまう。

 食わねば死ぬ、死ぬのは誰とて嫌に決まっている。

 食料は全員には行き届かない。行き届いても数日持つかどうか。

 やがて人々は考え出す。


 “どうすれば食べ物にありつけるのか“

 “どうすれば自分はよく多く食べられるのか“


 その答えは分かり切っている。だが、まだ理性がその選択を抑え込む。

 だがそれも時間が経過する内にこうなっていく。


 “ここには多すぎる“

 “どうして自分が我慢しなければならない“


 段々と周囲の人々が邪魔になっていく。

 つい昨日まで互いに励まし合っていた相手、隣人の事が、我慢出来なくなっていく。

 その上で、彼らはこうなる。


 “そうだ。いなくなってしまえばいいんだ“

 “あいつがいなくなれば、それだけ食い物にありつけるじゃないか“


 誰が最初にそうしたのか、それは問題ではない。

 生き延びたい、他人を踏みつけてでも、少しでも生き延びる事、自分だけが生きる事のみを優先した結果、そこは地獄と化し、大勢の人々が、昨日までの仲間同士で殺し合うのだ。

 ほんの一切れのパンの為に、互いに助け合っていたはずの、支え合ってきた仲間同士が殺し合う光景。大人が子供から奪い、子供は後ろから飛びかかっていく姿を見てきた。

 そして傭兵たる進藤はキャンプを守る為に命令を──暴徒と化した難民達を制圧せよという任務を遂行するのだ。

 守るはずの人々を、自分達の手で殺す。無論、殺さずに収まるのであればそうした事だろう。

 だがそこにいるのは理性というたがが外れたケモノ。

 制止の声など届く事はずもなく、…………引き金を引く他なくなる。


 事が収まった時には、キャンプ内は死者の積み重なる無残な有り様だった。

 混乱の原因は政権側の送った工作員による扇動だと発覚したとて、後の祭り。

 進藤はいつしか心がすり減っていくのを実感した。そして、──。



 ◆



 進藤は諭すように言葉を続ける。

「いいか。食べるってのは単にエネルギーを摂取する事じゃあない。

 食べる事で明日への気力を得る。気力はな……」

「は、はい」

 淀みなく朗々と話をする進藤を前にして、流石の勝気な少女もたじたじとなる。

 その様を零二は「ハッハ」と笑いながら、サンドイッチを頬張っていく。今でこそ笑ってるツンツン頭の不良少年ではあるが、全く同じ状況に自分自身が一度あっていたりもする。

(ああなっちまったら、まぁ、ご愁傷様ってトコだよなぁ)

 零二にとっては、あの状態の進藤こそが一番恐ろしい。

 ぱっと見でも全身傷だらけの、禿頭の、厳つい強面の大男。街行けば十中八九、すれ違う誰もが驚き、思わず足を止めてしまう顔。

 おまけに声も当然の如くに低いので、一般人が話しかけられれば怯えてしまう上に、近くを歩いていた通行人の通報で警官にも何度となく職務質問を受ける始末。

 ”またあなたですか、気を付けてください”

 対応する警官ももはや顔馴染みとなった進藤にそれだけ言うと終わり、後は一般人に少し話を聞く、といった具合だ。

 誰が見ても只者には見えない元傭兵。そんな彼がどうして店、よりにもよってあの強顔で客商売を始めたのかは零二は知らない。知らないものの、彼が食に並々ならぬ思いを抱いている事は知っている。ああ見えて誰よりも研究熱心で、常に新しい料理のレパートリーを考えている事を知っている。どうしてそんなに様々な料理を知ろうしてるのか、と訊ねて、返ってきた言葉を今でも憶えてる。


 ”だってよ。人によって好き嫌いってのがあるからよ。それに食わず嫌いって何とも勿体ないとは思わないか? それ以前に、お前さんみたいなガキを見てるとな、ついつい何か食わせたくなっちまうんだよなぁ”


 思わず笑ってしまった事を思い出して、零二は「プフッ」と笑い出す。

 口調自体は落ち着いており、説教してる自覚は本人にはないのがまた、タチが悪い。

 視線を巡らさば、亘が「おい、何とかしてくれよ」と助け船を求めているが、説教モードの進藤の前ではそんな事をしたら自分さえもお説教の餌食になってしまう。

 なので、ツンツン頭の不良少年の選択肢は一つのみ。

「や、諦めろ」

 素っ気なく告げると零二は、サンドイッチに手を伸ばす。

 この後、亘がようやく解放されたのは店の開店直前。

 そしてげんなりした表情で亘がサンドイッチを口にして「う、うまっ」と驚きの顔を浮かべたのを見た進藤は、「だろ?」とだけ言うと満足したのかその後も何だかんだと飲み物などを持ってきてくれたのだった。


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