悪徳の街(The city of vices)その4
少女は空を見上げて呟いた。
「ちぇ、空振りか」
繁華街の路地裏。
周囲の建物によって日の光を遮られたその場所は、まだ夕方前なのにもかかわらず薄暗い。
「はぁ、この街って本当に空が見えないんだな」
彼女の名前は新来亘。
デニムジャケットを羽織り、同じくデニムの短パンの下は黒いタイツ。足元はレザーブーツ。
それに加えて赤みがかったショートヘアは彼女の勝ち気な性格を表しているかのよう。
「にしても、見つからない」
時計代わりのスマホを確認。はぁ、とため息をつく。
そんな彼女の足元で呻く声が一つ。
「く、っそ」
「まだ起きてたんだな」
「ざけ、なクソア──」
言い終わる前に亘が蹴りを喰らわせ、男は今度こそ気絶した。
「ったく、本当にガラの悪い街だな」
蹴り足を引き戻しつつ、蹴り飛ばした男を確認すると、彼女は何事もなかったかのように歩き出す。
「それに、何だろな」
うげー、と呟き、思わず顔をしかめる。
路地から戻れば、そこは大通りで本当に大勢の人が行き交っている。
「極端すぎんだろ」
ほんの数十メートルでこうも雰囲気が変わるものか、と呆れ顔を浮かべる。
これがもっと暗くなってからならまだ分かる。だが少なくともまだ夕方前。大通りには社会人だけじゃなく学生やら親子連れの子供もいるような時刻だ。
「これじゃアタイの地元の方がましだよな」
やれやれとばかりに肩をすくめ、亘は雑踏の中に紛れ込む。
彼女はまだこの街の事をよく知らなかった。だからだろう。
「おい、大丈夫か?」
路地裏で気絶した男がドロップアウトの一員だとは思いもよらず。
「ちくしょ、相手は誰だ!」
数分足らずで仲間が彼を発見、仲間に連絡を入れるとは想定していなかった。
そして、それからものの数十後には仲間の敵討ちに集った男達の集団に見つかって、さっきとは別の路地裏にあるとっくに潰れたビリヤード場で待ち伏せされるとは全く思いもよらなかった。
◆◆◆
「えっと、……しくったな」
手で髪を触りつつ、彼女は顔をしかめる。
亘は自分がミスをした事を実感していた。
思えば今日はずっとついてなかった。朝起きてすぐに足をベッドの足にぶつけた。気を取り直してシャワーを浴びたら水だった。昼食で頼むつもりだったバーガーは売り切れで、そして今のこの状況。
「朝の占いって当たるもんだな」
街中を歩いていた際に、男に声をかけられたのだってそう。
相手の様子から恐らくは不良、或いはチンピラだろうとはすぐに分かった。
無視しても構わなかったが、彼女自身目的のタメには情報が必要だと思い、ついて行った。
そしたら案の定、怪しげな路地裏に誘い込まれて、ナイフを突き出されたので返り討ちに。
当然ながら情報など入らず、仕方なし、と割り切って情報収集を再開したはずが、今やこんな状況になっている。
ただでさえ薄暗いというのに、どうしてわざわざこんな更に薄暗い室内なのか。
むわ、という男の臭いと、息遣いに亘は不快感を隠さなかった。
「ひぃふぅみぃ、面倒くさい」
わざとらしく指差した、数えるのも億劫になる程、恐らくは二十人程度の男に囲まれている。
「けっけっけ、なかなか上玉じゃないかよ」
今にも涎を流しそうな下心丸出しで笑うのは、素肌に金色のバイカーベストを着込んだモヒカン頭の男。
派手な色合いのベストなのは、こういった場所で目立つ為だろうか、と思わず考える。
普通に考えれば怯えてしかるべき状況なのだが。
「一応質問するけど、あんたら何処の誰? アタイに用があるの?」
亘は引くどころか、逆に前へ進み出て相手に問いかける。
その堂々とした態度を前にして、ドロップアウトの男達の方が気圧されたか、後ろへじりじりと下がる始末。
「てめえらおたつくんじゃねぇ!」
モヒカン頭の一喝で男達は我に返った所を見るに、この中で誰がボスなのかは明々白々。どのみち、まともにやり合っては勝ち目などない。なら、と亘はモヒカン頭を挑発する。
「あんたがボスみたいだな。でも、残念だよな」
「ああん? 俺の何処が残念なんだクソアマ?」
「あんたはそれなりにいっぱしのワルみたいだけど、他の連中ときたらてんで駄目だ」
「何だとクソアマ。俺のチームに文句たれるのか?」
「ああ、文句あるさ」
「ほう、なら言ってみろ」
モヒカン頭が食い付いたのを確認し、亘は内心ガッツポーズを決めたくなった。
「おいクソアマ。言ってみろっつってんだよッッ」
亘の挑発的な言動に我慢ならなくなったか、彼は前に進み出るや、手を伸ばして胸ぐらを掴もうとする。彼女は待っていた。相手の不用意な行動を。相手の動きを見極めて、素早く前へ。伸びてきた手を払い、同時にすねへ蹴りを見舞う。
「ぐえっ」
モヒカン頭はまさか反撃されるとは思いもよらなかったのか、間抜けな声をあげてその場で悶絶。そこに狙い澄ましたかのような飛び膝が顎を直撃。あえなく崩れ落ちていく。
「て、っめぇ」
見かねた男の一人が背後から亘へと襲いかかる。手にした木製バットをフルスイングせんと迫るのだが。赤みがかったショートヘアの少女にはお見通し。バットは虚しく空を切り、カウンターで背後へ向けて突き刺すような後ろ蹴りが炸裂。体格的には一回り以上はあるはずの男が派手に後ろへ転がっていく。
「くっだらない」
蹴り足を引き戻しつつ、亘は不敵に笑う。
その様子にドロップアウトの連中は激高。
「お前、ふざけんなよなっっっ」
「構わねえ、囲んじまえ」
あっという間に周囲を取り囲み、襲いかからんとする。
だが彼女は一歩も引かない。「上等だ。かかって来なよッッ」と声を張り上げて、自分を取り囲む連中を牽制。機先を制して逆に攻撃をしかける。
素早い踏み込みで間合いを詰めて肘を鳩尾に叩き込む。次いで回し蹴りを後ろへ。さらに勢いを利用しての裏拳。あっという間に二人をのしてしまう。
「どうした? アタイは一人だぜ。でかい図体して揃いも揃ってチキン野郎ばっかかよ?」
「おいおい、何だよ盛り上がってンなぁ」
「──!」
声に反応した亘が背後へ向けて横蹴り。速度も角度も充分。確実に決まった、そう確信を抱ける一撃だったが。
「うわっち、あっぶねェな」
「え!」
必殺必中のはずの渾身の蹴りはあっさりと躱されていた。
「ち、──」
ならば、と今度は回し蹴りを放つも、「おっと」とそれも軽々と躱される。
「何だお前──」
さらに攻撃を加えようと試みるも、相手が既に飛び出して間合いを潰していた。
「くっそ」
「うお、っと、クセが悪いヤツだな」
相手=つまり零二は困惑しつつも、少女の攻撃を悉く潰していく。蹴りを放とうとすればその足が上がる前に手で遮る。パンチに対しては手で逸らす等々。
そうしたやり取りがしばらく続き、完全に取り残された格好のドロップアウトの面々はあ然とした表情で固まっている。
そもそも彼らはあくまでモヒカン頭のボスに従ってこの場にいる。
たかだか女一人を全員揃って取り囲んでいる段階で若干後ろめたい。
そのくせボスは気絶しままま。勝手に仕掛けた奴らにせよ同じく気絶中。
自分達じゃ敵わない、そう理解するには充分過ぎる状況で、さらなる乱入者、つまり零二が姿を見せる。
最初こそ、誰だあいつ? と怪訝そうな表情だったドロップアウトの面々も、相手の顔が見えてくるに従って、誰なのかを確認出来るようになり、「お、おい。あいつ」と一人が明らかに狼狽えたのを皮切りとして、「武藤零二じゃないのか?」と言い出す者が出て、さらには「冗談じゃないぞ、あいつとやり合うなんて聞いてないぞ」と身を震わせる者まで現れる始末。最早、彼らの戦意は完全にへし折られていた。
「くそ、お前ッッ」
「ったく、しつこいぜ」
零二も流石に相手の少女の攻撃を避け続けるのにも飽きてきた。
(にしても、だぜ、っと)
顔を逸らして拳を躱す。顔をすれすれに通過していく右拳を眺めつつ、視線を巡らせば相手の目とかち合う。
「っと、っ」
今度は腰を起点に上半身を顔とは逆に捻る。そこへ亘の左拳が通過。
ち、という鋭い舌打ちの声が耳朶に届き、思わず苦笑。
(コイツはとンだじゃじゃ馬ってヤツだな)
女性に手を出すなと散々っぱら秀じいには言われている。実際、零二にその意志はない。とは言えこのままではいつまでも躱し続けるのも億劫だ。
(じゃ、決まりかな)
決定即行動とばかりにツンツン頭の不良少年が動いた。