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狂った世界――The crazy world  作者: 足利義光
Episode 16
522/613

悪徳の街(The city of vices)その3

 

 その日の夕方。

 橙色の空が間もなく訪れる夜を人々に知らせ始めた頃。


 行き交う人々に目を逸らされ、或いは注目されつつ、禿頭の大男がのっしのっしと屋台へと向かっていく。その顔のみならず、目を凝らせば首や手の甲にまで無数の傷が刻み込まれており、どう見てもその筋の人間にしか見えない大男がある屋台の前で歩みを止めるや否や、声をかける。

「おう、お疲れさん」

「…………」

 繁華街の関係者との急な会合という事で、屋台を零二に任せたダーツバーのマスターこと進藤(しんどう)明海(あけみ)が戻ってきた時、そこには性も根も尽き果てたといった感じでテーブルに突っ伏しているツンツン頭の不良少年の姿があった。

「おいおい。どうしたよ? 柄にもなくくたびれたみたいな感じでよ」

「…………わりぃかよ。疲れたンだよ」

「ふーん、そうか」

 珍しく声も弱々しい零二の様子に、進藤はにんまりと禿頭の強面の顔をほころばせる。もっとも、その笑顔は彼を良く知る者でなくては、とてもじゃないが直視出来るモノではないのだが。

「で、どうだった?」

「おかげさまで大盛況だったよ」

 そういって零二が指差すレジを進藤が開けてみると、思わず「おお」という感嘆の声が漏れた。

「お前、本当に大盛況じゃないか」

「だから、……そうだっつったろ」

 信用しろよな、という愚痴をついた零二をよそに、進藤は手早くレジ内の紙幣を確認。慣れた手付きで数えていくにつれ、強面の顔をくしゃくしゃに、幾度となくかぶりを振らせる。

 そうして数え終わって、数秒の沈黙の後。

「零二。お前すごいじゃないか」

 ガッハッハ、と豪快に笑いながら零二の背中をバンバンと叩いて喜びを示す。

 禿頭の大男にとっては軽いスキンシップのつもりの行為なのだが、今の弱り切った零二には冗談ではない攻撃らしく「ぶっは、ぶっ」と呻き声をあげる始末。

「おい、ちょ、まて」

「ハッハッハ──────」

 テンションの下がり切った零二の声はテンションの上がり切った進藤には届かず、なおも数十秒の間、背中へ向けて容赦ない追撃が行われたのだった。


「ったく、マジでいてェ」

「いや、悪い悪い。まさか本当に痛かったとはなぁ」

「アンタ普段はマトモなのに、……たまに非常識だよな」

「すまんすまん。だがお前さんに非常識とか言われるのは心外だぞ」

「るせェ」

「まぁ、何にせよ今日はお疲れさん。ほれ、手間賃だ。少し色付けておくぞ」

「──いいのか?」

「構わんさ。今日はお前さんのおかげで助かったんだ」

「そ、か」

「お前いっそ、今後も──」

「ぜってーイヤだ」

「そいつは残念だ」

「じゃ、またな」

「おう。家賃持って来いよな」

「わーってるよ」


 他愛のない会話を終え、帰って行く零二を進藤は満足そうに見送る。

 実のところ、今日は繁華街の会合などなく、最初から零二に屋台を任せる腹積もりだった。

「いや、あいつもやるもんだ」

「当然でしょ。若はああ見えてやる時はやるのよぉ」

「…………」

 唐突に横から口を出して来たのは、零二の実家である武藤家の家人の一人である皐月(さつき)。着ているブラウスは何故か大きく胸が開いており、豊か過ぎる二つの双丘、或いは山々がこれでもかとその存在を主張していて、進藤も横を見るのを躊躇う。

「お前なぁ、……もう少し目立たないでくれないか」

 妥協案として、顔を手で覆い隠して横にいる美女に苦言を呈するのだが。

「あらぁ、目立たない服で来たはずなのに。どうしてかしらねぇ?」

 という具合に返されてしまう。

 確かに、皐月の言う通り服装自体は目立つようなものではない。探せば同じ様な品は買えるだろう。だが、如何せん着用者自身のこぼれ落ちるようなソレまではどうしようもない。

「せめてだな、ボタンしろよ」

「だってボタンすると苦しいのよねぇ」

 はちきれんばかりに実ったソレはあまりにも衆目を集めるには十二分に過ぎる。

 ある男は思わず凝視し、ある女性は感嘆。等々、否が応でも人の目を引いてしまう。

(ったく、零二が帰ってて良かったぜ)

 こんな場面を目の当たりにしたら、どんな表情を浮かべるだろう、と思う。

 呆れるか、怒るか、或いは無言無表情か。何にせよ面倒な事になっているには違いない。

(もっとも、こいつもそれは分かってるだろうがな)

 皐月も突然姿を見せた訳ではないだろう。恐らくは遠目で零二の様子を見ていたに違いない。一見するとそうは思えないが、武藤の家人は基本的に心配性だと進藤は考える。

 それはあの秀じいこと加藤(かとう)秀二(しゅう)にしても同様で、普段当人に対しては厳しく接してはいるが、その実当人のいない場所では常にその動向に気を配っている事をこの禿頭の大男は良く知っている。

 何せ零二の面倒を見るようになってから、何かにつけて口実を設けてはバーを訪れるのだ。

 そこでの話題は、やれ“若に何か問題はなかったか“だの“若が何か困ってはいなかったか“等々根掘り葉掘り聞き出そうとするのだ。

(ありゃ間違いなく孫バカってヤツだ)

 何度口にしそうになった事だろう。ともかく可愛いのだろう。

(ま、そりゃ皐月(こいつ)も一緒だけどな)

 正直、皐月がそこまで零二を気にかけるとは思いもしなかった。

 進藤の知る彼女は人当たりこそいいが、常に本心本音を隠していたように思えた。

 自分もそうだが裏社会に足を突っ込むような人間は、何かしら欠けた部分を持っている場合が多い。それまでの付き合いから、てっきり子供が嫌いなのだと思っていたのだが、どうも違ったらしい。

(それとも、変わっちまったのかも知れないな)

 理由を考えると、思い当たる節はただ一つ。

「皆、あのバカに感化されちまってるんだろうな」

「今何と言いましたか、この強面ゴリラ」

「──おま、言っていい事と悪い事があるって知ってるか?」

 こんな何の生産性のない他愛のない会話が出来るのも、やはりあいつのおかげなのかもな。

 そう思えば、貸し借りの話で言えばこちらこそ借りがあるのかも。ふとそんな事を考えつつ、進藤は皐月との口論に興じるのだった。



 ◆



 進藤と皐月が口論を始めたのとほぼ時を同じく。

 零二は帰路に着いていた。

 時計など見るまでもなく、間もなく日は沈んで夜になる。

 くううう、という腹の音が鳴るのも仕方がない。

「あー、腹減ったな」

 何せ屋台が忙しくて、ちゃんとした昼食を摂っていなかった。とは言え何も口にしないのでは、体質的に代謝量の高い零二にとっては危険だというので、ポケットに入れていたプロテインバーや見かねた巫女が部屋からバナナを持ってきたりした。おかげでこうして空腹ではあったが、歩ける訳なのだが。

(これでも一応前よりは改善されてるンだよな)

 クウウウ、と寂しそうな音を鳴らす腹をさすりつつ、零二は歩く。

 京都での戦いや、あの白い箱庭での因縁の決着を経て、零二のイレギュラーにも多少の変化が生じるようになった。

 それまではただひたすらに自分自身をリソースとして熱操作を行っていたのが、あれ以来、周囲の物質を利用して焔を使うようになった結果、零二の消費する熱量、代謝量に大きな変化が起きた。今では以前のおよそ半分のカロリー摂取で体力を維持出来るようになった。

(ま、それでも他人から見りゃ大食らいなのは変わらないけどもな)

 食費が半減したので、前よりも多少はお金にも困らないのは助かる。

(とは言え、稼がなきゃな)

 今の彼は単なるエージェントではなく、まがりなりにも集団、チームのリーダーなのだ。

 働かなければ稼げない。給料などないのだから。とは言え、如何せん彼はまだ高校生である。そう易々と仕事など見つかる当てもなく、ファランクスで所有している倉庫代を払うのすら苦戦している始末。そんな中の、今日のバイトだった。

「ま、とりあえず腹ごしらえだよなぁ~」

 細かい事は後回しだ、とばかりに足取りも軽く彼が向かうのは、最近出来たステーキ店。何でも最高級の国産黒毛和牛を用いているらしく、連日予約だけで一杯だという評判なのだ。

「全く予約出来て良かったわぁ」

 ちなみにこの件は巫女には内緒だった。もしも知られれば間違いなく一緒に店に行く、と食い下がるに違いなく、二人分の予約となると難易度が上がってしまうから。

(今日の予約だって、キャンセル待ちの結果だしな)

 店の店員と何度か話をして、親しくなり、その上でのこの結果。

 武藤零二、彼はこと食事に対しては一切の手を抜かない男である。

「幸いにもミコは歌音(アイツ)と一緒だしな」

 この絶好の機会を逃す訳にはいかない。

「よーっし、急ぐぜッ」

 楽しみ過ぎてテンションが上がった零二が小走りで店に向かおうとした、その時だった。

 路地裏から怒声が轟く。


「お前、ふざけんなよなっっっ」

「構わねえ、囲んじまえ」


 零二にとっては、別段気にする事もない声。そのまま無視して走り去ろうとしたのだが。


「上等だ。かかって来なよッッ」


 その声は男にしては明らかに甲高く、間違いなく女性のもの。

「ったく、何だってンだよ」

 大方落伍者(ドロップアウト)が観光客にでも絡んでいるのだろう。普段なら気にもしないいつもの出来事。

「しゃあねェな」

 気付けば零二はステーキ店へと向けていた足を路地裏へ。

 それは何の気なしに、気紛れだった。

 当然ながら、零二は知る由もない。この些細な選択が自身を事件へと誘う事になるだろうとは。


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